第9話 約束/また会おう
グラウザーはひろきの父への救急処置を続けていた。
人工呼吸と心臓マッサージを繰り返す中、回復を確実なものにするために、データバンクの情報に従いカンフル等の薬液の注射を行なう。救急ツールの中から取り出したのは、動力式の自動注射装置だ。カートリッジ式の薬液を簡易な操作で安全に注射できるしかけだ。ひろきの父の着衣の胸元を大きく開く。そして、肋骨の隙間めがけ、その注射器をあてがいレバーを引く。かすかに作動音がしてカンフル剤はひろきの父の体内に流れ込む。
さすがにグラウザーもその注射に関しては半分以上を不確かな勘に頼っていた。彼は医学の専門ではない、備え付けの知識に従っただけにすぎない。だが、それでも、功を奏すると信じる以外にない。グラウザーは再び人工呼吸と心臓マッサージを続けた。
それからどれほど救急処置を続けただろう。やがて、グラウザーの感覚に微かだが確かな感触がリズミカルに伝わってきた。ひろきの父の胸板に手を触れれば、力強い脈動が帰ってくるのが判る。心臓が拍動を再開したのだ。
「よし」
軽く呟き処置内容を人工呼吸だけに切り換える。救急処置が終わるまであと少しである。
そして、それから数分ほどしたろうか? グラウザーの背後から声がする。
「お兄ちゃん!」
ひろきが返ってきた。そのあとに幾人かの成人男性が続いている。
グラウザーは彼らをよそに人工呼吸を続ける。ひろきに同行してきた彼らはグラウザーのもとに駆け寄ると、横たわる男性の様子をじっと見守った。ひろきは数歩進み出て父親のすぐそばに座ると己の父の様子を伺った。ひろきは待っている。グラウザーが答えを出してくれるのを。
それから幾分ほどたっただろうか? グラウザーが不意に人工呼吸を止める。そしてひろきの父の口元に顔を寄せ様子を伺う。その視線はひろきの父の胸板をじっと見つめている。ひろきもグラウザーの傍らで彼に倣って、父の胸板を見つめていた。
「あっ」
ひろきが小さく叫んだ。
「よしっ」
今度はグラウザーも、少し強めに声を上げる。あらためて右の掌を胸板に添えて鋭敏なセンサーを働かせる。
【検査対象物:成人男性人体 】
【検査情報 :脈拍、呼吸 】
【検査結果 】
【 1:脈拍 → 正常 】
【 2:呼吸 → 正常 】
確証も得られた。これでもう大丈夫だ。そして、間を置かずに救急ツールの中から小型の酸素吸入器を取り出す。透明プラスティックの折り畳み式コーンを開き、その周囲に付いたゴムの紐でひろきの父の顔に吸入器を固定する。折り畳み式コーンのバルブからは確かに空気の吐き出される音がしている。それはひろきの父が自力で呼吸を再開したことの証拠でも有った。
グラウザーはひろきの父の回復に会心の笑みを浮かべていた。ひろきもそれまで蒼白だった顔を赤く染め喜びの表情を浮かべた。そんなひろきが思わず叫ぶ。
「お兄ちゃん!」
その声にグラウザーは振り向く。
「もう大丈夫だよ」
そして、グラウザーは明るく笑った。
成功の確証は無かった。しかし助けなければ間違いなく失われた命である。そう――
グラウザーは救命作業という行為に生まれて初めて成功したのだ。
@ @ @
ひろきの父は数人に抱えられ運び出された。幸いにも応急処置が適切だったために命を左右するような状態にはならないだろう。だが両脚の負傷がひどく、すぐに適切な治療を受けねばならないのも事実だ。それに火災の煙を深く吸っていたために一酸化炭素中毒も起こしている。
ひろきの父が運び出される中で、ひろきの父を助けにきた者の一人がグラウザーに何かを訊ねている。彼は次の医者への引き継ぎを考え、救急処置の際の治療内容や投与した薬剤の種別などを聞こうとしたのだ。
対するグラウザーはと言えば、訊ねられる質問に淡々と答えて行く。告げる答えは、みな備え付けのデータバンクの知識/情報に従って導き出しただけにすぎない。だが、それでも救急処置の引き継ぎには必要なものである。
彼はグラウザーから返される答えに感心の色を隠せないでいた。そんな彼の口から称賛の意味も込めてこんな言葉が告げた。
「いや見事だよ! おそらくはプロのライフセイバーでもそう簡単には行くまい!」
惜しみない称賛の言葉にグラウザーは臆する事も無くあっけなく答える。
「そうなんですか?」
微笑みながらも不思議そうに尋ね返すグラウザーの答えを、彼はグラウザーなりの謙遜と受け取ったらしい。
「もちろんだとも」
力強く告げる彼の言葉にグラウザーは頷く。グラウザーは自分が成した事の大きさを理解しては居なかったが、人の命が助かったと言う事実をうれしくは思っていた。そんな喜びが彼の称賛の声で、グラウザーの気持ちの中にしっかりと根を降ろして行く。控え目なグラウザーに、彼はさらに訊ねる。
「君の名前は?」
グラウザーはその申し出に当惑して答える。
「名前?」
質問を解しかねてポツリと答えるグラウザーに、彼はさらに問う。
「あぁ、君が誰なのか教えてはくれないかね」
その〝誰なのか?”と言う言葉に、彼が自分の身分を問いただしているのだとグラウザーは理解した。
「特攻装警です」
「特攻装警?」
「はい」
グラウザーの答えを耳にして彼は静かに頷く。
「なるほどそうか、そう言う事だったのか。話には聞いていたが、日本の警察もさすがだな」
「え?」
「いや、こちらの話だ」
彼は手を軽く振りグラウザーに別れを告げる。そして、運ばれて行くひろきの父の後を追った。
グラウザーは少し思いに耽ける。あの人の言葉の意味を彼なりに考えている。自分がなにをしたのか? じっくりと考えていたが答えは出ない。グラウザーは軽く笑顔を浮かべるだけである。
グラウザーは会話を終えると視線を反対方向へと向けた。潰れた車輌の前方を再び伺っては、自分が抉じ開けた車輌の隙間を覗いている。そこには、人一人がくぐれるだけの隙間が開いていた。周囲が潰されて通れない今、そこを通ればこの先へ行けるはずだ。
床に膝を付き、目の前の「穴」を覗いているその時、グラウザーの背後から声がする。
「お兄ちゃん」
ひろきがいつの間にか戻ってきていた。グラウザーはひろきの方を振り向く。
「お兄ちゃん、『ガイアース』みたいだ!」
「ガイアース?」
「テレビのヒーローだよ。宇宙の警察なんだ」
「警察? あぁ、ボクも警察だよ」
「え? お兄ちゃん警察なの?」
グラウザーはひろきの言っている意味を解し兼ねていた。警察としての自覚が育っていないグラウザーにテレビヒーローと言った存在が理解できるはずがない。それでもひろきの話す〝警察”と言う言葉だけはしっかりと理解できていた。
「でも、内緒だからね」
「うん」
「じゃ、そろそろ行くね」
微笑みながらグラウザーはひろきにサヨナラを告げる。そして再び、穴の中へと潜ろうとした時、ひろきがまた問いかけてくる。
「お兄ちゃん!」
グラウザーは、また振り向いた。そこに満面の笑顔でさも嬉しそうに佇んでいるひろきが居る。
「名前は?!」
ひろきは明らかに真似ていた。グラウザーがひろきの名を訊ねた時の様に。グラウザーはその時の事をふと思い出す。そして、グラウザーもまた嬉しそうに笑っては大声で答え返した。
「グラウザー!」
ひろきは驚いた。グラウザーから告げられた彼の名を耳にして。ひろきはひろきなりに何かに気付いたらしい。名残惜しそうな顔で最後の問いかけをする。
「グラウザーのお兄ちゃん!」
「なに? ひろき?」
「また逢おうよ!」
また逢う。どこで逢えるかはなどはグラウザーにもわからない。だが、きっといつかまた会えるだろう――、そんな予感がしているのだ。
「うん、きっと!」
微笑んでグラウザーは答える。
「やくそくだよ!」
「うん、やくそく!」
2人は互いの顔を見合わせながらふたたび笑い合う。そして、ひろきが大きく手をふり、運ばれていく父の後を追った。これで本当にサヨナラだ。
グラウザーはそれを見送る。薄明かりの中、ひろきの姿が見えなくなるまで。
その後でグラウザーは屈み込むと穴の中を覗き込みその先を伺う。何が有るかは解らない。
だが、一つだけ解っている事がある。
それは〝行ってみたい〟と言う素直な気持ちだ。
やってみようとグラウザーは思った。そして、その姿が向こう側へと消えて行った。
















