15 ボーンデッド、花嫁のキスを受ける
「いらっしゃいませー! 『聖堂院のカレー屋さん』へようこそー!」
花道を作ったウエイトレスたちに出迎えられ、町のヤツらは夢のなかに迷い込んだようにキョロキョロしながら店内へと入ってきた。
そして客ひとりにつき、ひとりの給仕がつくという好待遇で席へと案内される。
ボッタクリバーに入ってしまった薄給サラリーマンのように、誰もが不安そうだ。
「あの……いいニオイがしたと思ったら、いつの間にかここに来てたんだけど……」
「俺も……初めて嗅ぐけど、すげえいいニオイで……ついつられて……」
「なんなのこの香り? さっきからお腹が鳴ってたまらないんだけど……」
「それに一体なんなんだ? カレー屋さんって……?」
その戸惑いを弾き飛ばす……いや、さらに加速させるような声が大空に轟いた。
我らが笑う太陽、ララニーだ。
木の上から店内じゅうのテーブルを見渡しながら、パンパンと手を叩いている。
「はいはーい! みなさん、ごちゅうもーくっ! 『聖堂院のカレー屋さん』、本日開店でぇーっす! 本日は開店サービスということで、お祈りしていただくことで、おいしいおいしいカレーをチャッカリごちそうしまぁーす! では聖堂主様っ! みなさんにカレーをお配りしている間にチャッカリと、『いただきますのお祈り』をどうぞっ!」
バッ! と手で示された先に注目が移る。
その先にいたのは……厨房の隅っこで、控えめな月のように佇んでいるルルニー。
視線に気づいた途端、ステージ上からイジられた客のように「ええっ!? わたしですか!?」と驚いた顔で自分を指さしていた。
「『いただきますのお祈り』はルルニーさんの役目ではないですか! それに開店初日のお説教は、やっぱりルルニーさんでないと! 『ごちそうさまのお祈り』はあたしがチャッカリやりますから、さあさあ、ズバーッっとキメちゃってくださいっ!」
「わぁーっ!」と聖堂院の子たちからの拍手を受け、ルルニーは一層キョドりはじめる。
そしてなぜか、すがるように俺を見上げたんだ。
急にそんな顔を向けられたので、俺は不静脈を起こしそうになっちまった。
ちょ、やめろよ……!
お前は千年に一度の美少女だって気づいてねぇのか……!
不意打ちみてぇに、そんな切なそうな表情しやがって……!
おかげでデスノートに名前を書かれてもねぇのに、心臓マヒするところだったじゃねぇか……!
ルルニーは迷子のように、ボーンデッドの脚をキュッと掴んでいる。
わずかな震えをモニターが感知して、それでようやく気づいた。
そうか……!
コイツ、緊張してんのか……!
俺はボーンデッドをゆっくりとしゃがみこませて、ヒロインに接するキングコングのように、そっと抱き上げた。
「ぼ、ボーンデッドさん……」
なおも不安そうなルルニー。
俺の胸に寄り添ってきたかと思うと、懺悔をするかのように囁きはじめたんだ。
「わ……わたし……できません……! ララニーさんみたいにおしゃべりが上手ではないので、お説教だなんて……! 以前も、うまくできなくて……! せっかく来てくださった町の人たちが、またしらけて帰ってしまったらと思うと、怖くて……!」
密やかな上目遣いで、ボーンデッドの顔をじっと見つめる少女。
そして、消え入りそうな声で……こう続けたんだ。
「ボーンデッドさんが考えてくださって、ボーンデッドさんが準備してくださって、ボーンデッドさんが町のみなさんを集めてくださった……。それをこのわたしがダメにしてしまうのが、怖くてたまらないのです……」
ボーンデッドは何の表情も返さない。
すべてを見透かされたように、少女はふるふると首を振った。
「はい……! 正直に……正直に申します……! わたしがダメにしてしまったら、ボーンデッドさんに嫌われるんじゃないかと思って……! そう考えるだけで、胸が苦しくて苦しくて……! どうにかなってしまいそうなのです……!」
押し殺す声と反比例して、昂ぶっていく感情。
少女を覆っていた理性にヒビが入り、中のものが染み出したかのように……瞳の端に涙が滲んだ。
……なんだ、そういうことだったのか。
だったら気にすることなんかねぇさ、これっぽっちもな。
ララニーを見てみろよ。あのおてんば娘を。
ちょっと目を離したスキに、とんでもないことをやらかすんだぞ。
勝手に人の身体によじ登って高い所のモノを取ろうとするわ、人の足元で八の字の追いかけっこするわ、何度踏み潰しそうになったかわかったもんじゃねぇ。
でも……アイツのことが嫌いだなんて、これっぽっちも思ったことはねぇ。
むしろ、アイツのおひさまみてぇな笑顔が拝めるなら、なんだってしてやりてぇって気分さ。
もちろんお前もそう。
子供たちの前では微笑みを絶やさないお前が、ひとりになると憂いに満ちた表情になる……。
それを晴らすためだったら、なんだってしてやるさ。
お前のお説教を町のヤツらが笑うっていうんなら、俺が全員ぶちのめしてやる。
その相手がたとえ犯罪国家でも……いいや、たとえ神だったとしても二度と笑えねぇようにしてやるさ。
なぜかはわからねぇけど、もう決めたんだ。
お前らが一人前になるまでは、なにがあっても見捨てねぇ、って……!
俺は、言葉を尽くしてでもこの思いを伝えてやりたかった。
一瞬、マイクユニットのスイッチに手が伸びたが、寸前で思いとどまる。
宙をさまよわせたその手を、キーボードに着地。
そして、気持ちの全てを8文字に込めた。
いま、俺がしてやれる、最大限のこと……!
それは、『気にするな』……!
たとえいま失敗しても、気にするな……!
そう、失敗してもいいんだ……!
だってこの俺が、何度だってやり直させてやるんだからな……!
成功するまで、ずっとずっと、ずーっと付き合ってやらぁ……!
それこそ、おれがオジサンになっても……!
って、もうなってるか……!
俺は万感の思いで、リターンキーを叩いた。
『キス シナ』
……。
…………。
………………。
デカデカと浮かび上がったその文字に、俺の背筋と、場の空気が凍りつくのを感じる。
あっ……あっれぇーっ!?
『キニ スンナ』って打ち込んだはずなのに……な……なんでぇーっ!?
よく見たら、予測変換が効いていた。
よくあるよね、間違った予測変換のまま使い続けるのって。
……って、ダメだっ! 終わったぁぁぁぁぁ!
せっかくカッコイイ一言をキメて、緊張をほぐしてやろうと思ったのに……これじゃバカなAIみてぇじゃねぇか!
突然のキス宣言に、ぎょっとなっているララニーの顔がモニターに映し出されている。
その隣にはルルニーのモニターがあるが、いまどんな表情をしているのか……とてもじゃないが直視できねぇ。
不意に「くすっ」と控えめな笑い声が、コクピットをくすぐった。
その、膝枕で耳かきをされているような、心地いい声に……俺は聞き覚えがあった。
「……はい、かしこまりです。二度目ですのでうまくできるかわかりませんけど……キス、させていただきますね」
そしてモニターを覆う、千年に一度の逸材のキス顔。
ファーストキスの時よりずっと魅力的になっていたその顔は、ズギューン! と俺のハートに風穴を開けた。
まるで結婚式の誓いの瞬間のように、「おおーっ!」という歓声と、拍手が沸き起こる。
花嫁はクルリと振り返ると、ぺこり、と頭を下げた。
「……みなさま、おまたせして申し訳ありませんでした。本日は『聖堂院のカレー屋さん』にお越しいただき、誠にありがとうございます……」
その声には、さっきまでの不安は微塵も残っていなかった。
聖堂院を細腕で切り盛りしているだけのひたむきさと、すべてを愛するような、計り知れないほどのやさしさにあふれている。
かたや俺は腑抜けきり、ぽやあんとした頭で……艷やかなロングヘアが健気に揺れるのを眺めていた。
なんか、よくわからんが……。
まぁ、迷いが吹っ切れたんだったら、よしとするか……。
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