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後編

遅くなりました。



女神アメティスタは駆ける。

彼女を神殿で出迎えた霊獣達は、彼女を先導してとある王国の王都へと案内する。王都は奇しくも、アメティスタが人間だった頃に居た場所だった。

そして、霊獣達にとっては、一番憎らしい所でもあった。どの国も少なからず霊獣狩りをしていたが、この国は特に酷かった。霊獣狩りを王侯貴族は黙認し、それどころか傭兵やギルドに依頼して殺させ、毛皮や鱗、さらに『霊宝石』までも自らの装飾品にしていたのだ。最早黙認と言って済む問題では無く、国は霊獣狩りを推奨していたと言える。


霊獣が霊獣たる所以は、『霊宝石』と呼ばれる結晶にある。それらは霊獣達の力の源であり、どのような霊獣であろうとも必ず持っているものであった。霊宝石は大抵霊獣達の額にあり、色や形などは種族によって違い、また強いものほど大きくなる。

人間達の間では魔石と同じ区分で扱われ、霊獣のどの部分よりも一番貴重とされた。それゆえ、貴族はこぞって霊獣の宝玉を求めた。

霊宝石を取られた霊獣は死ぬ。つまり、霊獣は自らの弱点を晒している状態なのである。霊宝石は非常に硬く、魔法や剣で砕くことは不可能であるが、人間達は霊獣の首を落とし、霊宝石の周りの肉や骨を削ぎ落とすことで採取をしていた。


『――アメティスタ様』


薄紅の鮮やかな体躯のカーバンクルが隣を翔ぶ。

カーバンクルは霊獣の中でも被害が多かった。彼らの持つ瑞々しい柘榴の様な霊宝石は、富や名声を与える力がある。リスの様な頭に毛並み、狐の手足を短くした様な体、胴の背からは一対の翼が生え、その薄紅の羽の色は外側へいくほどに白くなっている。その愛くるしい見た目から、始めは愛玩動物として生きたまま捕えられ、抵抗すれば殺処分の上霊宝石を取られた。

薄紅のカーバンクルは切々と自分の境遇を述べ、命からがら逃げて来たのだと、涙ながらに語った。

アメティスタは白い衣装と東雲色の髪を靡かせ、愛くるしいカーバンクルを一瞥する。


『――この度は私共の嘆願を叶えて下さり、ありがとうございます。どうか、このまま、この国を根絶やしにして下さいませ』


そう、薄紅のカーバンクルは締めくくった。彼女はそれを聴き終えると興味を失った様に前を見た。いや、始めから、興味など微塵も無かったのだろう。その光景に、後ろから追随するもの達は怪訝な貌をする。

何故、我らの女神様はその様に素っ気ないご様子であるのか。誰もがそう思った。しかし、女神様にも何か思うところが有るのだろうと、勝手に想像して彼らは何も言わなかった。……大して気に留めていなかったのは彼女ではなく、彼女を信仰している筈の霊獣の方だった。


いくつもの街を抜け、壊し、捕えられた仲間を解放し、次へ。

その繰り返しを何度も続けた。女神アメティスタは沈黙を破らず、紫電を用いて解放を先導し、またその歩を進める。霊獣はそんな彼女にやはり首を傾げながらも、人間達への憎悪と怨念を深め、同胞狩りに関わった者全てを皆殺しにして行った。


王都を目前にしたひとつの商業都市で、今までと同じ様に、仲間を解放し、関わった者を殺した。


ただひとつ。その場で、今までとは違った出来事が起こる。


「ねえ、他の人間も、殺そうよ」


その声はまだ若い子供の声だった。


「だって、またいつか同じ事が起こるかも知れない。また私達を襲って、食い物にして、道具にして、玩具にするかも知れないよ」


その言葉に、苦笑していた成獣達が黙った。押し黙るもの、考え込むもの、本当は自分だってそうしたいと呟くもの。無邪気であるが故の提案には、悪意などが込められている訳ではない。


悪意なき害意。


それは、人間が小さな虫を殺すのに似ている。

別に親を殺された訳はない。虫に明確な害を受けた訳でもない。

ただ、なんとなく邪魔で、居たら居たで面倒くさいから、とっとと殺す。


子供の言い分は正にそれだった。


『霊獣狩りに関わってない人間』にさして恨みなどない。むしろそういった人間達とは良好な関係を築けてさえいる。

でももし、そういった人間達の中からも霊獣狩りを始める者が現れたら困る。


「――だから、他のもやっとこうよ」


霊獣達は肯いた。

血と憎悪と怨嗟に暮れた霊獣達は、いつの間にか正しい判断が出来なくなっていた。ひとり、ふたりと悪心に飲み込まれ、清き霊獣から、悪しき『妖獣』へと堕ちて行く。ひとたび堕ちれば復活は不可能。そうと解っていながらも霊獣達は、自らを律する事を忘れて、深く深く沈んで行く。


そうして出来上がった妖獣が、罪無き人を襲う。大きな大きな狼の妖獣が、その牙で若者の腕を食いちぎった。

その時。


「――止めなさい」


凛とした声が響いた。

妖狼が金縛りにあったかのようにその動きを止める。

女神アメティスタは若者に近づき、腕の血を止め、傷を塞いでやる。


「『どうして、こんな事を!』」


皮肉にも、若者と妖狼の両方がそう叫んだ。

彼女はまず妖狼に向かって言い放つ。


「――狼、それはしてはいけない事」


憤怒と静謐。相反する感情を湛えた瞳で、妖狼を抱き締める。


「わたしは確かに、霊獣達を狩った者を殺す事を咎め無かった。貴方達が怒るのは最もな事だから。そしてここまでの惨事になるまで、貴方達を救えなかったわたしが、貴方達を責める資格は無いと思ったから」


荒れ狂う霊獣達が、逃げ惑う人間達が、その動きを止める。

全てのもの達に、その『声』は届いた。


「狼、いえ、全ての怒れる霊獣達よ。その復讐の矛先は、わたしに向けなさい。貴方達を救えなかったわたしに。貴方達を導けなかったわたしに。貴方達を止めなかったわたしに」


人から成った神ふぜいが。

誰かがそう唸り声をあげた。

彼女は腕を解いて若者を見る。


「――若者よ。これはお前達の罪の形だよ。確かにお前は霊獣狩りに関わりはしなかったのでしょう。だがわたしはお前達が何もかもを知りながら、見て見ぬふりをした事を知っている。霊獣達にも家族があり、愛するものがいて、さらにはこの世界の均衡を保っているのを知っていて、何もしなかったのを知っている。お前達、それは人として正しいの?」


たくさん人を殺して成った神ごときが。

誰かがそう怒鳴り散らした。

その言葉さえも、彼女の前には塵と同じだ。


「――答えをあげる。それは否、人々よ。人には人の領分が、霊獣には霊獣の領分がある。そして、お前達はその領分を著しく侵した。それはお前達の罪だよ」


半魂として生まれ死に、亡霊となって同族を殺し、光と清浄の神によって自らもまた神と成った。

祈る神を持たなかった霊獣と、人や霊獣、感情を持つ全ての生き物の恋や愛を見守るための、アメティスタと成ったのだ。

その覚悟に戦き、ひとり、またひとりと女神の前に膝を着く。


「わたしはわたしの役目を果たすわ。わたしもまた、罪多き身だから。人々よ、霊獣達の復讐から生まれた更なる憎しみと復讐の終着点には、わたしがなる。だからもう、これでおしまい」


跪き頭を垂れる、霊獣と人々。ただそこにあるだけで圧倒的存在を示す女神は、神威でもって一切合切の渾沌を無に帰した。残ったのは静寂のみ。

心の底から突き上げる強い感情に、全てのものが涙した。

慈悲深い言葉を真摯に語りかける女神が、その声に諦念と悲哀を覗かせる。

どうか助けて。

声なき声がそう祈った。

――これでは、あんまりだ。と。愛を知らぬまま恋や愛を司れなどと、それではあまりにも残酷すぎる。女神アメティスタが救われない。彼女はいったいいつまで、この罰を背負わねばならないのか。そればかりかわたし達は、女神にまた重い重い罪と復讐を背負わせようとしている。


全てのもの達は、そうして自らの残酷さを懺悔した。


自らの過ちを知って初めて、彼女の事を想った。


彼ら、彼女らの様子を見て、彼女は微笑んだ。

その瞬間に一陣の大きな風が吹く。

女神アメティスタは駆ける。王都へと。

全ての復讐を遂げ、その身に全ての罪を受け止めるために。


***


アメティスタは王都へと辿り着いていた。

鬱陶しい兵隊を紫電で遠ざけ、城下へと踏み入って行く。進めば進むほど彼女の身体には浅黒い模様が浮き始めた。うねる蔦の様な、ともすれば茨の様にさえ見えるその模様こそ、積もりに積もった『悪意』と『害意』表れだった。それをひとりで背負い、彼女は進む。

果たして、王都で一番大きな広場へ着くと、彼女は怒りを込めて呼びかけた。

「――全ての愚か者達よ、良く聴きなさい。わたしはこの国の者達を赦しはしない。特に、国を背負う筈の地位ある者達を赦しはしない。お前達の行いは、善良であった筈の者達まで貶めたわ。恥を知りなさい」

そう言って神槍を横一線に振り払う。

空間が裂け、この国の貴族や王族、大富豪達がバラバラと降ってきた。神前であるにも関わらず、彼らは口々に汚い言葉をアメティスタに浴びせかける。

「ここに、諸悪の根源たる者達を集めた。皆、これから起こる事に目を反らすことは赦さない。大丈夫。見えなくても『視える』から。」

主犯となった者には公開処刑を。

そして、見て見ぬ振りをした者にはそれ視ることを、彼女は罰とした。

ぎゃあぎゃあと広場はどんどん煩くなっていく。最期の悪足掻きと、アメティスタに攻撃する者まで現れた。彼女はそれらを一瞥し、神槍すら使わずに弾き飛ばした。飛ばされた者はもう、生きてはいまい。

アメティスタは、いっそ凄惨な程美しい笑みを浮かべた。

謳う様に高らかに、女神は告げる。

「――さあ、贖罪の時は来た」

両手で神槍を持ち、くるりと刃の上下を変える。

一気に銀の切っ先を地面に突き立て死刑宣告を述べた。



「――悔い改めよ」



これが神の力なのか。強制的に視せられた者達は恐れ慄いた。

地響きと共に地面から槍が生え、広場に居た者達を貫いて行く。

地獄絵図と表現するのでは足りないほど凄惨な光景に、アメティスタは顔を歪めた。自分が決めて、覚悟して行ったことだ。誰よりも深く、刻みつけなければいけない。この眼に。

滝のように槍を流れ落ちる鮮血が広場を覆い尽くしていく。やがて、血の侵食が収まり、辛うじて残っていた生者の息の根が止まると、槍のみを残して全てが灰になった。


***


「ルゥッ、見えた! アメティスタ様だ!」

「分かってます!」

「私達は何をすればいい?」

「―――光と清浄の神が仰った通りに。お願いします」

「「分かった」」

フォルスとサリューが龍の姿で飛び去る。

私はというと、彼らに広場の前へと運んで貰っていた。


右手に恋愛と霊獣の女神(アメティスタ)殺しの剣を携えて。


少し前に遡る。

私はアメティスタ様に置いていかれた後、かつてアメティスタ様を神として創造した光と清浄の神を尋ねた。

得られた真相は一つ。

―――彼女はもう、神としてもたない(・・・・)

そう言って神は私の中から神殺しの力を取り出して、私の愛刀に宿してしまわれた。

それは半ば予想していた答えであり、そうであって欲しくないと、心の底から祈っていたことだった。予兆は確かにあったのだ。彼女はあまりにも――それこそ神とは思えないほど――人間らしかった。

かの神は仰った。

それがあの子の願いだと。

普通の人のように遊んで、食べて、寝て、勉強したり叱られたりして『生きる』こと。

だからあの子は無意識の内にどんどん人らしくなっていったのだと。同時に神である自分との違和感を膨らませて、人であった時の記憶の蓋を無理矢理こじ開け、更に人に近付こうとして壊れていった。記憶の箱の中には、まともなものなど何ひとり無かったから。


『心が壊れるって、ヘンだろう? 神なのに。確かに神にも感情はある。でもそれは壊れたりしないものなんだ。だって神だから。神っていうのはね、守護者であり調律者であり絶対者なんだよ。この世界を守るためのね。だから僕らに終わりはない。』

かの神はそう言って眼を細めた。

いつだったか、アメティスタ様が仰っていた事を思い出す。

光と清浄の神は創造神を探しているのだ。と。

創造神が世界と混ざりあったあと、最も先に誕生した神の一柱がかの神であった。この世の普くを照らし出し、穢れを滅し、始まりの半魂をその輝きで灼き裁いた。

かの神にとって、半魂は憎いものである筈なのに、アメティスタ様はかの神によって神に成った。――なぜ?

そう疑問を持った私を見透かして、かの神は仰った。

『灰狼、あの子は似ているね』

誰に。とまでは聞けなかった。どういう事なのか、とも。

『別に姿形のことを言ってるんじゃないよ。ただ、どうしようもなく似ていると思ったんだ』


――寂しがり屋なところが。


『あの子を助けたいなら、お前の持つ力で一度殺してあげな。そうして、心から願うんだ。女神アメティスタの復活を。神は“世界”から生まれる―――お前達が、あの子を生む“世界”となれ。』

そう、言うだけ言って、光と清浄の神は忽然と消えた。


私は、かの女神を救うために、かの女神を殺すのだ。

光と清浄の神の神気に当てられたのか、酷く胸の奥が疼く。

神殺しの力を持って、私は神殿の外で待つ二人の元へ急いだのだった。




そして、今。

誰にも邪魔される事なく、私は彼女の元へ向かう。寂しがり屋な彼女が、まだ待っていると信じて。

剣を構え、走る。

自分はもしかして泣いてるのかと思った。

しかし、頬をつたう滴は無い。

逸る心、昂る鼓動。刹那の時が永遠に感じられるほどの息苦しさ。胸を灼く焦燥。

この激情は涙が届かない領域にまで到達したのだ。

ならばいっそ、この高揚を抑える事なく。


私は、彼女を貫いた。


恋愛と霊獣の神殺しの力を、深々と彼女に。みるみると、赤いシミが彼女の服に広がった。女神も血は赤いのだと、どうでもいいことを思う。

不変の女神が今、滅びを迎える。


「……ルゥ?」

「はい」

「……遅かったねえ」

「すいません、待たせてしまいましたか?」

「……うん。ずうっと、待ってたの」


パキパキと氷が割れる様な音がする。ルゥはそれにかまわず、アメティスタを抱き寄せたまま、離さない。


「少し、『俺』の話をしましょう。――アメティスタ様が神に成った、その後の話です」


俺は、ひとりの女性と出会いました。

彼女は生まれつき目が悪くて、周りと自分の距離が掴めなくて、いつもどこかしら怪我をしている。そんなひとでした。不器用なところも、自分の境遇に負けず頑張っているところも、俺には眩しくて。……その人に恋をしました。やがて、彼女も俺に応えてくれて、俺達は家族になりました。

多くの屍の上に立ち呪わしい生まれを持つ俺が、失った筈の家族を再び手にしたのです。優しい日々に貴女への復讐を忘れて。自らの子供達が俺の手を離れ、妻に先立たれた後で、漸く俺は思い出したのです。貴女が俺にしたことと、俺の一族が貴女達にしたことを。

俺は貴女を訪ねて、神殿へ向かいました。今更すぎる復讐心を携えて。そこで貴女は死んだ様に眠って居たのです。しばらく様子を覗っていれば分かりました。貴女は誰かの願いを叶える時にしか、眼を覚まさなかったのです。


「……なあんだ。知ってたの」

「はい。貴女には神としてのチカラが、ほとんど無かったのですね。」

「……恥ずかしい、なあ。」

「神に成ったは良いものの、もとは人間三人分程の力を持っているというだけですから。……貴女のチカラは神として生きるには弱すぎた。」


俺は年老いて死ぬまで、神殿に通い続けました。殺す機会を覗っていたとも言えます。でも最期まで、俺は貴女を殺せなかった。その理由は今でも分かりません。でも、今ではそれが正しかったのだと思います。


「……ある意味、儀式の様な、もの、だったの。誰かの願いを叶える、度に、わたしのチカラは強くなった……」


身じろぎするのも辛そうに、アメティスタはそう言った。

砕けているのだ。彼女の身体は。手や足の先から水晶の様に固まって、音を立てる程ひび割れ、砕け、粉々になる。


「アメティスタ様」

「ん……?」

「俺の最期のお願い、聴いて下さいますか」

「……今のわたしじゃ、叶えられないよ」

「いいえ。今の貴女でも、叶えられるお願いです」



「――貴女が欲しいです」



その願いに、どういうことかと息を呑む。



「願わくは、貴女の全てが欲しい。過去はもう頂けませんが、貴女の今と未来を、狂おしいまでのその心を、それを宿す身体を、全て。」


俺に下さい。


「――それは、なんていう思い? わたしはそれを、知らない、の」

時間はもう残っていないから、早く叶えてあげたい。初めてわたしの側に居てくれた、優しいルゥの最期の願いだから。わたしをこうやって抱き締めてくれるのが、何よりも嬉しいから。

ひとりぼっちじゃない。

それが何よりも、心地よいから。



「貴女を初めて見たときから、眼が離せなかったのです。きっと、前世から。けれど、前世の俺は、貴女を憎む心の方が強かった。そして、添い遂げたいと願う別のひとを見つけました。今世では、始めから、この心は貴女に囚われてしまいました。あまりに強くて、自分でも制御しかねているのです。……驚かれましたか?」


少し、意外に思って頷く。

ルゥはいっそう綺麗に微笑んだ。


「この感情に名前を着けるとしたら、――恋愛。そう言うのではないでしょうか」


心が震えた。虚ろな自分の内側が、確かに埋まっていく気がした。頭の芯から揺すぶられる様な歓喜に、束の間、呼吸を忘れる。


「わたしを、愛してくれるの?」

「はい」

「ずっと?」

「はい」

「わたしが死んでも?」

「貴女が死んだら、後を追ってしまうかも知れません」

「……ルゥが、何度、生まれ変わっても?」

「それは分かりません。記憶を持ったまま生まれ変われるか分かりませんし」

「えぇー。ずっと、って言ってよぉ」

涙が落ちるから、下を向けそうにない。

アメティスタはルゥと眼を合わせた。

ルゥが苦笑して、アメティスタの目尻にくちづける。

「ですから、アメティスタ様が全力で、俺を捕まえに来てください。多分そうすれば、ころっと落ちてしまうと思います」


むう、と唇を尖らせ、頭をルゥの胸に押し付けた。

まだ人として生きていた頃。死ぬ前に聞いた心臓の音が煩くて、アメティスタは好きになれなかった。

でも今は、ルゥの鼓動が愛おしい。温かくて、力強い、生きている証。


「あのね、わたし、誰かに恋したことないの。恋愛なんて、全然わからないし。」

ルゥがアメティスタの首の付け根に顔をうずめる。



「――でも、ルゥを、愛してみたい」



我が儘かな。そう言って、アメティスタはぎこちなく笑った。

いいえ、いいえ。そう言って、ルゥは更に強く、アメティスタを抱き締める。二度と離さないという様に。


ありがとう。ルゥ。


そう言えたかどうか、アメティスタにはもう分からなかった。

彼女の身体は完全に砕けて、空へ空へと舞い上がっていく。ルゥが離すまいとする腕をすり抜けて、アメティスタは誰の手も届かない場所へ行く。

残酷さを纏ったその光を見ながら、ルゥはひとり天を仰いだ。

「貴女が、俺の世界の始まりだったんです」

苦しそうに胸に手を当てて、眼を閉じる。

「アメティスタ様――」


その時ルゥがなんと言ったのか。

それは彼の言葉を攫って行った風しか知らない。

――苦しみも憎しみも、貴女は持って行ってしまった。















それなら、俺も連れて行って欲しかった。

ここまでお付き合い下さり、ありがとうございました!

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