宗教(聖書)による支配の開始
地球人類の前に公然とは姿を現さない方針のシグマ帝国は宗教(聖書)を用いて地球を適正な方向に導くことにした。
だから、聖書なんて神聖なものじゃないですよ。
それは「聖書には嘘も書いてある。でもその嘘を本当のこととして考えると理想国家実現のためになる。」ということだけであろう。
以下のように考えればつじつまがあうと思われる。
この地球文明がもっと発達して、宇宙旅行なんて簡単ってな時代になった地球人類が、他の未開人類の生息する星を見つけたとして、その未開人類に対して行うことが、聖書みたいなものが神秘的な神によって書かれたことにして導いていくことだと思うのです。
今の時代でも、そこまで考えの及ばない人は、未開人類側ですし、考えの及ぶ人は、未来の人類側(ある意味「神」)です。
天動説、創造論を含め科学的に間違ったことを聖書が書いたのは、精神文化というか政治的に未熟な社会で、科学技術が発達するのを抑えるためだと思うのです。
日本の戦国時代に、近代兵器が使われたら、今のアフリカ諸国で多発している低レベルの内戦のように悲惨なものになったと想像できませんか?
それが世界中で起こるのです。
ダビンチやガリレオの時代に正しい科学を聖書が抑えなかったら、かえって不幸な世の中になったと思います。
当該天動説、地動説の誤りについては、「『聖書によれば、あなたは神です。』と言われた男の体験談」に書いていることの他、宇宙人の存在を想像させない効果があったものと思われる。
「神なんていない。」というのは真実です。
神が自分以外の存在であると考えた頃の感覚だったら、神というのは超人的な存在で、天から降りてこられるとか、全知全能の存在であるとかいうふうに考えてしまいます。
「神なんていない。」といっている人の何割かは「神も仏もあるものか。」という趣旨であり、また何割かは「自分が神じゃないかな」という風に思ったことで、神なんていないという結論に達した人であろうと思われる。
「自分が神じゃないかな」と思う段階は色々あると想像できるわけで、もっと上があるかもしれないけれど、私が「自分が神じゃないかな」と思ったのは、聖書の嘘の真意が多少理解できて、「私もそう書くわ。」つまり「私も聖書が書ける。」ということで、聖書とは神及び神から啓示を受けた者が書いた物という定義からすれば、聖書が書ける私は神といえるという結論に達したというわけ。
神秘的な話じゃなく論理的な帰結です。
神の意味も、ここでいう未来の人類側ないしシグマ帝国側の支配者ということであって、勿論神秘的な神という意味ではない。
聖書は神及び神から啓示をうけた者が書いた物であるというのは白々しい嘘であって、聖書を読んで、自分も聖書と同じようなことを書くなあと思えるぐらい悟りを開くと、
なあんだ、聖書というのはこの境地に達した人が、神が自分以外の存在であると考えているような段階の人に、神が書いたんだとありがたがらせているだけの書物だと思えるのです。
それじゃあ、その境地に達した人なら誰でも聖書が書けるのか???
その境地に達した人なら自分勝手に聖書を書いてはいけないと悟っています。
このほか、
科学技術が究極まで進んだ状態の未来人類社会、あるいは現人類を導いた現聖書を書いた宇宙文明社会は、霊魂みたいなもの、霊界のような世界を創れる科学技術を持って、現世で存在する社会を適正に維持するために、前世の行いに対して次の生まれ変わり先を決めたり、間違って生まれ変わった人を人生の途中で苦難に陥れたり、その逆をしたりできる。
何かの宗教がらみかの本で、金星ですごく科学文明が発達して、そこの人達が地球の霊界みたいなものを作ったとかいう風に書いてあったのを読んだ記憶があるが、神秘的にではなく、科学技術として、霊界みたいなものを作れるのではないかとも私は想像する。
つづく