無防備にもほどがある
暑苦しい夜には、ひとり部屋に居る方が良い。
こうやって大勢の人の集まる酒場にいても、暑さが増すだけだというのに。
「薬師さん、足の薬って、日持ちがしないでしょう?」
宿屋に入った瞬間に、熱視線を集めてしまったのは、仕方がない。
けれど、それがこんなに夜遅くまで長引くとは思わなかった。
(夏祭りの踊り子といっても、まだ少女集団だしなぁ)
誘う、というよりも憧れの思いの強い視線にラバスは内心ため息をつく。
「そうだな。傷薬と違って、疲れを取るためのものは、作り置きが出来ないし」
「そうなの! でも、疲れているとその薬を作ることすら面倒になってしまって……今夜、薬師さんが宿屋に来てくれてよかった」
ニッコリと微笑む傍らの少女に微笑みかけてから、ラバスは2階から降りてくる仲間の姿を目に留める。
「? リナは?」
しかし、その後ろからいつも覗く顔がないことに首をかしげると、ガリオルは肩をすくめて首を振った。
「気分が悪いんだと」
ラバスの周りが埋められているためか、ガリオルはリーダーであるダイの傍に腰を下ろした。
「さっきまで、腹へったって騒いでた奴が?」
面白そうに笑うダイに、それならと立ち上がろうとラバスが動く。
一応、パーティの仲間の具合が悪いなら、そこらの少女たちより優先させるのは当然だろう。
しかし、それは今降りてきた仲間に止められることになる。
「薬はいらないって言ってたぞ」
飲んだら余計に気分が悪くなるとも。
付け加えられた一言。
翻訳するなら「ラバスは来るな」ということだ。
「……なんだよ、それ」
「流石のリナも疲れたんだろう。今夜はお前のリップサービスの助手は嫌だってことじゃないのか?」
ビールを飲むダイの軽い言葉に、眉を軽く上げる。
「助手なんか頼んでないけど?」
語外に、疲れさせた覚えないはない、と告げるとダイは呆れた顔でラバスを振り返った。
いつも、リナを引き合いに出すのは、それなりの理由がある。
ダイやガリオルが居ないにも関わらず、リナは酒場に顔を出すことが多い。
それは、彼女なりに自分の目的の情報を聞き出そうとしているのだろうが、その姿はどこか危なげに見える。
だからこそ、つい用もないのに酒場に入り浸り、何かありそうになるとそれとなく声をかけて他の客に注意を促すのだ。
「だったら余計に構うな。あいつはそれほど強くもないけど、弱くもない」
花瓶に水を入れて、階段を登る。
普段、冒険者のような旅をしているおかげで花瓶の中の水は少しも揺れない。
多少の物音でも耳の良いものは目を覚ましてしまうだろう。そう思って、気配をけして目的の部屋に近づく。
トントン。
一応、部屋に入る前にノックをする。
気をつけていれば、聞こえるが、そうでなければただの家のきしむ音で片付けられるくらいに小さく。
その配慮は着替えのために先の戻った彼女に注意を促すためだ。
充分な時間をとってはいるが、万が一ということがある。
否の返事がないので、ドアを開けると、少女の姿が見えた。
(……おいおい)
着替えをして、それでも水に濡れた体は寒かったようだ。体にシーツや薄布団を巻きつけて待っているうちに眠くなってしまったらしい。
起きていれば返すつもりだったのだろう。手にはラバスの持っていたショールを握ったまま、そこには、ベッドに背を預ける形で座りながら眠りこけているリナがいた。
ラバスは仕方なく、手にした花瓶をそれが置いてあったであろう位置に戻し、リナを見やった。
「さっきまで充分寝てたんじゃなかったのかよ」
呟くように声をかけても、さっき花瓶の倒れる音を聞きとめたはずのリナの目は覚めない。
「まぁ、確かに疲れてたってのは本当か」
ダイが、店の者にリナの部屋に食事を運ばせてはいたが、食欲が満たされたからといって疲労は回復するものではない。
ラバスは器用にリナを床から抱えあげると、ベッドの上にその身をそっと降ろす。
ナイトテーブルの上に、ついでに浄化した水を水晶の水遣りに置き、思い出したようにポケットの中から何かをとりだした。
寝つきのよくなる香草のサシェだ。
「お守りがわりってとこかな」
ゆっくりと閉じられた部屋の中に、心地よい香りの空気が広がる。
一種の空間が作り上げられた中で、リナの寝息だけが、朝が来るまで続いていた。




