5話
参謀野郎の声に我に帰った。
俺の思考を呼び起こしたガリガリのメガネ野郎を睨みつけてやる。
本心としては舌打ちと唾を吐き捨ててやりたい所だが、大の大人がやるとみっともないので自重する。
「………何かあったのですか?」
「コイツが死にたがってるから脅してやっただけっスよ!んーな事より出来たんすか?」
参謀改めメガネ野郎はキザったらしく身体を開いて後ろを見るように促した。
「貴方にはこれから磔になって頂きます。
精々目立って民衆を先導するのに一役買って下さいね。
最も貴方の一番のお役目はタンクということになるわけなんですが。まぁ、精々どちらも頑張って下さい。」
意味は解らなかったが、これからされることは予測出来た。
何とも神様らしい。
十字に切られた柱に各手足首、そして首の位置と思われる場所。計五ヶ所に鎖とその先に輪っかがつけられていた。
ここで抵抗しても怪我が増えるだけなので促されるままに磔にされる。
しつこい様だが再度言う。
俺はドMじゃない‼
「教育の会がありましたね。態度は兎も角として、大分従順になって頂けたようでなによりです。これからもその調子で御願いしますよ。」
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口調こそ丁寧だが、その表情からは蔑み以外の感情が無いことが伝わってくる。
せめて利用される人間に同情の一つも表せないのだろうか。
俺は機械じゃない。人間なんだ。心だって持ってるんだ。
不快な言葉とその姿に自分の中の何かが熱を持つ。
その熱を感じる度に、俺は自分の胸を掻きむしりたくなる。
そしてそれを取り出して水で洗い流したんだ。
出来る訳がない。心なんて物質は存在しないのだから。
もし、それが型になったとしたら俺の心はどんなにおぞましい姿をしていることだろうか?
また一つ、穢された気がした。
穢れを知る度に思ってたはずなんだけどな。
もう穢れはしない。汚されはしない。傷付きもしない。壊れはしないと。
それはまるで骨折した骨が更に強度を増すように、俺の心も強くなってると思っていた。
それは間違いだった。
壊れ始めていたんだろう。
悲しみが解らなくなってきていた。
楽しい事がなくなっていった。
怒りの起伏が激しくなっていた。
なのに稀に傷付く瞬間がある。
時には削られ、時には割れて。
いずれ無くなると思っていた。
もう無くしたと思った時もあった。
でも気が付くと、それは胸の奥の方に残っていた。
いっそのこと消えてしまえとか思っても、出て行ってもくれない。
それが意思なのか、それとも只の意地なのかは解らない。
俺にとっては思考と感情は別物であるはずなのにな。
必要なんてないと言っているのに。
多分コイツは俺を守ってるつもりなんだろうな。
いつだって俺を助けようとしてくれてなんだろうな。
いつからかお前は助けを求めてたんだろうな。
なのに無視を決め込んだ俺にお前は伝えられなくなったんだよな?
御免な。
仇討ちのつもりだったんだ。
散策傷付けられてきた俺達の為の。
死ぬべきなんかじゃなかったんだ。
あの時、意地なんか張らずに逃げ出してたら、ここまで堕ちる事なんてなかったんだ。
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俺が磔になった後に各輪っかに黒く長く重い鎖が、似たような素材の南京錠によって繋がれた。
合計5本の鎖を手下達5人がそれぞれ持っている。
「その鎖は例え魔王であっても引きちぎる事は不可能です。
だからこの先何があっても逆らわず、従順でいてくださいね。
それでは始めて下さい。」
これが例の実験という奴なのだろう。
興味がない。
何も考えずに只眺めている。
「駄目ですね。」「こっちもだ。」「オーレも。」
鎖を持った逆の手から、あの火の玉を出してそれぞれがそんな言葉を返してる。
後の二人は両腕を開いて首を振ったり、ため息をついている。
「そうですか。」
メガネ野郎もそうなる事は解っていたと言うようにため息をつく。
視ようとすらしない。
俺も内心思う。そうですか、と。
失敗で間違い無いようだ。
これで俺の行く先は決まった様だ。まぁ、やるまでもなく解っていた事ではあるのだが。
その時、ふと気付く。
メガネが各手下達に何か目配せをした。
手下達が頷いている。
何かする気なのか?
その瞬間、豚が叫んだ。
「うあああああああああ」
またしても顔を真っ赤にしながら腰の剣を掴んだ。
豚が剣を抜きながら俺に向かって走ってくる。
その動きは遅く醜く無様ではあったが俺への殺意だけは伝わってきた。
まさかである。まさかこんな展開になるとは、思っても見なかった。
さぞや俺の顔は歪んだ笑みを浮かべていたことだろう。
まさかお前が俺にとっての救いの神になるなんてな。
「ふざけるなーー!」
憤怒の豚は振りかぶった剣を右の二の腕に叩き込んだ。
「あーーーーはっはっはーー!そーだよ!やれよ!」
俺は嬉しくて堪らなかった。尋常ではない痛みだというのにそんな事がどうでも良くなるくらいに。
豚の剣は二の腕を切断出来ずに骨で止まっていた。
それが悔しかったのだろう。足で俺を押さえつけ引き抜いてはまた剣を振るう。
同じ所を斬りたいのだろうが、それが出来ない。
「よくも!よくも我をたばかったなーー!
殺してやる!殺してやるぞ‼貴様はーーーーーー!!」
あぁ、堪らない。笑いが押さえられない。
コイツは俺を殺してくれるんだ。
「はーーっはっはー!そこじゃねーよ!そこじゃ死ねねーよ!ほら、こっちだよ!俺の心臓に突き刺せよ!」
剣の腕が無いのだろう。結局右腕は切断出来ずズタズタにされただけだ。
こんな事では死ぬのに時間が掛かってしまう。
だから、あえて挑発した。
「馬鹿にするなあーーーー!」
「ゴブゥ」
剣が腹部に突き刺さった。だから、そこじゃないんだけどな。
まぁ良い。これなら死ねんだろ。この後も剣を突き立ててくれさえすれば。
もっと楽に済むかも。
その時豚の後ろで手下が構えていることに気付く。
コイツは豚に何かする気だ。火の玉こそ作ってはいないが殺意が有るのは解る。しかも、豚は気付いてない。
駄目だ!このままじゃ台無しされる!
邪魔すんじゃねー!
そう叫ぼうとしたら口の中に溜まった血で言葉にならない。
畜生が‼またなのかよ‼
「やめろ!」
メガネが叫んだ。
何かに驚いた様だ。
手下に対して叫んだように見える。
豚も手を止めている。
その顔は驚愕を現していた。
「なんだ。お前は。」
今更何言ってんだよ。コイツは!
お前のせいで中途半端に意識が残ってるというのに。
早く殺されたいのに、豚は遠ざかってゆく。
その姿に冷静さを取り戻してゆく。
そして、あることに気付いた。
「痛くない」
おかしい。あんなに剣を突き立てられて痛くないなんてあり得ない。
そう思って腕を見た。
血が止まっている。だけじゃない‼
腕に赤い線が幾重も浮かび上がっている。これは血管なんかじゃない。血管はこんなに直線的じゃない。まさかこれ全身に起きてんじゃないのか。
いいや。それよりもヤバい事が起き始めた。
赤い線以外の場所が黒く変色し始めた。褐色なんてものじゃない。
本当の黒だ。まさに烏のように。
それが全身に広がって行く。そして線も全身に浮かんでいた。
こんなことあり得ないだろ。これじゃ俺は。
「化け物じゃないか。」
「いいえ。違います。」
ソイツは歩み出てきた。
「貴方は正確には魔神です。
まぁ私達にはどちらも大差ありませんがね。」
メガネは答えると再度実験を命じた。
「出ましたぜ!」
何かかが俺の中から流れ出ていた。
それはとても大切な物なような気がした。
なんとなくだがそれは俺の心の型だというのは解った。
それはまさに今の俺の姿に見合った心を表した様だった。
それを見ていたら涙が出てきた。
男は黒く蠢く蟲のようなそれを俺に見せながらこう言った。
「これが魔法だよ!世界中でテメーと魔王達だけが使えるな!」
「御免な。」
あれは俺の心だ。
あんな物が。
でも、あんな物にしたのも俺だった。
「おっと、テメーに大事な事伝えねーとな!
もうテメーの恋人は紹介してくれなくていいからよ!」