【詩】果ての美しさ
「果ての美しさ」
折れ落ちた大枝に、
たわわに桜の咲いて。
可憐な薄い八重は、
着飾った少女のような。
近く枯れる
その時まで、
哀しくも
こんなに美しい。
満開の艶やかさのまま、
ゆっくりと果てていく。
果ての見える
いのちの尊さと、
胸を打つ痛み。
枯れまいともせず、
ただ咲き誇るままにいる、
桜の枝のいのちの
そのままを見送ること。
いのちとは、
すべてを自然のままに
まかせることなのか。
春の川を
漂い流れるままの
花びらの群れ。
夕暮れの空を
たなびくままの
薄茜の雲たち。
流れたなびく先は知れず、
群れはただ従うのみ。
果ての美しさを湛えて。
==蛇足ながら==
散っていく桜の儚さも、八重桜では少し異なります。花の時期が長いように思います。その八重桜の一本の大枝が折れて地面についていました。満開の花を湛えて。
今日折れたのか、昨日なのか、わかりませんが、とにかく最近でしょう。まるで咲き過ぎた花の重みに耐えかねて、枝が割けたようにも見えました。その姿が哀れに思えて、この詩を書きました。
そのような風情を感じて頂ければ、嬉しく思います。
お読み頂いてありがとうございます。