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十一月二十五日――泡沫人はおたずねもの

《お尋ね者》

警察などが行方を追っている犯罪容疑者。

 それからどうやって家まで辿り着いたのかは分からない。荷物を一つも持たずに帰宅した僕を見て、死神は目を丸くしたけれど、僕の顔色と形相を見て足早に近寄ってくる。

「何かありましたか」

 僕はごろりと熱い唾を飲み込んで話し出す。唸るような響きで声は掠れ、潰れて、さながら恐怖映画の連続殺人鬼のようだった。息が乱れているせいで言葉が途切れ途切れになってしまうけれど、気にしているだけの余裕はなかった。

「ちょっと……思い出した。あの日、西村将人が殺されたのは、音楽準備室で、凶器は時計。誰か襲われて……悲鳴が。名前を呼ばれて……僕が……押さえ込んで……頭の後ろを」

 もはや文章にすらなっていない支離滅裂な言葉の羅列を、死神はあごに手をあてて考えこみながら聞いていた。どうやったら効率よく仕事をこなせるか考えているのだろうな、と僕は熱に浮かされたような頭で考える。

 僕がどろどろした熱い言葉をみんな吐き出してしまったあとで、死神は僕をベッドに座らせてから呟くように言った。

「澪さんが殺した、と断定してしまうのは早計でしょう。まだまだ分からないことは多いですし、全て澪さんの脳が創りだした幻影だったという可能性も十分にありますから」

 僕はぞっとする。あれだけリアリティのある『記憶』が、脳が創りだした単なる映像にすぎないとはとても思えない。

 死神が続ける。

「今日、私も裏手の山を調べてきたのですよ。何か手がかりがあれば仕事がスムーズに運びますからね。結論から言うと、どれも決定打とは言えませんが、いくつかの手がかりは掴みました」

 僕は思わず身を乗り出す。死神は革手袋に包まれた長い指をぴんと立て、話し出した。

「まず、足跡です。澪さんが昨日何かを探していた、道を外れた斜面のあたりで、明らかに成人男性のものではない足跡がいくつも見つかりました。二十三センチメートルくらいのサイズでしょうか。見たところ量産品の運動靴のようなので、身柄の特定は難しいのではないかと思います。散歩などで立ち入る場所ではないですし、わりと新しそうでしたから、西村将人なる人間が発見された前後のものと見て矛盾はないでしょう」

 身柄の特定は難しい、と聞いて奇妙な安堵を覚えた自分に、一拍遅れて違和感が湧き上がった。まるで僕の中にもう一人、誰かがいるみたいだ。おそらく、川に記憶を落っことす前の僕。なあ、お前なら全部全部知っているんだろ? 教えてくれよ。あと五日で死ぬんだぞ? 

 呼びかけてみても反応はない。当たり前なのに無性に苛立って、腹をこぶしで殴りつけた。死神の言葉を待つ。

「それから、昨日の澪さんが探していたもの。どうやら貴方自身では何を探しているのか分かっていないようでしたが、大まかな予想はつきました」

 死神が置いた一呼吸が、やけに長く感じられる。

「おそらく、あってはならないはずの証拠です」

 あってはならないはずの証拠?

 困惑顔の僕に、死神は言う。

「いいですか、貴方はあの裏手の山で、何か不都合なものがないかどうか確認していたのです。それは証拠でしょうが、何の証拠なのかは分かりません。もしかしたら殺人の証拠かもしれませんし、自分や誰かがそこに立ち入ったことを示す証拠かもしれません。逆に、死んだ西村将人が残したものということもありえます。とにかく、貴方は斜面に這いつくばってそれを探していたのでしょう。あるかないかは分からない。でも、あっては困る。そういう類のものだと思いますよ」

 そして、と呟いた死神の口調は半ば独り言めいていた。ごくりと飲み込んだ息が気管にまとわりついて息苦しい。

「すぐに警察官が来てしまったせいで、貴方はそれを見つけられなかったか、あるいは、もとからそれは存在しなかった。貴方は何も思い出してはいなかったし、何も言っていませんでしたからね。

 それが『無い』ということは証明できません。まだ見つかっていないだけだということを否定できませんから。しかし、どうやらそれは目立つものではないようです。警察がすでに押収した可能性はゼロではありませんが、関係ないものとして処理されているのではないかと思います。若干希望的観測ではありますけどね。学校では、それらしき騒ぎはなかったのでしょう?」

 僕は頷いた。各学年を出来る限りずっと見ていたけれど、どのクラスでもそういった騒ぎはなさそうだった。帰りのショートホームルームは出席していなかったので、それに対してはなんとも言えないけれど。

 少し落ち着いた僕を見て、死神が微笑んだ。

「ところで、今日の夕飯は何にしましょうか。澪さんの人生はあと丸四日と少ししかないのですよ。食べたいものは食べておかないと損です。何か希望はありませんか?」

 全身から力が抜けた。ものすごく抜けた。

 どことなくうきうきした調子だ。随分と食い意地の張った死神だ。希望を聞いたところで、つくるのはどうせ僕なのに。

 今から買物に行って夕飯をつくるのは、正直ちょっとおっくうだった。でも生き生きと輝く死神の目を見ていると、なんとなくそう言い出せない。

 仕方なく、今日はトマトリゾットにすると言うと、死神は視認も難しいほどの速度でドアの向こうに消えたかと思うと、三分ほど経ってからまた現れた。手には僕が教室に置いてきてしまった鞄が握られている。

「あの、裏手の山の調査もそうですけど、一体何をしたんですか?」

 呆然と死神の笑顔を見ながら言うと、案の定、いつもの答えが返ってきた。

「死神ですから」

 全部それで誤魔化そうとしていないか?

 夕飯の時間は穏やかに過ぎていった。死神はトマトリゾットもいたく気に入ったようで、何杯もおかわりをした。僕はあまり食欲がなかったので、皿に半分だけ食べた。

 食後、皿を洗ってからテレビをつける。どこかの国の国立公園内で大規模な火事があったと、キャスターが深刻そうに眉根を寄せて話している。かと思えば、急に明るい表情になって、大物芸能人同士のカップルが誕生したと騒ぎたてた。予想通り事件については何も触れられなかった。世間はすっかり忘れ去っているのだろう。

 拍子抜けするくらいに穏やかな夜が過ぎていく。風呂に入ってベッドに体を預けるころには、ずっと冷静に物事が見られるようになっていた。頭が冷えた、とはこういうときに使うのだろう。

 何度反芻しても、疑ってみても、やはり音楽準備室での『記憶』は本物だとしか思えない。耳にこびりついた女の悲鳴と泣き声、男の下品な哄笑はあまりにも生々しいし、今では、かあっと頭に血がのぼった瞬間の、あの眼球が真っ赤に焼ける感覚までもが鮮明に思い出せる。その後のことは曖昧だけど、このまま行けば思い出せるかもしれない。

 こんがらがった糸を上手くほぐすというよりは、乱暴に引きちぎるような感覚ではあったけれど、前に進めるのならそれでも構わなかった。

 寝返りを打つ。とろとろとした眠りが、足音を殺して忍び寄ってくる。

 図書室のカウンターの女の子。長い黒髪に白い肌、華奢な体。何故だか分からないけれど、どうしても気になる。責めるような眼差しの意味や、彼女が言いかけた言葉や、僕の名前――。

 はっとして目を開ける。

『――澪くんっ!』

 悲鳴が。僕を呼ぶ声が。

『澪くん、浅木澪くん』

 哀しげな、すがるような声が。

『ふざけてるの、澪くん』

 責めるような声が。

 ――それらの声が、一つに重なる。

 意識がもったのはそこまでだった。睡魔が高笑いしながら僕の意識をさらっていく。いくつもの声と勝ち誇ったような笑いの中で、僕は眠りに落ちた。



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