例えば、こんな段ボール
私は元々もっと違う紙だったらしい。
蒸気と機械音に満ちた工場から、出荷センターに運ばれた私はその後、納品先のロゴを印刷されると、折りたたまれ、お尻のあたりをテープで固定された。
ほぼ平面の状態から組み立てられた私の身体の中には、今度は発泡スチロールに覆われたものとともに小冊子が何冊か入れられ、最後に何桁もの番号を刻印されてから、薄暗い倉庫へと運ばれた。
私はそこで数ヶ月の間、眠りに入っていた。
やがて時が過ぎ、自動倉庫の正確だけど荒っぽい手つきで明るいところへ運ばれた私はそのままトラックに積み上げられた。
そして、着いた先は郊外のホームセンターだった。
そこの店員と思しき人は、私の中から発砲スチロールに覆われた品物を取り出し、商品棚に並べていた。私と一緒に運ばれてきた仲間達の多くは、まだ封がされたままバーコードと赤い番号札のシールを貼られて、商品棚の下に積まれている。どうやら、私を含めていくつかだけが開封されたようだ。
バラされた私は、今度はそのホームセンター脇に他の大小様々な仲間達とともに重ねて置かれることとなる。
その場所には、「段ボール箱、必要な方はご自由にお持ち帰り下さい」との張り紙が。
捨てているとも捨てていないとも言えない、何とも中途半端な扱いだった。
幸いと言うべきか否か。
ホームセンターの脇に積みおかれた私の身体は、その日の内に新しい持ち主の手に渡ることとなった。
その新しい持ち主となる人物は、積まれていた私を含めた仲間達を幾つも手にとっては、考え込み、やがて私を含めて五つほどの仲間達を抱えると、乗ってきた車のトランクに荒っぽく放り込んだ。
ホームセンターまでの道のりと違い、今度は乗用車に積まれた私はその新しい持ち主の家に着くや、かつてのように折り曲げ、組み立てられ、お尻のあたりをテープで固定された。以前は、透明なテープが使われていたのだが、今度は茶色のテープ。ガムテープと言うらしい。
そして再び組み立てられた私は、大きく開けた口から新聞紙に包まれた幾つもの品物を詰め込まれた。人間が食事の時に使う「お皿」というものらしい。
やがて、これ以上は入らないと判断されたのだろう。今度は私の口がガムテープで固定され、固定したテープのあたりにはマジックで「お皿(中+小)」と殴り書き。
そのまま三日ほど過ごした後、またまたトラックに積み込まれた。
私達一族は、つくづく車に縁のある存在らしい。
結構な時間、トラックに揺られた私は他の仲間達とともに真新しいアパートに到着。
そこから、何人もの手を介して中に運ばれ、私の中にしまい込まれたお皿達もどんどんとこれまた新しい食器棚に並べられていく。
私の中に入れられたものは、悉く棚に並べられるように出来ているらしい。
私自身は、というと、ここでまたお尻のテープをカッターで丁寧に切られると、再び折り畳まれ、今度は新しいアパートの押し入れの中にしまい込まれたのだった。
そうして、何年もの時を私は押し入れの中で過ごすこととなる。
次に目覚めた時。
つまり、再び組み立てられた時。
私の中に最初に入れられたのは、古ぼけた毛布だった。
次いで入れられたのは、いままでとは違い何だかもぞもぞと動くもの。
しきりに「ニャー、ニャー」と鳴く小さな生き物。
いままで、家電製品や食器は入れられたが、生き物を入れられるのは初めてだ。
その生き物がしきりに鳴くのもお構いなしに、私はそれが入れられたまま、いつかのように車に乗せられ、いずこかへと運ばれた。
やがておろされた場所。
そこは、いずこともしれぬ公園のベンチのそば。
私をその生き物と毛布ともども置いたかつての持ち主は、逃げるようにしてその場を立ち去った。
残されたのは、私とその生き物と毛布だけ。
不安で仕方ないのだろう。
その生き物は、人がいなくなったにも関わらず、しきりに鳴き続ける。
声が出せるのは幸せなうちだ。
私と毛布は、声を上げることなど出来ないのだから。
私と毛布の分まで、精一杯声を上げていて欲しいものだ。
私はそう思っていたのだが、やがて力尽きたのだろう。生き物の声も止み、日も沈み始めた。
もはやここまでか……。
そう思っていた時、私達の前で足を止める存在があった。
人間の男の子だ。
まだ小さな子のようだ。
その男の子は、小さな手を伸ばし、私の中から弱っている生き物を抱え上げた。
男の子の腕の中でその生き物は小さな鳴き声を上げる。これが最後の助けてもらえる最初で最後のチャンスだと思ったのだろう。その挑戦は是非とも成功して欲しいものだ。
男の子は、じっとその生き物の顔を見ると、不意にまた私の中にその生き物を戻した。
これはダメだったか……。
瞬間、絶望感を味わった私だったが、その思いは良い形で裏切られることとなる。
男の子は、その生き物を入れたまま、私ごと持ち上げると
「猫、うちに行こうな。」
とその生き物に声をかけ、小走りに公園を抜けていったのだ。
私は安堵するとともに、私の中にいる生き物が「猫」というものであることを、この時知った。
憶えておこう。
やがて、男の子に家と思しき場所に連れられた私達は、その家の廊下に置かれた。しばらくすると、牛乳を注がれた皿が私の近くに置かれた。私も毛布も牛乳は嗜まないので、猫に出されたものなのだろう。
臭いというものに釣られたのだろう。
私の中の猫がもぞもぞと動き出す。
ただ悲しいかな。猫は体力の消耗が激しいらしく、なかなか這い出せないでいる。ただでさえ、この猫の身体はまだ小さいのだ。ああ、私が少しでも私の身体を傾けることが出来たなら、毛布が少しでもその身体を持ち上げることが出来たなら……。
私の抱えるもどかしさを感じ取った……というわけでもないだろうが、男の子とは違う人間、牛乳を運んできた家人は私の中に手を入れ、弱っている猫を持ち上げる。男の子よりもずっと大きな手の持ち主だった。
その大きな手は、猫を皿の近くに。
猫は最初戸惑っていたようだが、空腹には勝てなかったのだろう。すぐにいささか頼りない仕草ながらも、その舌を皿に満たされた牛乳で濡らした。
家人に感謝。
やがて腹がくちたのだろう。
猫は皿を舐めるのをやめ、またもぞもぞとその小さな身体を動かし始めた。
どうやら、また私の中に戻ろうとしているようだ。
家人もそれを察したのだろう。
再び、その大きな手で猫を持ち上げ、私の中に猫を入れようとしたのだが……。
途中でその手を止め、一旦猫を廊下に座らせた。
そして、一旦その場を離れ、戻ってきた時、その手には比較的綺麗なバスタオル。家人は、私の中の毛布を引っ張り出すと、そのバスタオルと入れ替えた。引っ張り出された毛布は、そのまま家人につままれたまま、いずこかへと。
名残惜しいのか、猫はその毛布にしがみつかんばかりの勢いで鳴いていたが、家人の大きな手には抗えず、真新しいバスタオルの敷かれた私の中に入れられた。
ああ、猫よ。我が物言えぬ友への哀惜の声、ありがとう。
それからどれくらいの日が過ぎただろう。
猫はぐんぐんと成長し、ねぐらにしていた私の身体では少々もてあまし気味になっていた。
家人は、猫のために真新しい専用ベッドを用意し、トイレともどもその猫の行動に対してある種のしつけを始めていた。
そして、猫が私の身体の中で眠る割合が減り始めた矢先のこと。
私の身体は、また折り畳まれた。
家人の手につままれるようにして運ばれる私を見た猫は、名残惜しげに暫く家人の後について歩き、家人が家の出入り口付近で私をおろした時などはその身をすり寄せてもくれたのだが……。
いかな猫とて、家人の行動を止めることは出来なかった。
私の身体は、他の私の仲間と思しき段ボールとともにガムテープでぐるぐる巻にされ、上からその街で使われているゴミ捨てのシールが貼られた。
私を組み立てる時に使われたガムテープは、私を捨てる時にも使われるのか。
そんな私の姿を見て、猫もあきらめがついたのだろう。
一声だけ名残惜しそうに鳴き声を上げると、再び家の中に戻っていく家人の後についていった。
ああ、猫よ。思えば、私の中で時を過ごした者の中では、お前だけは棚に並べられなかったな。
しかし、それでいいのだ。
そして、もう私のことは忘れるのだ。
ただ、私のために鳴いてくれたことにだけは感謝しよう。
あと何日かしたら、私は家人の手により、廃棄物として表の通りに出されるだろう。
しかし、考えるに、私にとってこういうことは初めての経験ではない筈だ。
おそらく、記憶にないだけで以前にもこうしたことはあった筈。
そして、寄せ集められ、またどこかで違うものとして生み出されて行くのだろう。
そう思うと、ふと私の中である願い事が生まれたのだった。
今度生まれ変わっても、もう生き物、特に猫が入れられることはないように。