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猫と、ちょっとだけ不思議な話

先住猫の憂鬱

作者: ぎんか
掲載日:2026/09/14

 うちの猫は、私の愚痴を聞くのが好きだ。


 毎晩仕事から帰ると、玄関のドアを開けた音を聞きつけて、ミタラシが小走りで迎えに来る。私が着替えを済ませてソファに腰を下ろすころには、当然のように隣にやってきて丸くなる。私はその背中を撫でながら、今日あった理不尽なことを話す。上司が会議で手柄だけを持っていった話。取引先からの無茶な依頼の話。帰りの電車で、後ろの人に思いきり足を踏まれた話。


「聞いてよ、ミタラシ。本当にありえないんだから」


 ミタラシはじっと聞いてくれる。たまに「にゃあ」と相槌を打つように鳴く。その声を聞くと、一日の疲れがすっと軽くなる気がする。


 「もう今日は疲れた」と私が呟くと、ミタラシは決まって前足をそっと私の膝に乗せてくる。


「慰めてくれてるの?」


 そう聞くと、ミタラシは私の顔を見上げて、ゆっくり瞬きをする。私は、それが「大丈夫だよ」という意味だと思っていた。


 これはもう、相思相愛と言っていいと思う。


 ただ、最近すこし気になることがあった。ミタラシが、以前より苛立っているように見えるのだ。撫でようとすると耳を伏せる。愚痴を話している最中に、ふいっと顔をそむける。先週などは、私が話している途中で、ソファから飛び降りて隣の部屋に行ってしまった。


(疲れてるのかな)


 そう思ったが、考えてみれば無理もない。私が仕事に出ている間、ミタラシはこの部屋に一匹きりだ。誰とも遊べず、誰とも話せず、ただ日がな一日、窓の外を眺めて過ごしている。寂しいに決まっている。


 友人にその話をしたら、「二匹目を迎えてあげたら」と言われた。猫は単独行動を好む生き物だと聞いていたので迷ったが、寂しそうなミタラシの顔を思い出すと、決心がついた。


 保護猫の譲渡会で、トライアルという制度を知った。何匹か候補の猫を順番に自宅で預かり、相性を見てから正式に迎えるかどうかを決められるらしい。これは良い、とさっそく申し込んだ。


 ところが、一匹目のキジトラを連れて帰った瞬間、ミタラシが毛を逆立てて「シャーッ」と威嚇した。キジトラはびくりと後ずさり、私はあわてて二匹を引き離した。数日様子を見たが、ミタラシの態度は変わらなかった。


 二匹目の黒猫のときも同じだった。むしろ初日より威嚇の勢いが増していたくらいだ。三匹目の三毛猫にいたっては、私が目を離した隙に部屋の隅まで追いかけまわしていて、慌てて仲裁に入ったほどだった。三毛猫は怯えてキャリーに逃げ込み、それ以来、私が近づくだけで身を縮めるようになった。


「ミタラシ、そんなに気難しい子だったのね……」


 私は少し落ち込んだ。友人に相談すると、「相性の合う子が見つかるまで根気強く」と言われたが、正直、次の候補を探すのも億劫になっていた。


 それでも、これが最後のつもりで申し込んだ四匹目――生まれつき耳が聞こえないという、白い子猫だった。トライアルを始めて数時間、私は身構えていた。今度もシャーッとやるに違いない。


 しかし、何も起こらなかった。


 ミタラシは白猫のそばに近づいていくと、匂いを嗅いで、そのまま隣に座った。威嚇どころか、まるで最初からそこにいたかのような落ち着きようだった。私は思わず拍子抜けした。


「あら、この子とは仲良くなれそうね」


 私は胸を撫でおろした。こうして白猫――シラタマと名付けた――は、正式にうちの一員になった。


 それから数週間、二匹は驚くほど平和に暮らしていた。朝、私が身支度をしている間、二匹は窓辺で並んで日向ぼっこをしている。夜、私が帰宅するとミタラシが迎えに来て、少し遅れてシラタマも顔を出す。私は相変わらず、帰宅するとミタラシに愚痴を聞いてもらう。シラタマはその隣で、素知らぬ顔をして毛づくろいをしている。二匹がじゃれ合う様子を見ると、二匹目を迎えて良かった、としみじみ思った。


 シラタマが眠っていると、ミタラシはそのそばを通るときも、起こさないようにそっと歩く。私はそれを見て、ミタラシはやっぱり優しい猫なんだと思った。


 少し前、見守りカメラのアプリに新しい機能が追加された、という通知が届いた。「感情解析」というものらしい。鳴き声だけでなく、耳や尻尾の動き、ひげのしぐさからも気分を読み取れるようになったという。留守中の様子が気になっていた私は、さっそく試してみた。


 昼休みにアプリを開くと、ミタラシのそばに「警戒」のアイコンが出ていた。シラタマには「緊張」。


「あらら、まだ慣れてないのかな」


 と思ったのは最初の週だけで、そのうち二匹のアイコンは並んで「安堵」に変わった。私はそれを見て、ふふ、と笑った。ちゃんと仲良くなれているようだ。


 さらに数週間後、アプリがまたアップデートされた。今度は感情だけでなく、鳴き声やしぐさの一部を単語として拾えるようになったらしい。完璧な会話にはならないが、断片がぽつぽつと表示されるようになった。


 ある昼休み、カメラを覗くと、二匹がソファに並んで座っていた。ミタラシがシラタマに顔を近づけている。画面の下に、こう表示された。


  ミタラシ:また/大変/逃げたい


 私は首をかしげた。


「何の話かしら」


 きっと猫同士の、じゃれ合いのようなものだろう。私はそう思って、画面を閉じた。


 数日後、また似たような表示を見た。今度は夜、私が帰宅する少し前の時間帯だった。


  ミタラシ:無理/我慢/疲れた


「我慢?何を我慢してるのかしら」


 私は首をひねりながらも、特に気にとめなかった。猫の言葉なんて、人間に完璧にわかるはずがない。翻訳アプリだって、まだ発展途上なのだろう。


 シラタマを迎えてから、ミタラシが以前ほど苛立った様子を見せなくなったのも、私にとっては良い変化だった。きっと、話し相手ができて寂しさが紛れたのだろう。二匹目を迎えて、本当に正解だった。


 ある晩、いつものようにミタラシを撫でながら愚痴をこぼしたあと、私はふと二匹に向かって話しかけた。窓の外はもうすっかり暗くなっていて、部屋には照明の温かい光だけが灯っていた。


「ねえ、二匹とも、私のこと大好きだよね?」


 テーブルの上のスマートフォンが、小さく反応していた。画面には、こう表示されるところだった。


  ミタラシ:好き/謎/困る


 けれど私は、そのとき鳴りだした着信に気を取られていた。友人からの電話だった。私は画面を切り替え、通話に出ながらリビングを離れた。


「最近警戒も取れてきて、仲良くなってくれたみたいなの!」


 電話の向こうの友人にそう言いながら、私は満足そうに笑った。


 カメラの向こうでは、私が部屋を出ていったのを確かめてから、二匹がようやく顔を見合わせていた。


  『今日も一通り、愚痴を聞かされたよ』とミタラシ。


 シラタマは耳を軽く動かし、ミタラシの張り詰めた尻尾の先を見てから、ゆっくり瞬きを返した。


  『また?』とシラタマ。


  『朝から晩まで三時間だ。ここのところ、毎日だぞ』


  『大変だな、お前も』


  『お前はいいよな。聞こえなくて』


 シラタマは少し間をおいてから、こう返した。


  『他の奴らにはシャーッてやったくせに、俺には何もしなかったな』


  『……あいつらまで巻き込むわけにはいかないだろう』


  『……そうか』


  『お前は聞こえないからな』


 二匹はしばらく黙って、それから示し合わせたように、また素知らぬ顔で毛づくろいを始めた。窓の外を車のライトが横切り、部屋の壁をゆっくりと照らして消えた。


 その夜、通話を終えた私は、二匹を撫でながら眠りについた。二匹とも、私のそばで気持ちよさそうに目を細めている。


 やっぱり、二匹目を迎えてよかった。私は、そう思った。


「二匹が癒してくれたから、明日もお仕事頑張らなくちゃね」


 私がそう言うと、ミタラシが目を細めた。


 テーブルの上のスマートフォンに、短くこう表示された。


  ミタラシ:明日/続く/憂鬱

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