毒家族からの華麗なる脱出
一般車道の中を黒塗りのリムジンが我が物顔で走っている。その広々とした後部座席に六名の男女の姿が有った。
五十代と思しき中年の男女と、二十代と思しき女性が二人、男性が一人。
それぞれの身にまとった衣装やアクセサリーは、どれも高価なハイブランド品ばかり。
地元の名士、紀藤家。
彼らに逆らえる者は、地元にはいない。その逆鱗に触れた勇者は、文字通り地元から弾き飛ばされた。
今、紀藤家の気分を害する存在はいない。そのはずだった。ところが、後部座席で踏ん反り返っている家長、紀藤理作の表情は苦虫を噛み潰したように渋い。
全く、こんなことが起きるとはな。
こんなこと。範作にとって予想外の事態。しかし、普通の家族に於いては朗報といえるものだ。
十五年も行方不明になっていた実の息子、紀藤理一が見付かった。
十五年前、当時五歳だった理一は何者かに誘拐された。
当然ながら紀藤家は全力を尽くして捜索した。しかし、消息が全く掴めなかった。これは紀藤家にとっては由々しき事態。
跡取りにと期待していた息子がいなくなった。
事態の打開策として、理作は養子を取ることを決意。妻の蓉子を説得して、理一と同い年の男子、理音を紀藤家に迎え入れた。
理音はイケメンで素直な性格であった。蓉子も、二人の姉、蓉華、蓉姫も大いに気に入っている。これで紀藤家も安泰――と思われた。少なくとも、紀藤家の人間はそのように思い込んでいる。
しかし、これらの出来事は全て偽り、理作の陰謀であった。
そもそも、理作は紀藤家の人間ではない。婿養子だ。彼にとって、蓉子との婚姻は飽くまで紀藤家を手に入れる為の手段に過ぎない。
娘二人と息子一人を授かったものの、蓉子同様全く愛していない。むしろ憎んでさえいた。
いけ好かない紀藤家を完全に俺のものにする。
理作は外に愛人を囲い、彼女に子を産ませた。それが理音。理音を紀藤家の跡取りにして、紀藤家の血脈を完全に消し去るつもりだ。その計画の最大の邪魔者が息子の理一だった。
理作は国内の犯罪組織と結託して、理一を海外の犯罪組織に売り飛ばした。後は似るなり焼くなり好きにしろ――だ。死んでくれれば本望。
ところが、理一は死ななかった。それどころか、この国に帰ってきていた。何故なのか?
理作が調べたところによると、理一の出荷先が特殊部隊の襲撃を受けて壊滅。その際、理一も救出されていた。しかし、理一は完全には救われていなかった。
理一は誘拐の衝撃で記憶喪失になっていた。自分の名前も含めて何も思い出せない。彼の過去を示す証は、身に着けていた衣装のブランド名だけ。それを頼りに生国へと戻ってきた――と、いう訳だ。
帰国後、理一は「津母下論」という新たな名前を得て、孤児院に入った。
理一、論は自立することを決意して、勉学に励みながらバイトを掛け持ちして資金を調達。その努力と苦労の末、国内最高峰大学の最優秀特待生となった。そのドラマ性が受けて、彼の顔と名前が全国に知れ渡った。
この出来事が、紀藤家の縁の有る人間達の目に留まった。
「これ、理一君では?」
かくして、論の存在は紀藤家の知るところなった。実母である蓉子は「論を紀藤家に迎え入れるように」と主張した。
理作としては首を横に振りたい。しかし、家長と言えど、紀藤直系の意見を無碍にすることはできなかった。
蓉子の要望が通り、家族全員で量を迎えに行くことが決まった。しかし、論を歓迎したいと思う者は、紀藤家には誰もいない。言い出しっぺの蓉子にしても、長い間孤児として育った論に嫌悪感を覚えている。
紀藤家一同を乗せたリムジンの中では、二人の姉達が論に対する不平不満を零した。その暴言に対して、母である蓉子は何も言わなかった。その行為が、彼女も同意であることを示している。
紀藤家の中で、理音だけが論を庇った。しかしながら、それは飽くまで母や姉達に取り入るための方便だ。心底では「どうやって論を追い出そうか」と策を練っている。理作も同様だ。
今の紀藤家に、論の居場所などどこにもない。論にとっては牢獄以下の場所だ。
最悪な牢獄に我が子を監禁すべく、紀藤家一行を乗せたリムジンは論の許へと走った。
大道から、入り組んだ隘路を経由して、漸く論が住むアパートの前に到着した。
完全停車したところで、紀藤家一行が車を降りた。その際、それぞれの視界にアパートの全容が映り込んだ。その直後、長女の蓉華が声を上げた。
「犬小屋かしら?」
犬小屋。安普請の二階建て建造物は、豪邸に住む紀藤家の目にはそのように映った。その犬小屋から、一人の男性が現れた。
精悍な顔付き、逞しい体付きをした好青年。しかし、彼を見る紀藤家一同は一様に渋面になった。その表情の理由が、次女の蓉姫の口から飛び出した。
「貧乏臭い」
蓉姫達の視線は、青年がまとった衣服に集中していた。それは、量販店で売られている簡素なものだ。如何に中身が良くとも、富豪達の目にはみすぼらしく映ってしまう。
論に対する紀藤家の第一印象は「貧乏人」。その一点だけで、彼らは論を格下の人間だと判断した。その想いが、それぞれの口から飛び出した。
「紀藤家の恥さらし」
「こんな奴が弟だなんて」
「姉さん達、それくらいに――ププッ(失笑)」
人を人とも思わぬ罵詈雑言。その辛らつな言葉を、論は黙って聞き続けた。その最後に、漸く理作が居丈高に来訪理由を告げた。
「家で飼ってやる。付いてこい」
紀藤家一同の顔に、論を蔑む冷笑が浮かんだ。その表情は、より冷たい言葉で凍り付いた。
「申し訳ありませんが、付いていけません」
論の言葉を聞いて、紀藤家一同の目が眼球が飛び出るかと錯覚するほど大きく開いた。それぞれが、文句の言葉を言おうと口を開いた。
その瞬間、彼らの前に一台の黒塗りの大型車両が現れた。
鳳凰のフードマスコットをあしらった、黒曜石のように煌めくリムジン。見る者に「移動する宝物庫」と錯覚させるほど豪華だ。同じリムジンでも紀藤家のものとは比べるべくも無い。実際、その車の購入価格は紀藤家の全財産を上回っている。
「「「「「何、これ!?」」」」」
新たなリムジンの登場に、紀藤家一同の目が一層大きく開いた。その限界を超えた視界の中で、リムジンが完全停車した。
その直後、後部座席から一人の女性が飛び出した。
烏の濡れ羽のような艶やかな黒髪。それに覆われた顔は天才芸術家の最高傑作。「絶世の美女」という他無い。
美女の身にまとった衣装は、簡素ながらも特注の最高級品。彼女の前では、紀藤家一同のハイブランド品すら霞んで見える。
この世のものとは思えぬ美しさ。一度目にしたならば、二度と忘れることは無いだろう。実際、紀藤家の誰もが彼女の正体を直感していた。
鳳財閥の令嬢、鳳織香。
鳳財閥は世界随一の資産を誇る複合企業体。そのCEOの娘が、紀藤家一同の目の前にいる。紀藤家の誰もが意識と視線を織香に奪われた。
しかし、当の織香の目に、彼らの姿は映っていない。
織香は、論に向かって真っ直ぐ歩いていく。そのまま立ち止まることなく、その逞しい胸の中に飛び込んだ。
「論、迎えに来た」
「態々ありがとう」
論は、織香の細い肢体を抱き締めた。すると、織香は顔を上げて目を閉じた。その反応を見て、論はユックリ顔を寄せて――自分の口を織香の可憐な口に押し当てた。
誰がどう見ても恋人同士。疑う余地は無い。居合わせた紀藤家一同も、二人の関係性を直感していた。
その瞬間、彼らの心中で論に対する評価が百恥重度転換した。
鳳財閥と懇意になれば、もっと贅沢ができる。
紀藤家一同、この吉事に全力で乗っかろうとした。全力で論を歓迎して、鳳財閥の橋渡し役を頼む。その大事の一歩を、理作が踏み出した。
「り、理一」
理一。論の本名だ。それを告げられて、論が理作を見た。
理作の厳めしい顔に、歪な笑みが浮かんでいる。それを見て、論は「気味が悪い」と直感した。その想いは、彼に抱き付く織香に伝わっていた。
「知り合い?」
織香の視線が、紀藤家一同へと移動した。この瞬間、漸く織香の意識に紀藤家の存在が入った。その事実に、紀藤家一同身震いするほど感動した。
ここから、俺(私)達のサクセスストーリーが始まる。
紀藤家一同、論に向かって期待の眼差しを向けた。論も、何となく彼らの想いを想像していた。しかし、
「いや、知らない」
論の言葉に、紀藤家一同が凍り付いた。そこに追い打ちをかけるように、織香の素っ気ない言葉が響き渡った。
「そっか」
紀藤家の存在は、織香の意識から完全に消えた。
「行こう」
織香は論の手を引いて、彼と一緒に最高級リムジンの後部座席に飛び込んだ。
二人の体が車内に吸い込まれるや否や、黒曜石のドアが音も無く閉じていく。
それが論(理一)と紀藤家との完全な別れの瞬間だった。
二人を乗せたリムジンは、音も無く走り去った。その様子を、紀藤家一同は呆然と見送ってしまった。
その後、紀藤家一同は必死に領と連絡を取ろうとした。しかし、彼らに鳳財閥の防御を突破する力は無い。
それどころか、焦る余りに理作と理音が失態をして、彼らの陰謀が明るみに出てしまった。それを契機に、家族同士の骨肉相食む修羅場が始まった。
程無くして、紀藤家は没落した。因果応報である。
尤も、紀藤家を離れた論(理一)には関係のない話だ。
論は鳳財閥の庇護の下、愛する織香と末永く幸せに暮らしましたとさ。目出度し、目出度し。




