余燼
ジャパンカップが終わって、世界は少しだけ静かになった。
9月。
校舎の影は長く伸び、上級生たちは「受験」や「進路」という言葉に追われ始めている。
教室の空気も、どこか落ち着かない。
あたしは、その様子を少し離れたところから眺めていた。
友達はいる。
昼休みに話す相手もいるし、帰り道が一緒になることもある。
でも、それだけだった。
喋って、別れて家に帰る。
そのあとに残るものは、何もない。
そんな関係に、いつの間にか慣れてしまっていた。
―――――
ミニ四駆を始めたきっかけは、ほんの偶然だった。
立ち読みした雑誌に、見覚えのある顔が載っていた。
緊張した表情で表彰台に立つ姿が、やけに羨ましく見えた。
それから、その子の遊ぶ場所を調べて様子を見に行った。
友達とああいう場所で、ああいうふうに笑えるのは、いいなと思った。
それだけだった。
ミニ四駆そのものに、強い興味があったわけじゃない。
これまでのおもちゃと、同じ延長線上にあるものだと思っていた。
一緒に遊ぶ理由ができれば、それで十分だった。
でも、その子たちと過ごす時間は、今までと少し違った。
笑ったあとに、何かが残る。
またあの空間に行きたい。
もしかしたら。
心から楽しめる友達ができるかもしれない。
そんな期待を、あたしは抱いていた。
―――――
大会の日。
あたしのマシンは、目立ちはした。
でも、結果はまるで振るわなかった。
冷静に考えれば、当然だ。
本気で向き合っていたわけじゃない。
勝つために積み重ねてきた時間も、知識も、圧倒的に足りない。
それなのに。
負けた瞬間、胸の奥がぎゅっと縮んだ。
思い入れなんて、なかったはずなのに。
どうしてか、悔しかった。
理由は、後からわかった。
ミニ四駆に負けたからじゃない。
あの場所に、まだ並べなかった気がしたからだ。
表彰台の上のユウは、遠くて、まぶしかった。
届かない存在みたいで、少しだけ悔しくて。
それでも、ほんの少しだけ嬉しかった。
―――――
祝勝会。
みんなが笑っていて、ユウが中心にいて。
あたしはその輪の中にいたけれど、ほんの少しだけ外側にいる気がした。
言いかけた言葉がある。
「次はあたしが勝つ。
それで、またここで祝勝会やるから」
「その時は…」
その時は、同じ場所で笑えるんじゃないか。
本当の仲間になれるんじゃないか。
でも、その言葉を口にするのが怖くて、やめた。
勝たなきゃ友達になれないみたいで。
そんなふうに思われるのが、嫌だった。
だから、何も言えなかった。
―――――
来年は本気でやろう。
ミニ四駆とちゃんと向き合おう。
そう決めた矢先だった。
「来年の1月か2月、アメリカに引っ越すかもしれない」
親から聞かされた言葉はあまりにも突然だった。
「まだ確定じゃないけどね」
その一言がだいたい確定を意味することを、あたしは知っている。
仕事の都合。
転勤。
誰も悪くない。
それでも胸の奥に溜まったものは、行き場を失っていた。
せっかく居場所ができた気がしたのに。
その時間が音もなく削られていく。
考えがまとまらないまま、なぜかあたしはこの最終話のタイトルを思い浮かべていた。
95年。
ジャパンカップ。
それが、多分あたしの最終回。
―――――
ユウに話そうと思ったのは、相談したかったからじゃない。
……本当は、相談したかったのかもしれない。
放課後。
風が少し冷たくなり始めた頃。
「ねえ、ユウ」
「もしさ、次のクールでレギュラーキャラが突然いなくなったら、どう思う?」
「……降板か、別れ?」
鋭すぎる返しに、思わず笑ってしまう。
「さすがね。予知能力でもあるの?」
ユウは困ったように笑ったけれど、視線は逸らさなかった。
「あたしね……」
少し間を置く。
「95年の大会で、たぶん最終回」
冗談みたいな言い方。
でも、目は一度も逸れていなかった。
ユウは、少しだけ考えてから言う。
「…最終回ならさ、最高のエンディングで終わらせよう」
―――――
「そうよね!」
あたしは、少しだけ笑う。
「中途半端で終わる最終回が、1番嫌い」
ユウに勝てるイメージは、まだない。
それでも、後悔が残らないように走りたい。
途中で消えるような、残念なキャラにはなりたくない。
「ねえ、ユウ」
「もし世界線が分岐して、アメリカ版スピンオフであたしだけ出番あったら、どうする?」
「……ちょっと、何言ってるのかわからないです」
「冷たい」
笑いながら言った。
胸の奥は、ちゃんと痛んでいた。
―――――
アメリカに行くのは、まだ少し先だ。
現実感は、正直ない。
それでもエンディングは見えている。
見えているのにまだ熱が残っている。
だから今はマシンと向き合う。
勝つためだけじゃない。
逃げなかったって、言えるように。
95年ジャパンカップ。
最終話。
「つづく」は、たぶん、もう出ない。




