第9話 嗅ぎつける悪意
雨上がり。
帝都の高級住宅街に構える日野家の庭園は、濡れた新緑の匂いに包まれていた。
手入れの行き届いた松の木、白砂を敷き詰めた枯山水。
その完璧な調和の中に、一つの「異物」が落ちていた。
「……旦那様」
日野家の私兵団長を務める男が、縁側で茶を啜っていた当主代行――日野重道に声をかけた。
男の手には、真っ黒に炭化した小さな紙片が乗せられている。
「何だ、それは。ゴミなら焼却炉へ捨てろ」
「ただのゴミではございません。……結界の自動迎撃システムによって焼き落とされた、偵察用の式神の残骸です」
重道の手が止まった。
茶碗を置き、忌々しげに紙片を睨みつける。
「またか。最近、ハエがうるさいとは思っていたが……どこの手の者だ? 五摂家の手の者か、それとも新聞社の嗅ぎ回りか」
「いえ……恐れながら」
兵団長は、炭化した紙片をピンセットで崩れないように広げた。
それは、幾何学的に極めて精緻に折られた、折り鶴の変形のような形をしていた。
「この折り方……見覚えがございませんか?」
「折り方だと?」
「重心のバランス、そして翼の角度。これは、かつてこの屋敷におられたお嬢様――桜子様が、幼少期によく手慰みに作っておられたものと酷似しております」
――ガシャン。
重道の手から滑り落ちた茶碗が、畳の上で音を立てて砕け散った。
熱い茶が足にかかるが、彼はそれに気づきもしない。顔面から血の気が引き、土気色に変わっていた。
「さ、桜子……だと?」
重道の脳裏に、数ヶ月前の記憶が蘇る。
葬儀の日。喪服姿で家を追放された姪。
魔力を持たぬ無能な女。だが、その瞳だけは決して屈服せず、底冷えするような知性を宿していた。
『後悔なさいませ、叔父様』
あの時の言葉が、呪いのように鼓膜を叩く。
「馬鹿な! あいつは死んだはずだ! スラムに落ちて、野垂れ死んだか、売春宿で病んで死んだに決まっている!」
重道は叫び、這いつくばるようにして紙片を凝視した。
確かに、桜子は妙な女だった。
氣の扱いができないくせに、数式や図形には異常な執着を見せ、よく紙切れで奇妙な多面体を作っては遊んでいた。この焼け焦げた残骸には、その面影がある。
「……生きて、いるのか?」
重道の背筋を、冷たい汗が伝った。
もし生きていれば?
もし、あいつが「本物の奥義書」を持っていたとしたら?
来月の襲名披露に、あいつが本物を持って現れたら――私の計画は、根底から崩れ去る。
「……探せ」
重道は震える声で命じた。
「は?」
「スラムだ! スラムを徹底的に洗え! この紙切れの出所を突き止めろ!」
彼は立ち上がり、狂ったように扇子を開閉させた。
恐怖。それは最も強い殺意の動機になる。
「兵団は使うな。目立ちすぎる。『掃除屋』を使え」
「……裏社会の傭兵ですか。しかし、相手はたかが魔力なしの小娘一人ですが」
「万が一だ! 万が一にも、披露目の日に水を差されるわけにはいかんのだ!」
重道は血走った目で兵団長を睨みつけた。
「金ならいくらでも出す。一番腕の立つ奴を雇え。……そして、死体を確認するまで戻ってくるなと言え」
*
同時刻。帝都の最下層、スラム街。
万屋「一条」の店内には、饐えた臭いと湿気が充満していた。
私は作業机に向かい、黙々とチョークを削っていた。
次の作戦のために、より純度の高い伝導体が必要だ。なけなしの売り上げで買った画材用の高級チョークを、ナイフで粉末状にしていく。
「……おい」
不意に、部屋の隅で寝転がっていたヒセツが体を起こした。
彼は鼻をひくつかせ、天井のシミを見つめている。
「どうしたの? お腹が空いたなら、そこにある乾パンでも齧ってなさい」
「違う」
ヒセツの声色が、普段の怠惰なものから、鋭利な刃物のような響きに変わった。
彼は立ち上がり、窓の方へと歩み寄る。
「……臭うぞ」
「臭う? スラムなんて年中臭いでしょう」
「ドブの臭いじゃない」
ヒセツは窓枠に手をかけ、少しだけ隙間を開けた。
外は小雨が降り始めている。湿った風が吹き込んでくるだけだ。
だが、彼の深紅の瞳孔は、垂直に細められていた。
「油と、血の臭いだ」
彼はニヤリと笑った。それは、獲物を見つけた獣の笑みであり、同時に同類を察知した警告の笑みでもあった。
「プロの臭いだ。……それも、かなり質の悪い『殺し』を生業にしている奴のな」
私は削っていたチョークの手を止めた。
背筋に、ゾクリとしたものが走る。
ヒセツは腐っても羅刹級の神魔だ。その感覚器官は、私の物理的なセンサーよりも遥かに鋭敏で、そして残酷なまでに正確だ。
「……こっちに向かってる?」
「ああ。殺意が一直線だ。隠す気もないらしい」
私はナイフを置き、作業机の引き出しを開けた。
そこには、決戦のために用意していた「絶縁手袋」と、数百枚の紙人形のストックが入っている。
叔父様。
どうやら、私が想像していたよりも臆病で、そして手回しが早かったらしい。
私が動く前に、向こうから潰しに来たか。
「……仕事の時間よ、ヒセツ」
私は立ち上がり、薄汚れた黒紋付(喪服)の上から着けていたエプロンを外した。
長い袂が邪魔にならないよう、腰紐できつく縛り上げる。
その姿は、かつての名家の令嬢ではなく、泥にまみれて生きる「万屋」のそれだった。
「歓迎してあげましょう。……ここが、ただのゴミ捨て場じゃないってことを教えてあげるわ」
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