表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

9/34

第9話 嗅ぎつける悪意

 雨上がり。

 帝都の高級住宅街に構える日野家の庭園は、濡れた新緑の匂いに包まれていた。

 手入れの行き届いた松の木、白砂を敷き詰めた枯山水。

 その完璧な調和の中に、一つの「異物」が落ちていた。


「……旦那様」


 日野家の私兵団長を務める男が、縁側で茶を啜っていた当主代行――日野重道しげみちに声をかけた。

 男の手には、真っ黒に炭化した小さな紙片が乗せられている。


「何だ、それは。ゴミなら焼却炉へ捨てろ」

「ただのゴミではございません。……結界の自動迎撃システムによって焼き落とされた、偵察用の式神の残骸です」


 重道の手が止まった。

 茶碗を置き、忌々しげに紙片を睨みつける。


「またか。最近、ハエがうるさいとは思っていたが……どこの手の者だ? 五摂家の手の者か、それとも新聞社の嗅ぎ回りか」

「いえ……恐れながら」


 兵団長は、炭化した紙片をピンセットで崩れないように広げた。

 それは、幾何学的に極めて精緻に折られた、折り鶴の変形のような形をしていた。


「この折り方……見覚えがございませんか?」

「折り方だと?」

「重心のバランス、そして翼の角度。これは、かつてこの屋敷におられたお嬢様――桜子様が、幼少期によく手慰みに作っておられたものと酷似しております」


 ――ガシャン。


 重道の手から滑り落ちた茶碗が、畳の上で音を立てて砕け散った。

 熱い茶が足にかかるが、彼はそれに気づきもしない。顔面から血の気が引き、土気色に変わっていた。


「さ、桜子……だと?」


 重道の脳裏に、数ヶ月前の記憶が蘇る。

 葬儀の日。喪服姿で家を追放された姪。

 魔力を持たぬ無能な女。だが、その瞳だけは決して屈服せず、底冷えするような知性を宿していた。


『後悔なさいませ、叔父様』


 あの時の言葉が、呪いのように鼓膜を叩く。


「馬鹿な! あいつは死んだはずだ! スラムに落ちて、野垂れ死んだか、売春宿で病んで死んだに決まっている!」


 重道は叫び、這いつくばるようにして紙片を凝視した。

 確かに、桜子は妙な女だった。

 氣の扱いができないくせに、数式や図形には異常な執着を見せ、よく紙切れで奇妙な多面体を作っては遊んでいた。この焼け焦げた残骸には、その面影がある。


「……生きて、いるのか?」


 重道の背筋を、冷たい汗が伝った。

 もし生きていれば?

 もし、あいつが「本物の奥義書」を持っていたとしたら?

 来月の襲名披露に、あいつが本物を持って現れたら――私の計画は、根底から崩れ去る。


「……探せ」


 重道は震える声で命じた。


「は?」

「スラムだ! スラムを徹底的に洗え! この紙切れの出所を突き止めろ!」


 彼は立ち上がり、狂ったように扇子を開閉させた。

 恐怖。それは最も強い殺意の動機になる。


「兵団は使うな。目立ちすぎる。『掃除屋』を使え」

「……裏社会の傭兵ですか。しかし、相手はたかが魔力なしの小娘一人ですが」

「万が一だ! 万が一にも、披露目の日に水を差されるわけにはいかんのだ!」


 重道は血走った目で兵団長を睨みつけた。


「金ならいくらでも出す。一番腕の立つ奴を雇え。……そして、死体を確認するまで戻ってくるなと言え」


          *


 同時刻。帝都の最下層、スラム街。

 万屋「一条」の店内には、えた臭いと湿気が充満していた。


 私は作業机に向かい、黙々とチョークを削っていた。

 次の作戦のために、より純度の高い伝導体が必要だ。なけなしの売り上げで買った画材用の高級チョークを、ナイフで粉末状にしていく。


「……おい」


 不意に、部屋の隅で寝転がっていたヒセツが体を起こした。

 彼は鼻をひくつかせ、天井のシミを見つめている。


「どうしたの? お腹が空いたなら、そこにある乾パンでも齧ってなさい」

「違う」


 ヒセツの声色が、普段の怠惰なものから、鋭利な刃物のような響きに変わった。

 彼は立ち上がり、窓の方へと歩み寄る。


「……臭うぞ」

「臭う? スラムなんて年中臭いでしょう」

「ドブの臭いじゃない」


 ヒセツは窓枠に手をかけ、少しだけ隙間を開けた。

 外は小雨が降り始めている。湿った風が吹き込んでくるだけだ。

 だが、彼の深紅の瞳孔は、垂直に細められていた。


「油と、血の臭いだ」


 彼はニヤリと笑った。それは、獲物を見つけた獣の笑みであり、同時に同類てきを察知した警告の笑みでもあった。


「プロの臭いだ。……それも、かなり質の悪い『殺し』を生業にしている奴のな」


 私は削っていたチョークの手を止めた。

 背筋に、ゾクリとしたものが走る。

 ヒセツは腐っても羅刹級の神魔だ。その感覚器官は、私の物理的なセンサーよりも遥かに鋭敏で、そして残酷なまでに正確だ。


「……こっちに向かってる?」

「ああ。殺意が一直線だ。隠す気もないらしい」


 私はナイフを置き、作業机の引き出しを開けた。

 そこには、決戦のために用意していた「絶縁手袋」と、数百枚の紙人形のストックが入っている。


 叔父様。

 どうやら、私が想像していたよりも臆病で、そして手回しが早かったらしい。

 私が動く前に、向こうから潰しに来たか。


「……仕事の時間よ、ヒセツ」


 私は立ち上がり、薄汚れた黒紋付(喪服)の上から着けていたエプロンを外した。

 長い袂が邪魔にならないよう、腰紐できつく縛り上げる。

 その姿は、かつての名家の令嬢ではなく、泥にまみれて生きる「万屋」のそれだった。


「歓迎してあげましょう。……ここが、ただのゴミ捨て場じゃないってことを教えてあげるわ」

ご覧いただきありがとうございました。感想や評価、ブックマークで応援いただけますと幸いです。また、他にも作品を連載しているので、ご興味ある方はぜひご覧ください。HTMLリンクも掲載しています。

次回は基本的に20時過ぎ、または不定期で公開予定です

活動報告やX(旧Twitter)でも制作裏話等更新しています。

作者マイページ:https://mypage.syosetu.com/1166591/

Xアカウント:@tukimatirefrain

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ