第6話 最初の「客」
万屋の看板を掲げてから数日。
私の元には、スラムの住人たちから些末な依頼が舞い込むようになっていた。
どぶ川の浚渫、行方不明の家畜の捜索。
私はそれらを、五百の紙人形を使って淡々と処理し、僅かな報酬を得ていた。
「……効率が悪いわね」
文机の上で小銭を数えながら、私は独りごちた。
今日の稼ぎは、パンと牛乳、それに召喚式を書き直すための安物のチョーク代で消える。
これでは、いつまで経っても叔父たちの頭上には届かない。
その時、入り口の戸が乱暴に蹴破られた。
「おい! ここか! 噂の『紙屑の魔女』ってのは!」
土足で踏み込んできたのは、三人の男たちだった。
先頭に立つ男は、汚れた狩衣を着崩し、腰に古びた呪符の束をぶら下げている。スラムを縄張りとする、三流の陰陽師崩れだ。
「誰の許可を得て商売してやがる。ここは俺たちのシマだぞ」
男は文机の上の小銭を無造作に掴み取り、床にばら撒いた。
チャリン、と乾いた音が響く。
「ショバ代を払いな。稼ぎの八割だ。……払えねえなら、その身体で払ってもらうがな」
下卑た視線が、私の体を舐めるように這い回る。
私はため息をつき、彼を見上げた。
「……要件はそれだけ? 私の庭に土足で踏み込んで、小銭をねだるのが仕事? ……随分と志が低いのね」
私は心底からの軽蔑を込めて告げた。
男の顔が朱に染まる。
「……ナメやがって! 俺が誰だか知らねえのか! 元・軍属の術師だぞ!」
男が懐から一枚の形代を取り出し、叫んだ。
「食い殺せ! 餓狼!」
形代が発火し、黒い煙が獣の形を成す。
下級の神魔だ。犬ほどの大きさしかないが、その顎からはよだれと共に火の粉が零れている。
「展開」
私は指先を振るい、部屋の隅の古新聞を舞い上げ、壁を作った。
だが――。
「グルァッ!!」
獣が咆哮すると、紙の壁は一瞬で炎に包まれた。
私の紙人形は、所詮は紙だ。熱には弱い。
燃えカスとなった紙片が舞う中、獣が私に向かって跳躍する。
「ハハハ! 燃えちまったなァ! 所詮は紙屑かよ!」
男が高笑いする。
獣の牙が、私の喉元に迫る。熱気で前髪がチリチリと焦げる。
紙人形による窒息攻撃も、実体のない炎を纏う神魔には通じない。これが「相性」であり、私の発明品の限界――。
死の恐怖。
喉元まで悲鳴が出かかった。
ヒセツの名を叫べば、彼はすぐに助けてくれるだろう。
――けれど。
たかだかこんな野良犬相手に、あの生意気な神魔に泣きつく?
そんなの、私のプライドが許さない。
私は唇を噛み切り、熱風を正面から睨み据えた。
自分の力で何とかする。焼かれるのが先か、策を見つけるのが先か――。
その時だ。
「――見ていられんな」
不機嫌な声と共に、銀色の腕が私の視界を遮った。
「ギャ……ィ?」
空中で静止した獣の神魔が、間の抜けた悲鳴を上げた。
私の思考よりも早く、ヒセツが自ら顕現し、獣の顔面を鷲掴みにしていたのだ。
獣は「何か」を見て、全身の毛を逆立てて縮こまった。火の粉が消え、黒い煙の体が震え始める。
本能的な恐怖。
目の前に現れた存在の、あまりに濃密な「氣」に当てられ、存在そのものが萎縮している。
「俺の目の前で、こんな駄犬を散歩させるな。目障りだ」
ヒセツは吐き捨てると、汚いものに触れるように指を弾いた。
パンッ!
風船が割れるような音がして、獣は内側から弾け飛び、霧散した。
「……あ?」
陰陽師崩れの男が、間抜けに口を開けている。
何が起きたのか理解できていない。だが、自分が使役していた式が一瞬で消滅した事実だけが、恐怖となって彼を襲う。
「お、おい……今の、何だ……?」
「さあね。あんたのペット、躾が悪くて逃げ出したんじゃない?」
私が冷ややかに答えると、ヒセツが一歩踏み出した。ただそれだけで、濃密な殺気が部屋を圧迫する。男たちは腰を抜かし、悲鳴を上げながら転がるように逃げ出して行った。
静寂が戻る。
私は大きく息を吐き、机に手をついた。
鼻から、熱いものが滴り落ちる。彼が勝手に出てきたとはいえ、その存在維持の負荷は私の脳にかかる。
「……勝手な真似を」
私が鼻血を拭いながら睨むと、ヒセツは心底つまらなそうに鼻を鳴らした。
「遅いんだよ、判断が」
彼は私の額を指先で小突いた。
「邪鬼相手に必死になって、あわや焼死か? 俺という最高級の凶器を持っておきながら、出し惜しみして死にかけちゃ世話がない」
正論だ。
ぐうの音も出ない。
だが、私は血の付いた唇を拭い、言い返した。
「……勘違いしないで」
「あ?」
「蚊を落とすのに大砲を使う馬鹿がどこにいるのよ。……これは、ただのコスト計算のミスよ」
私は震える足で立ち上がり、ヒセツの胸板を指差した。
「たかが野良犬一匹ごときに、あんたに助けを求めるなんて……そんなの、私が無能だと認めるようなものじゃない」
私はいつだって、完璧な主人でいたい。
たとえハッタリだとしても、この生意気な道具に「こいつは俺がいないと駄目だ」なんて思われるのは、死ぬより我慢ならない。
「はぁ? そんなくだらない意地のために、死ぬつもりだったのか?」
ヒセツは目を丸くし、それから呆れたように溜息をついた。
「……まったく。とんだ負けず嫌いだ」
彼は私の肩をポンと叩いた。
「次は黙って俺を使え。お前が死ねば、俺も寝覚めが悪い」
彼が指を鳴らすと、床に散らばった小銭がひとりでに舞い上がり、チャリン、チャリンと音を立てて机の上の空き缶に収まっていく。
私はその音を聞きながら、泥のように深い眠りへと落ちていった。
次は負けない。燃えない紙でも、水でも用意してやる。
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