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第40話 筆記試験

 試験当日の朝。

 帝国魔導院の大講堂は、一種異様な緊張感と、鼻につく香水の匂いに包まれていた。

 高い天井にはクリスタルのシャンデリアが煌めき、整然と並べられたオーク材の机には、五摂家の分家や名だたる貴族の令息令嬢たちが座っている。

 彼らは皆、仕立ての良いスーツや、家紋入りの豪奢なローブを纏い、その表情には隠しきれない優越感が張り付いていた。


 その中で、私の存在はまるで白いカンバスに落とした一滴の墨汁のように異質だった。


「……おい、見ろよあれ」

「喪服? 葬式の帰りか?」

「日野家の……ああ、あの『没落未亡人』か。よく顔を出せたものだな」


 ヒソヒソと交わされる嘲笑。侮蔑の視線。

 だが、私は背筋を伸ばし、漆黒のドレスの裾を払って指定された席に着いた。

 隣の席の少年――どこかの伯爵家の三男あたりだろう――が、露骨に嫌そうな顔をして椅子をずらす。


「貧乏神が移りそうだ」

「あら、ごめんなさい」


 私は彼に向かって優雅に微笑んだ。


「死神の残り香が気になりますか? ……でもお気になさらず。貴方のような小物には、死神も興味を持ちませんから」


 少年が顔を真っ赤にして何か言い返そうとした瞬間、開始の鐘が厳かに鳴り響いた。


「試験を開始する。……始め!」


 試験官の合図とともに、数百人の受験生が一斉に羊皮紙をめくった。

 一限目、『魔導幾何学』。

 魔導院の入試において最難関と言われる科目だ。

 問われるのは、術式を構築するための複雑怪奇な魔法円の計算と、氣の流体制御理論。


(……なるほど)


 私は問題用紙を一瞥した。

 『問3:多重球形結界における氣の循環効率を最大化するための、第三補助術式の座標を求めよ。ただし、環境マナ濃度は不均一とする』


 周囲からは、早くも呻き声や、脂汗を拭う気配が伝わってくる。

 彼らの多くは、幼い頃から「氣を感じる」訓練を受けてきた感覚派だ。

 だからこそ、この問題を解くために、頭の中で実際に氣の流れをイメージし、感覚的に答えを導き出そうとする。彼らにとって、数式はあくまで感覚の補助でしかない。


 けれど、私には魔力(氣の感受性)がない。

 イメージなど湧かない。

 だからこそ、私に見えているのは夾雑物のない「純粋な数式」だけだ。


(氣の流れなど、流体力学の応用でしかない。結界の強度は、構造計算に置き換えればいい)


 私はペンを執った。

 計算機も、そろばんもない。

 だが、私の脳内では、既に膨大な数字が高速で回転していた。

 帳簿の数字を合わせるのと同じだ。無駄な経費(魔力ロス)を削り、最短ルートで利益(結果)を出す。


(教科書の模範解答は……『楊氏ようし気脈循環律』か。古いな)


 大陸から伝わった古典的な定理。

 安全性を重視するあまり、計算工程が無駄に多く、エネルギー効率が悪い。

 感覚で解く凡人たちは、疑いもなくこの「楊氏循環律」を使って、ダラダラと長い式を書くだろう。


(この変数は不要。この工程は非効率。……ここを直結すれば、出力は12%向上する)


 私は、教科書通りの解法を切り捨てた。

 既存のブラックボックスを論理というメスで解剖し、独自のショートカットで最適化していく。


 カリ、カリ、カリ、カリ……。


 静まり返った講堂に、私のペンの音だけが規則的に、そして異常な速さで響き始めた。


「な……?」


 隣の少年が、私の手元を横目で見てギョッとしたように目を剥いた。

 無理もない。私は途中式をほとんど書いていない。

 脳内で組み立てた論理の結論だけを、猛烈な勢いで叩きつけている。


 三十分後。

 試験時間の半分も経たないうちに、私はペンを置いた。


 コツン。

 その小さな音が、やけに大きく響いた。


「……試験官。終わりました」


 私が挙手すると、会場中がどよめいた。

 試験官の中年男性が、信じられないという顔で歩み寄ってくる。


「馬鹿な。まだ時間は……まさか、諦めたのか?」


 彼は私の答案用紙をひったくるように取り上げ、鼻で笑いながら視線を落とした。

 どうせ白紙か、デタラメな数字の羅列だろうと決めつけて。


 だが。


「こ、これは……」


 試験官の目が釘付けになった。

 彼は眼鏡の位置を直し、食い入るように数式を追った。

 嘲笑が消え、脂汗が滲み、やがて顔色が蒼白に変わっていく。


「おい、どうした?」


 別の試験官が不審に思って覗き込む。


「……見てください、この解法。『楊氏循環律』を使っていません。全く別の……逆算方式で解を導き出しています」

「なんだと? そんな馬鹿な……しかし、答えは合っているぞ。いや、模範解答よりも精度が高い……?」


 試験官たちがざわつき始めた。

 彼らは私の顔と、答案用紙を交互に見比べた。

 そこに書かれているのは、魔力を持たぬ者が生き残るために編み出した、冷徹で美しい「新しいしき」だった。


「……次をお願いします」


 私は彼らの動揺を無視し、冷めた紅茶を一口啜るように言った。


「退屈で死んでしまいそうですから」


 窓の外、校庭の木陰で、学生服に変装したヒセツがニヤニヤと笑っている気配がした。

 『性格の悪い女だ』という声が聞こえた気がしたが、私は心の中で言い返した。

 ――あら、最高の褒め言葉よ。


ご覧いただきありがとうございました。感想や評価、ブックマークで応援いただけますと幸いです。また、他にも作品を連載しているので、ご興味ある方はぜひご覧ください。HTMLリンクも掲載しています。

次回は基本的に20時過ぎ、または不定期で公開予定です

活動報告やX(旧Twitter)でも制作裏話等更新しています。

作者マイページ:https://mypage.syosetu.com/1166591/

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