表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
39/41

第39話 老兵の涙

 帝都の北端。華やかな山の手とは対照的な、雑木林に囲まれた古びた平屋。

 庭には手入れされていない雑草が生い茂り、錆びついた鉄条網が訪問者を拒絶している。

 風が吹くたびに雨戸が軋むその場所は、かつて帝国陸軍・第一魔導師団を率いた英雄、宗像元少将の隠居所だった。


「……帰れ。貴様のような性悪女に書く推薦状など、一枚もない」


 薄暗い縁側で、宗像老人は私を見るなり吐き捨てた。

 着古した着流し姿。左目には眼帯。顔に刻まれた無数の傷が、彼が生きてきた戦場の過酷さを物語っている。

 私は無言で、懐から「裏帳簿」のコピーを取り出し、畳の上に滑らせた。

 宗像の現役時代の軍規違反――部下の不始末を隠蔽した記録だ。


「過去の古傷ですわ、閣下。これが公になれば、残された名誉も年金も……」

「下らぬ」


 宗像は書類を一瞥もしなかった。

 彼は手元の火鉢に、無造作にその紙束を放り込んだ。

 ジュッ、という音と共に、私が切り札としていた脅迫材料が灰へと変わっていく。


「なっ……」

「脅しか? そんな紙切れで、儂が動くとでも思ったか」


 老人は独眼で私を射抜いた。

 そこには、恐怖も動揺もない。あるのは、俗世の全てを諦観した虚無だけだ。


「名誉? 地位? そんなものは三十年前、長安の城壁と共に崩れ落ちたわ」


 老人は火箸で灰をかき回しながら、憎々しげに呟いた。


「あの『長安陥落』の戦い……。最前線で血を流し、城門をこじ開けたのは我々軍人だった。だが、凱旋パレードの先頭を歩いたのは誰だ? ……後方で術式を唱えていただけの、陰陽師どもだ」


 彼の言葉に、歴史の教科書には載っていない真実が滲む。

 三十年前の大戦。その勝利の実績を独占した陰陽師勢力は、それを政治力に変え、貴族院議会の過半数を乗っ取った。

 今の五摂家支配、魔導院の権威主義。その全ての始まりがあの日だったのだ。

 武人は排除され、術師が特権階級としてふんぞり返る国。


「奴らは議会を私物化し、国を食い物にした。……儂らが命を懸けて守った国は、こんな陰陽師きつねどもの遊び場ではなかったはずだ」


 老人の目には、深い絶望と、決して消えない憤怒の炎が燻っていた。

 私は一歩、縁側に踏み出し、靴のまま庭の土を踏みしめた。

 この老人に必要なのは、損得ではない。「弔い合戦」の狼煙だ。


「同感です。……ですから私は、その狐の巣穴を焼き払いに来ました」


 老人が顔を上げた。


「九条鷹人。五摂家。魔導院。……彼らが作った既得権益という名の城壁を、私が内側から食い破ります。長安の城壁のように」


 私は彼を真っ直ぐに見つめた。


「彼らが積み上げた『法』と『権威』を、私が新しいロジックで解体し、更地に戻してみせる。……陰陽師が支配するこのふざけた時代を、私の手で終わらせます」


 綺麗事ではない。私の個人的な復讐だ。

 だが、その破壊衝動は、老人が三十年間抱え続けてきた無念と、奇妙に共鳴していた。


「私の目をご覧なさい、閣下。……これが、ただお勉強がしたいだけの小娘の目に見えますか?」


 私の瞳の奥にある昏い炎。

 彰を失い、全てを奪われ、それでも世界に牙を剥く狂気。

 老人は、私の瞳に吸い込まれるように息を呑んだ。


 ――あの方だ。


 老人の脳裏に、遠い日の記憶が鮮烈に蘇る。

 まだこの国が「侍」の国だった頃。

 松下村塾で学び、革命のために命を燃やし、初代内閣総理大臣となった男。

 若き日の伊藤博文。

 かつて老人が憧れ、共に戦場を駆けたその英雄の瞳に宿っていた、世界を焼き尽くすような狂気が、目の前の少女の姿に重なった。


 理屈ではない。

 ただ、「許せない」という激情だけで時代をひっくり返そうとする、美しい怪物の目。


「……ふ、ふふふ」


 老人の喉から、乾いた音が漏れた。

 やがてそれは、腹の底からの哄笑へと変わった。

 枯れ木のような体に血が巡り、目尻に涙が浮かぶ。


「カッカッカ! 面白い! まさか死ぬ間際に、こんな化物にお目にかかるとはな!」


 老人は笑い涙を指で拭うと、震える手で筆を執った。

 迷いはない。羊皮紙の上を、筆が踊るように走る。


「持って行け、日野の娘よ。……その狂気で、陰陽師どもの喉笛を食いちぎってやれ」


 渡された推薦状には、元帝国陸軍少将としての力が込められた、力強い署名があった。

 それは、ただの書類ではない。

 敗れ去った武人たちから、次代の革命家への、復讐の委任状だった。


 私はそれを恭しく受け取り、深く頭を下げた。


「感謝いたします、閣下。……必ずや、素晴らしい火事をご覧に入れましょう」


 私はヒールを鳴らし、錆びついた門を出た。

 これで、全ての手札は揃った。

 背中で老人の高笑いが響いていた。それは、これから始まる動乱を予祝する歌のように、寂れた雑木林にいつまでも木霊していた。

ご覧いただきありがとうございました。感想や評価、ブックマークで応援いただけますと幸いです。また、他にも作品を連載しているので、ご興味ある方はぜひご覧ください。HTMLリンクも掲載しています。

次回は基本的に20時過ぎ、または不定期で公開予定です

活動報告やX(旧Twitter)でも制作裏話等更新しています。

作者マイページ:https://mypage.syosetu.com/1166591/

Xアカウント:@tukimatirefrain

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ