第38話 悪魔の営業
帝都の高級住宅街、山の手エリア。
その一角に建つ瀟洒な洋館の応接室で、私は紅茶の湯気を眺めていた。
出されたカップは安物で、紅茶も少し冷めている。
これが、没落した日野家に対する、この家の主の評価なのだろう。
「……それで? 桜子君。今日は一体何の用だね?」
革張りのソファにふんぞり返っているのは、小野寺伯爵。
恰幅の良い中年男で、かつては父や叔父とも交流があった貴族院議員だ。
彼は葉巻を吹かしながら、鬱陶しそうに手元の時計をチラチラと見ている。
「手短に頼むよ。私は忙しいんだ。君の叔父さんの件で、我が家も迷惑しているんだからね」
露骨な嫌味。
私はカップをソーサーに戻し、完璧な笑みを浮かべた。
「お忙しいところ申し訳ありません、伯爵様。……本日は、帝国魔導院への『入学推薦状』をいただきに参りましたの」
「推薦状?」
伯爵は目を丸くし、次の瞬間、腹を抱えて笑い出した。
「はっはっは! 冗談だろう? 君のようなスキャンダルの渦中にいる人間を、私が推薦するとでも? そんなことをすれば、私の品位まで疑われる!」
彼は蔑むような目で私を見た。
「帰りたまえ。君に関わるとロクなことがない。……施しが欲しいなら、裏口から使用人に頼むんだな」
予想通りの反応だ。
私は動じなかった。
背後に控えていたヒセツが、ピクリと殺気を放ちかけたが、私はハンドサインで制止した。暴力は最後の手段だ。ここではもっと知的な武器を使う。
「……そうですか。それは残念ですわ」
私はため息をつき、ハンドバッグから一冊の手帳を取り出した。
叔父の金庫から押収した、裏帳簿のコピーだ。
「実は、叔父の遺品を整理しておりましたら、興味深い記録が出てきまして」
私は手帳を開き、あるページを指でなぞった。
「昨年の11月。……伯爵様は『慈善事業への寄付』という名目で、多額の資金を叔父の口座に振り込んでおられますね?」
「な、それがどうした。正当な寄付だ」
「ええ。でも不思議なことに、その同日、同じ額のお金が、帝都の地下にある『非合法カジノ』の口座から、叔父の元へ移動しているんです」
伯爵の動きが止まった。
葉巻を持つ手が微かに震える。
「つまり……伯爵様はカジノでの巨額の負債を、政治献金という形に偽装して叔父に肩代わりさせ、その見返りに叔父への便宜を図っていた。……違いますか?」
これは脱税であり、貴族院議員としては致命的な収賄疑惑だ。
私が淡々と事実を並べ立てると、伯爵の顔色は赤から青、そして土色へと変わっていった。
「き、貴様……それをどこで……」
「さあ? でも、これが週刊誌や検察の手に渡ったら……大変なことになりますわね。奥様や有権者の皆様がどう思われるか」
私は手帳をパタンと閉じ、ニッコリと微笑んだ。
「伯爵様。私はただ、学びの機会が欲しいだけなのです。……未来ある若者のために、筆を執っていただけませんか?」
それはお願いではない。命令だった。
伯爵は脂汗を拭いながら、ガタガタと震える手で万年筆を握った。
拒否権などない。彼にとって、私はもう「憐れな未亡人」ではなく、「首輪を握る死神」なのだから。
数分後。
私は最高級の羊皮紙に書かれた、直筆の署名入り推薦状を手に、洋館の玄関を出た。
「感謝いたします、伯爵様。……あ、そうそう」
私は振り返り、見送りにすら出てこない主に声をかけた。
「奥様には内緒にしておきますわ。……次の選挙、頑張ってくださいね?」
私は優雅にカーテシーをして見せ、門の外で待っていたヒセツと合流した。
「……へえ。脅して奪い取った紙切れか。いい笑顔だ」
「失礼ね。正当な取引よ」
私は推薦状を懐にしまい、次のターゲットを確認した。
これで一通。
だが、九条鷹人と同じ土俵に立つには、これだけでは足りない。
もっと多くの、もっと強力な「後ろ盾」が必要だ。
「さあ、次に行くわよ。……帝都にはまだ、脛に傷を持つ紳士淑女がたくさんいるもの」
私は日傘を広げ、次の獲物の屋敷へと歩き出した。
悪魔の営業回りは、まだ始まったばかりだ。
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