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第36話 ヒセツの所有欲

 ガシャンッ!!

 陶器が砕ける激しい音が、静かな朝の万屋に響き渡った。


「……何よ、朝から」


 私は淹れたてのコーヒーカップを口元で止め、不機嫌そうに眉をひそめた。

 台所の方を見ると、ヒセツが割れた皿の破片を踏みつけながら、苛立たしげにこちらを睨んでいる。

 今朝の彼は、異常だった。

 ただでさえ気性が荒いのが、今日はまるで手負いの獣のように殺気立っている。


「……気に入らねえ」


 ヒセツは低い声で唸り、テーブルの上のパン籠を乱暴に払いのけた。

 焼き立てのパンが床に散らばる。


「気に入らないって、何が? 朝食のメニュー? それとも昨夜の寝床?」

「テメェだ、桜子」


 ヒセツが一瞬で距離を詰めた。

 ドンッ!

 私が座る椅子の背もたれに手を突き、顔を近づけてくる。

 銀色の瞳孔が、針のように細く収縮している。いつもの戯れではない。本気の捕食者の目だ。


「昨日の夜からだ。……テメェの魂の匂いが変わった」


 彼は私の首筋に鼻を近づけ、フンフンと嗅ぐ仕草をした。


「うえッ……臭えんだよ。あのスカした男……九条鷹人の臭いが染み付いてやがる」

「馬鹿なことを。あいつとは数分話しただけよ」

「時間じゃねえ。意識の問題だ」


 ヒセツは私の顎を強引に掴み、上を向かせた。

 痛いほどの指の力。


「テメェの頭の中は今、あいつへの殺意でいっぱいだ。復讐? 奪還? 結構なことだがな……俺以外の男にそこまで執着されると、飯が不味くなるんだよ」


 彼の言い分は、あまりに理不尽で、そして人間離れしていた。

 嫉妬? いいえ、そんな可愛いものではない。

 これは「所有欲」だ。

 自分が食べるはずの林檎に、別の誰かが唾をつけたことへの生理的な嫌悪。


「勘違いするなよ、人間。俺はお前の魂が極上の絶望に熟したところを喰らうために契約したんだ。……あんな能面の男に、横取りされるつもりはねえぞ」


 ヒセツの爪が、私の首の皮膚に食い込む。

 一滴、血が滲んだ。


「お前は俺の餌だ。指一本、視線一つだって、他の男にくれてやる義理はねえ」


 常人なら失神するほどの威圧感。

 だが、私は恐怖するどころか、口元を吊り上げて笑ってしまった。


「……ふふっ」

「あ? 何がおかしい」

「だって、そうでしょう? 貴方ほどの怪物が、たかが人間の私ごときに『私だけを見ていろ』と駄々をこねているんですもの」


 私は彼の腕を掴み、その拘束を解こうともせず、真っ直ぐに見つめ返した。


「安心しなさい、駄犬。私の魂は貴方のものよ。九条鷹人なんて、ただの踏み台。私が美しく返り咲くための養分でしかないわ」


 私は滲んだ血を指先で拭い、それをヒセツの唇に押し付けた。


「あの男への執着は、貴方を満足させるためのスパイスよ。……それとも、無味乾燥な復讐劇の方がお好みかしら?」


 ヒセツは私の指についた血を舐め取ると、不満そうに、けれど少しだけ毒気が抜けたように鼻を鳴らした。


「……チッ。口の減らねえ女だ」


 彼は手を離し、乱暴に椅子に座り込んだ。

 どうやら、機嫌は直ったらしい。いや、私の「所有権」が自分にあることを再確認して、納得したのだろう。

 単純な生き物だ。けれど、その歪んだ独占欲こそが、今の私には最も信頼できる命綱だった。


 私は床に落ちたパンを拾わせることもせず、優雅にコーヒーを飲み干した。


「私は貴方の極上の餌よ。だから傷一つつけさせないように、しっかり守りなさい」


 ヒセツは無言でコーヒーを啜り、ニヤリと凶悪に笑った。

 主従ではない。共犯者ですらない。

 私たちは、捕食者と被食者という、最も濃密な鎖で繋がれている。


「行くわよ。……次は、エリート様たちの高い鼻をへし折りに行く時間だわ」


 私は立ち上がり、日傘を手に取った。

 ヒセツの不機嫌という嵐は去った。

 次は、帝国の権威という城壁を崩しにかかる。

ご覧いただきありがとうございました。感想や評価、ブックマークで応援いただけますと幸いです。また、他にも作品を連載しているので、ご興味ある方はぜひご覧ください。HTMLリンクも掲載しています。

次回は基本的に20時過ぎ、または不定期で公開予定です

活動報告やX(旧Twitter)でも制作裏話等更新しています。

作者マイページ:https://mypage.syosetu.com/1166591/

Xアカウント:@tukimatirefrain

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