第33話 九条鷹人
帝都の中心、千代田の丘。
そこにそびえ立つ九条家の本邸は、屋敷というよりは要塞、あるいは巨大な官公庁のようだった。
高く積み上げられた石垣と、周囲を圧迫するような黒鉄の門。
門の両脇には、最新式の軍用人造邪鬼が石像のように鎮座し、赤いレンズで通行人を監視している。
ここが、この国の法と秩序の頂点。
「お引き取りを。当主様はお忙しい」
門番の冷淡な声が響いた。
私は鉄柵の前に立ち、名刺を差し出したが、彼はそれを受け取ろうともしなかった。
「アポイントのない面会は一切受け付けておりません。それに、日野家の方など……」
門番は私の喪服のようなドレスと、後ろに控えるヒセツを一瞥し、鼻で笑った。
「没落した家の未亡人が、何の用ですかな? 施しなら他所へ行っていただきたい」
予想通りの対応だ。
五摂家筆頭である九条家にとって、スキャンダルまみれで当主不在の日野家など、もはや対等な交渉相手ではない。
「……施し?」
私は低く笑った。
「勘違いしないでちょうだい。私は『集金』に来たのよ。私の家から盗まれた莫大な資産と、未来の回収にね」
「なっ、無礼な!」
門番が警棒に手をかけた時だった。
砂利を踏みしめる重厚なタイヤ音が近づいてきた。
奥の車寄せから、一台の黒塗りの高級リムジンが滑るように現れた。
ボンネットには、九条家の家紋である「下がり藤」のエンブレム。
門番たちが慌てて直立不動の姿勢をとる。
「と、当主様のお出ましだ! 道を開けろ! 邪魔だ!」
巨大な鉄扉が音もなく開き始める。
私は動かなかった。
道を開けるどころか、リムジンの進路を塞ぐように、真正面に立った。
「おい、貴様! 死にたいのか!」
門番が怒号を上げるが、私は無視して車を見据えた。
リムジンが私の目の前、わずか数センチの距離で停車する。
運転席の男が慌てて何かを叫んでいるが、後部座席のドアが開いた。
降りてきたのは、一人の青年だった。
仕立ての良い三つ揃えのスーツ。
短く切り揃えられた黒髪。
顔立ちは彫刻のように整っているが、そこには一切の体温が感じられない。
冷徹で、機械的で、完璧な規律そのもののような男。
九条家当主、九条鷹人。
彼は私を一瞥もしなかった。
まるで、そこに石ころや街路樹があるのと同じように、私の存在を認識の外に置いている。
彼は懐中時計を確認し、無感情に呟いた。
「……30秒の遅延だ。排除しろ」
それだけ。
私という人間に対する興味も、敵意すらない。ただの障害物としての処理命令。
門番たちが私を捕らえようと殺到する。
ヒセツが前に出ようとしたが、私はそれを手で制した。
「お待ちになって、九条様」
私は声を張り上げた。懇願ではない。命令に近い響きで。
「私の叔父、日野重道がお世話になったようね。……彼が貴方に貢いだ私の家の資産、耳を揃えて返していただくわ」
九条の足が止まった。
彼はゆっくりと振り返り、初めて私を「視界」に入れた。
その瞳は、凍てつく湖のように静かで、底が見えない。
「……日野、桜子か」
抑揚のない声。
「返還? 法的に正当な手続きを経て寄付されたものだ。返還義務はない」
「法的には、ね。でも、その契約の裏に『殺人教唆』があったとしたらどうかしら?」
私は一歩踏み出した。
「叔父は自白したわ。貴方が彼を唆し、私と夫・彰を襲わせたと。……日野家の資産と引き換えにね」
鎌をかけた。
叔父の自白は錯乱した老人の世迷い言として処理されるかもしれない。だが、本人の前で突きつければ、反応が出るはずだ。
九条は眉一つ動かさなかった。
「世迷い言だ。……証拠は?」
「ないわ」
私は即答した。
「今はまだ、ね。でも私は諦めない。貴方が作った『法』という名の迷路を、私の計算で解き明かして、必ず貴方の喉元に食らいついてみせる」
私は彼を睨みつけた。
憎しみと、殺意と、そして何よりも冷え切った理性を込めて。
泣き喚く被害者としてではない。対等な敵対者として。
「覚えておいて。私は日野桜子。……貴方から『全て』を奪い返す女よ」
風が吹き抜け、私の黒髪と喪服の裾を激しく揺らした。
九条鷹人は、私を見ていた。
最初はゴミを見るような目だった。
だが、私の瞳の奥にある昏い光――絶望の淵から這い上がってきた狂気的な光――を見た瞬間。
ピクリ。
彼の無表情な仮面の下で、何かが反応した。
彼は息を呑むように、私の目を凝視した。
その瞳に、動揺とも、驚愕ともつかない色が走る。
まるで、死んだはずの亡霊を見たかのような。
あるいは、あり得ないはずの「同類」を見つけてしまったかのような。
「……その、目」
九条の唇が、わずかに震えた。
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