第31話 勝利と平手打ち
屋敷の外から響いていたサイレンの音が、やがて轟音となって玄関ホールになだれ込んできた。
駆けつけてきたのは、帝都の治安維持を担う特高警察の部隊だった。
「動くな! 全員そのまま!」
軍靴の音がホールを埋め尽くす。
彼らは惨状――破壊された軍用人造邪鬼の残骸と、泡を吹いて倒れている叔父――を見て、一瞬たじろいだ。
「こ、これは……一体何事だ」
「ご苦労様です」
私はドレスの裾を直し、凛とした声で警部らしき男に歩み寄った。
「当主代行の日野重道が錯乱し、違法な軍事兵器を暴走させました。私たちは正当防衛により、これを鎮圧したまでです」
私は気絶している叔父を冷ややかに見下ろした。
警部たちは、叔父と私、そして傍らに立つ銀髪の男を交互に見比べたが、状況証拠は明白だった。
「……連行しろ」
警部の指示で、数人の警官が叔父を引きずり起こす。
叔父は意識を取り戻したが、焦点が合わない目で虚空を見つめ、「彰が……彰が来る……」と譫言を繰り返すばかりだった。
その姿に、かつての権威のかけらもない。ただの壊れた老人だ。
私は叔父がパトカーに押し込まれていくのを、無表情で見送った。
招待客たちも事情聴取のために誘導されていく。
騒乱の夜会は、こうして幕を閉じた。
数十分後。
私は人払いをさせた一階の控室に入り、重い扉を閉めた。
外界の喧騒が遮断され、静寂が戻る。
張り詰めていた糸が切れ、ドッと疲労が押し寄せてくる。
「……やれやれ。とんだお披露目会だったな」
背後でヒセツが軽口を叩いた。
彼はソファに深々と腰掛け、テーブルの上のワインボトルを勝手に開けてラッパ飲みした。
「だが、効果は抜群だったろ? あの狸親父、最後は自分の影に怯えて失禁してやがった。傑作だったぜ」
ヒセツは喉を鳴らしてワインを飲み干し、ニヤニヤと笑いながら私を見た。
「どうだ、俺の演技は。あの死んだ旦那の泣き真似、そっくりだったろ? お前も感動したんじゃ……」
パァァァンッ!!
乾いた破裂音が、室内に響き渡った。
ヒセツの言葉が途切れる。
彼の顔が横に弾かれた。
私の右手は、熱を帯びてジンジンと痺れている。
ヒセツはゆっくりと顔を戻し、叩かれた頬を親指で拭った。
その瞳から笑みが消え、凍りつくような殺気が滲み出る。
「……おい。調子に乗るなよ、人間」
部屋の温度が一気に下がる。
通常の人間なら心臓が止まるほどのプレッシャー。
だが、私は退かなかった。彼を真正面から睨み据え、低い声で告げた。
「二度と、あの人の顔を使わないで」
私の声は震えていた。恐怖ではない。激しい怒りで。
「貴方にとって、あれはただの恐怖を与えるための道具かもしれない。……でも、私にとっては違う」
あの優しい声。弱気な眉。私を呼ぶ響き。
それらは全て、私が永遠に失った宝物だ。
それを、あんな薄汚い復讐劇の小道具として消費されることなど、耐えられるわけがない。
「あの人の尊厳を汚すなら……たとえ貴方が神魔だろうと、契約を破棄してでも殺すわ」
本気だった。
もし彼がここで私を殺すというなら、それでも構わないと思えるほどに。
数秒の沈黙。
互いの殺気と意地がぶつかり合う。
やがて、ヒセツがふっと肩の力を抜いた。
「……チッ。面倒くせえ女だ」
彼は呆れたように吐き捨て、ソファに背を預けた。
殺気は消えていた。
「わかったよ。効率的だと思ったんだがな。……次は別の手を使う」
「ええ。そうしてちょうだい」
私は息を吐き、鏡台の前へ歩いた。
ギリギリの交渉だった。だが、ここで引けば、私は彼に「飼われる」ことになる。
主人は私だ。その線引きだけは、絶対に譲れない。
私は鏡に向かい、乱れた髪を直そうとした。
その時。
鏡の端に、赤い文字が書かれているのに気づいた。
『合格。次は私の部屋に来てね タマ』
口紅で殴り書きされたメッセージ。
そして鏡台の上には、先ほどまでタマが持っていたはずの、空になった皿が置かれていた。
「……あの子」
いつの間に侵入したのか。
警備の目も、ヒセツの感覚さえもすり抜けて。
私は指先でその文字をなぞった。
叔父という小物は片付いた。
だが、この屋敷にはまだ、得体の知れない「何か」が棲みついている。
そして外には、九条鷹人という巨大な敵が待っている。
「……休んでいる暇はなさそうね」
私はハンカチで口紅の文字を拭い去ると、決意も新たに顔を上げた。
夜はまだ、明けていない。
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