第26話 金庫の秘密
紙吹雪の嵐が吹き荒れるメインホール。
視界を奪われた警備兵たちの怒号と、ヒセツが楽しげに暴れる破壊音が背後で響いている。
私はその混沌をカーテン代わりにして、ホールの脇にある重厚な扉をすり抜けた。
扉の向こうは、嘘のように静まり返っていた。
深紅の絨毯が敷かれた廊下。
かつて父が歩き、私が走り回り、そして今は叔父が我が物顔で闊歩している場所。
「……ヒセツ、派手にやっておいてね」
私は背後の騒音に小さく呟き、ヒールを脱いで手に持った。
ここからは隠密行動の時間だ。
私の目的は、叔父を痛めつけることだけではない。この家を蝕む「病巣」の根拠を掴むことだ。
目指すは、二階の最奥にある「当主の書斎」。
私は音もなく廊下を疾走した。
途中、数人の使用人とすれ違いそうになったが、壁の死角と換気ダクトの陰を利用してやり過ごす。屋敷の構造は、私の頭の中に設計図として焼き付いている。
書斎の前に到着する。
扉には物理的な鍵と、簡易的な魔除けの札が貼られていた。
私は懐からヘアピンを取り出し、鍵穴に差し込む。
カチリ。
わずか三秒。おざなりな魔除けが反応するよりも早く、物理的にシリンダーを回して解錠した。
ガチャリ。
私は部屋に滑り込み、内側から鍵をかけた。
書斎の中は、鼻をつく葉巻の臭いと、麝香の香水の臭いが充満していた。
父の代にはあった学術書や古美術品は姿を消し、代わりに悪趣味な金箔の置物や、自分を賛美する肖像画が飾られている。
「……吐き気がするわ」
私は嫌悪感を押し殺し、部屋の隅にある巨大な肖像画へと歩み寄った。
叔父の自尊心の象徴。その裏にこそ、彼が最も隠したいものがあるはずだ。
絵画を強引に外すと、予想通り、壁に埋め込まれた黒い金庫が現れた。
最新式のダイヤルロック。
神魔との契約による「呪いの封印」ではなく、純粋な機械式だ。
気まぐれな神魔を御する器量も、代償を払う覚悟もない叔父らしい選択だ。彼は目に見えない術式よりも、金で買える鋼鉄の厚みを信用している。
「さて……」
私はドレスの袖口から、一枚の「紙人形」を取り出した。
スラムで作成した、古新聞をリサイクルした式神だ。
私はそれを、ダイヤルと扉のわずかな隙間に滑り込ませた。
(……潜りなさい)
私が念じると、紙人形に憑依させておいた下級の「邪鬼」が反応する。
紙はアメーバのように形を変え、暗い金庫の内部へと浸透していく。
歯車の溝、バネの張力、ディスクの切り欠き。
紙人形が触れた物理的な「感触」が、私の脳内にリアルタイムでフィードバックされる。
カチ、カチ……。
私は目を閉じ、ダイヤルをゆっくりと回す。
聴覚ではない。触覚だ。
紙人形が内部のディスクと接触し、摩擦係数がわずかに変化する瞬間を探る。
(……一桁目、捕捉。……二桁目、右へ45度)
運など必要ない。
叔父の思考を読む必要もない。
そこにあるのは、精緻な機械構造と、それを攻略するための物理法則だけ。
どれほど堅牢な城壁も、蟻の穴から崩れる。
カコン。
重たい音がして、ハンドルが回った。
解錠完了。
私は紙人形を回収し、重い鉄の扉を開いた。
「……ビンゴ」
中には、札束の山と、数冊の黒革の帳簿。
そして、厳重に封蝋された一通の書類があった。
私は書類を手に取り、封を切った。
中身を改める。
そこに記されていたのは、日野家の全資産――土地、権利、術式特許――を、極秘裏にある一族へ譲渡するという契約書だった。
譲渡先の名は、『九条家』。
そして、その末尾には、見覚えのある冷徹な筆跡で、こう署名されていた。
承認者:九条 鷹人
「……やっぱり」
私はギリリと唇を噛み締め、契約書を強く握った。
叔父は、ただの操り人形だったのだ。
日野家を乗っ取り、私を追い出し、彰を殺した黒幕。
その糸を引いていたのは、五摂家の筆頭であり、法の番人である九条家。
「叔父様……貴方はただの『財布』だったのね。骨の髄までしゃぶり尽くされて、用済みになれば捨てられるだけの」
怒りが、冷たい氷となって腹の底に溜まる。
だが、それ以上に得難い収穫だ。
これで「敵」の正体がはっきりした。
私が殺すべき相手は、この小物の叔父ではない。その奥にいる、帝都の支配者だ。
「……貰っていくわ」
私は契約書と裏帳簿をドレスの胸元にねじ込んだ。
これが、叔父を社会的に抹殺し、九条に牙を剥くための最強の武器になる。
その時。
ドンドンドン!!
書斎の扉が激しく叩かれた。
「おい! 誰かいるのか! 開けろ!!」
警備兵の声だ。
どうやら、ネズミが入り込んだことに気づかれたらしい。
私はヒールを履き直し、髪をかき上げた。
逃げる?
まさか。
私は鏡に映る自分に向かって、ニヤリと笑った。
証拠は揃った。
あとは、あの煌びやかなステージに戻って、盛大な暴露ショーを開催するだけだ。
「……開演の時間よ」
私は鍵を開け、扉を蹴り開けた。
驚愕する警備兵たちの前に、漆黒のドレスを纏った魔女が躍り出る。
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