第24話 ワルツは硝子の靴で
日野家本邸、メインホール。
天井高く吊るされたクリスタルのシャンデリアが、眼下の着飾った男女を昼間のように照らし出していた。
帝都の上流階級が集う夜会。
高価な香水の甘ったるい香りと、上辺だけの愛想笑い、そしてグラスが触れ合う軽薄な音が充満している。
「――ええ、ええ。我が日野家も、ようやく不幸な『喪』が明けましてな」
ホール中央の壇上で、叔父の日野重道がワイングラスを片手に演説を打っていた。
顔を赤くし、脂ぎった額に汗を浮かべながら、五摂家の要人たちに媚びた視線を送っている。
「前当主の不手際と、不幸な事故で亡くなった私の甥……そして、その未亡人が家を去ったことで、ようやく悪運を祓うことができました。これからは、この重道が責任を持って、日野の家名を再興させる所存です」
会場から、まばらな拍手が起こる。
誰も重道のことなど尊敬していない。だが、腐っても日野家だ。その利権にありつこうとするハイエナたちが、追従の笑みを浮かべている。
「それでは、新生・日野家の門出を祝して、乾杯――」
重道がグラスを高々と掲げた、その瞬間だった。
ブツンッ。
唐突に、全ての照明が落ちた。
完全な暗闇。
ざわめきが波紋のように広がる。
「な、なんだ!? 停電か?」
「予備電源はどうなっている!」
重道の狼狽した声が響く。
その混乱を切り裂くように、重厚な音楽が鳴り響いた。
ジャァァァン……!
大音響で流されたのは、叔父が用意していた軽やかな室内楽ではない。
地を這うようなチェロと、激しいドラムロールが絡み合う、短調のワルツ。
私が警備室の蓄音機にセットしておいた、ショスタコーヴィチのジャズ組曲――その中でも特に皮肉と狂気に満ちた一曲だ。
「な、なんだこの曲は! 止めろ!」
カッ!
叔父の叫びをかき消すように、一筋のスポットライトが天井から降り注いだ。
光の柱が突き刺したのは、ホール正面にある大理石の大階段。
その最上段。
「……ごきげんよう、叔父様」
そこに、私が立っていた。
闇を纏ったような漆黒のイブニングドレス。
背中を大胆に晒し、コルセットで締め上げた肢体は、鞭のようにしなやかだ。
顔は蒼白く、唇だけが鮮血のように赤い。
そして胸元には、スポットライトを反射して輝く、純白の「上がり藤」の家紋。
「……さ、桜子……?」
重道が、幽霊でも見たかのように目を見開き、グラスを取り落とした。
ガシャン、と高い音が響く。
それが合図だった。
カツッ。
私は一歩、階段を踏み出した。
静まり返ったホールに、ヒールの音が硬質に響き渡る。
カツッ、カツッ。
それは通常の靴音ではない。
踵に鉄芯を埋め込んだ、特注のピンヒール。大理石の床を叩くたびに、まるで氷を砕くような、あるいは骨を断つような、鋭利な音が響く。
童話のシンデレラは硝子の靴を落として王子を待ったけれど、私は違う。
この靴は、踏み砕くためにある。
「ば、馬鹿な……貴様、生きて……いや、どうやってここへ!?」
「どうやって? 正面から堂々と入って来ましたわ。……だって、ここは『私の家』ですもの」
私は手すりに手をかけず、優雅に、しかし圧倒的な威圧感を持って階段を降りていく。
その隣には、燕尾服を着たヒセツが、私の手を恭しく支えていた。
銀髪の美貌と、獰猛な瞳。
彼が放つ異様な存在感が、会場の空気をさらに凍りつかせる。
「な、なんだその格好は! 喪服……!? 祝いの席になんたる不吉な!」
「あら、お似合いでしょう?」
私は階段の中腹で足を止め、会場を見渡した。
数百人の視線が、私に釘付けになっている。恐怖、好奇心、そして軽蔑。
いいわ。もっと見なさい。
「日野家の再興? 悪運を祓う? ……笑わせないで」
私の声は、マイクも使っていないのに、ホールの隅々まで朗々と響いた。
それは魔力ではない。胆力だ。
「叔父様。貴方が祓おうとした『悪運』が、利子をつけて戻って参りましたわ」
私はヒセツの手を離し、階段を駆け下りた。
カツカツカツッ!
激しい足音が、音楽のリズムと重なる。
私は呆然と立ち尽くす重道の目の前まで進み出ると、彼がつま先立ちしていた演台の上へ、躊躇なく片足を乗せた。
ガッ!!
鋭利な鉄のヒールが、演台の木材を深々と突き刺し、食い込む。
重道の鼻先、わずか数センチ。
彼はひきつけを起こしたように硬直した。
「ひっ……!」
「お忘れかしら? この屋敷の床も、壁も、この空気さえも。全ては正統なる当主である、私のもの」
私はヒールを演台に突き立てたまま、体重をかけてグリグリと捻じ込んだ。
ミシミシと嫌な音がする。
それはまるで、叔父の脆弱なプライドを踏み躙る音のようだった。
「私の許可なく、勝手にパーティなんて開かないでくださる?」
私は能面のような無表情で、唇だけで妖艶に笑った。
「さあ、踊りましょうか、叔父様。……音楽はまだ始まったばかりよ」
私はヒールを引き抜くと、演台を蹴り倒した。
倒れる演台、悲鳴を上げる貴族たち。
狂乱の舞踏会が、今、幕を開ける。
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