第2話 ここへ来た理由
翌朝。
廃屋の隙間だらけの天井から、無遠慮な朝日が差し込んでいた。
「……最悪の寝覚め」
私は煎餅布団の上で身じろぎし、全身を走る激痛に呻いた。
昨晩の召喚儀式で、魔力回路のない私の体は悲鳴を上げている。筋肉は断裂し、骨の髄まで鉛を流し込まれたように重い。
それでも、私は生きていた。
そして、それもまた、そこにいた。
「おやおや。死体かと思えば、まだ息があったのか」
部屋の隅、朽ちかけた文机の上に、銀髪の少年が腰掛けている。
ヒセツ。
彼は埃っぽい空気を手で払いながら、心底不愉快そうに鼻を鳴らした。
「おい、ご主人様。これは何の冗談だ?」
彼は芝居がかった仕草で、両手を広げてみせた。
「俺を呼び出した対価が、このドブ川のような廃屋か? 供物もなし、快適な寝床もなし。うえっ、食いでもない不味そうな人間一人……、おっと、ご主人様だった」
甘い声色だが、その瞳は笑っていない。
「ご主人様」という響きには、明らかに侮蔑の色が含まれていた。
私は痛む体を引きずり、壁に寄りかかって上体を起こした。
乱れた寝巻きの襟を合わせ、冷ややかに彼を見上げる。
「文句があるなら帰ればいいわ。……ただし、私の許可なく結界を出れば、拘束術式があなたの氣を締め上げるけれど」
「ハッ、強気なことだ。だが、解せないな」
ヒセツは文机から音もなく飛び降り、私の目の前にしゃがみ込んだ。
白磁のような指先が、私の頬にこびりついた泥を拭う。
「お前の記憶が少し流れてきた。日野家の令嬢にして、近衛家の未亡人。腐っても名家の人間だろう? なぜ、こんな吹き溜まりに潜んでいる?」
彼は私の瞳を覗き込み、嘲笑うように続けた。
「どうせ、あの狐のような叔父に追い出されたんだろう? 『可哀想に、夫殺しの汚名を着せられて』とでも言われて、命からがら逃げてきたか? 哀れな悲劇のヒロインだ」
私は、彼の手をパチンと叩き落とした。
「……訂正なさい。駄犬」
手のひらが痺れる。
私は彼を睨み据え、はっきりと言った。
「追い出されたんじゃないわ。私が、捨ててやったのよ」
*
数日前。彰の葬儀の夜のことだ。
雨音だけが響く近衛家の広間で、親族会議が開かれていた。
上座に座るのは、私の実家の叔父。喪服に身を包んでいるが、その目は遺産への計算でぎらついているのが分かった。
「……桜子さん。本当に、気の毒なことだ」
叔父は白々しく涙を拭うふりをした。
「彰君が亡くなり、君は若くして未亡人となってしまった。しかも、あの襲撃現場で生き残ったのは君だけ……。世間は無責任だ。『妻が魔導実験の失敗で夫を殺したのではないか』などと、心ない噂も立っている」
周囲の親族たちが、ひそひそと頷き合う。
同情するような視線。けれどその奥には、「厄介者」「不吉な女」という侮蔑が見え隠れしていた。
「そこでだ。君の身柄は、私が預かろうと思う」
叔父は、獲物を前にした爬虫類のように笑った。
「君は心労で錯乱している。しばらくは私の屋敷の離れで、静養するといい。……なに、外に出なければ、悪い噂も耳に入らない。財産の管理も、すべて私が代行してあげよう」
静養。
聞こえはいいが、それは「軟禁」と同義だった。
私を社会的に抹殺し、日野家の実権をすべて合法的に奪い取るつもりだ。
私が泣いて縋れば、彼らは満足するだろう。「可哀想な桜子」という役割を演じれば、飼い殺しの安寧は約束される。
――ふざけないで。
腹の底から、どす黒い熱が湧き上がった。
彰は、私の「強さ」を愛してくれた。
その私が、こんな三文芝居の犠牲者として、めそめそと一生を終える?
「……お断りします」
私は顔を上げ、叔父を直視した。
「え?」
「耳が遠くなりましたか、叔父様。お断りすると申し上げたのです」
私は席を立った。
親族たちがどよめく中、私は広間の出口へと歩き出す。
「待ちなさい! 正気か!? 後ろ盾のない女が、一人で生きていけると思っているのか!」
叔父が激昂し、机を叩いた。
「この家を出るなら、一銭もやらんぞ! 着の身着のままで野垂れ死ぬがいい!」
「ええ、結構よ!」
私は振り返り、親族全員に見せつけるように、艶然と微笑んでみせた。
「あなたの薄汚いお金なんて、びた一文いらないわ。私の価値は、私が決める。……誰かに飼われるくらいなら、泥水をすすってでも、あなたたちの頭上まで這い上がってみせる」
雷鳴が轟く中、私は屋敷を後にした。
雨に打たれる背中に、罵声と嘲笑が浴びせられる。けれど、不思議と足取りは軽かった。
*
「……というわけよ」
語り終えた私は、枕元の水を一気に飲み干した。
ヒセツは、ぽかんと口を開け、それから腹を抱えて笑い出した。
「ククッ、ハハハハ! 傑作だ! プライドのために、自分からドブに飛び込んだというのか!」
彼は涙を拭いながら、歪んだ笑みを私に向けた。
「いいだろう、気に入った。お前はただの羽虫じゃない。毒を持った蜘蛛だ」
ヒセツの瞳から、侮蔑の色が消え、代わりに嗜虐的な興味が宿る。
「だが、現実はどうだ? 金もなし、家もなし。あるのはその生意気な口と、俺という扱いにくい爆弾だけだ。……さて、どうする? ご主人様」
試すような視線。
私は不敵に笑い返し、文机の上の定規を手に取った。
「計算なら済んでいるわ。まずは資金調達よ。……働きなさい、ヒセツ。今日からここは、帝都で一番危険な『万屋』になるんだから」
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