第14話 情報屋・白狐
帝都の東区画、中華街。
極彩色のネオンと提灯が雨に濡れた路面を照らし、香辛料と阿片の甘い煙が混じり合った空気が漂う。ここは法の目が届かない、混沌と欲望のるつぼだ。
私は傘も差さず、ヒセツの後ろをついて歩いた。
薄汚れた喪服(黒紋付)は雨を吸って重いが、今の私には、周囲の雑踏や客引きの声などノイズに過ぎない。
「……おい、本当にあいつの所に行くのか?」
先導するヒセツが、嫌そうに肩越しに振り返る。
「あいつは性格が悪いぞ。俺よりな」
「貴方より性格が悪いなんて、世界中探してもそういないわ。……それに、背に腹は代えられない」
私たちは路地裏の奥まった場所にある、一軒の古びた漢方薬局の前で足を止めた。
看板には『白狐堂』と書かれている。
ヒセツが無造作に扉を蹴り開けた。
「よお、白狐。生きてるか?」
店内は薄暗く、乾燥したトカゲや正体不明の根菜が所狭しと吊るされている。
その奥の帳場に、一人の男が座っていた。
長い銀髪を一本に縛り、丸いサングラスをかけ、長いキセルをふかしている優男だ。年齢不詳。人間かどうかも怪しい。
「おや……。どこの野良犬かと思えば、ヒセツじゃないか」
男――白狐は、サングラスの奥で目を細めた。
その視線が、ヒセツの首元あたりで止まり、ニヤリと口角を上げる。
「傑作だね。お前、まだそんな悪趣味な『首輪(契約)』をしてるのか?」
ヒセツの眉間が一瞬で険しくなる。
首輪。それは物理的なものではなく、私との間に結ばれた「契約の縛り」のことだ。
誇り高い羅刹にとって、人間の、それも魔力を持たない小娘に使役されていることは、最大の屈辱なのだろう。
「……殺すぞ、詐欺師」
「怖い怖い。……で? その首輪の持ち主は、そこの濡れ鼠のお嬢ちゃんかい?」
白狐の視線が私に向いた。
値踏みするような、粘着質な視線。私は怯まずに見つめ返した。
「初めまして。日野桜子です。……貴方がこの街で一番の情報屋だと聞いて参りました」
「日野……? ああ、あの没落した名家の」
白狐はキセルの煙を吐き出し、興味なさそうに手を振った。
「帰んな。ウチは慈善事業じゃないんだ。死に損ないの令嬢に売るネタはないよ」
「ネタを買うんじゃないわ。……地図が欲しいの」
私は懐から、濡れないように油紙で包んだ金(万屋の全財産)を取り出し、カウンターに置いた。
「日野家本邸の最新の図面。それも、ただの間取り図じゃなくて、結界の配線と『氣』のダクトが記された裏図面を」
白狐は金を見ようともしなかった。
「足りないね。その十倍は貰わないと」
「……」
「それに、そんな危ないもん売って、もしバレたら俺の商売に関わる。……リスクとリターンが釣り合わないんだよ」
交渉決裂か。
ヒセツが「ほら見ろ」という顔をしている。
だが、私は引かない。ここで引けば、あの家に正面から突っ込んで死ぬだけだ。
「……金が足りないなら、これでどう?」
私は一歩前に出て、自分の顔を指差した。
濡れた髪が張り付き、泥にまみれた顔。だが、その瞳だけは見開いている。
「私の『復讐』を見せてあげる」
「は?」
「今の私は、貴方の言う通り死に損ないの濡れ鼠よ。でも、この図面さえあれば、来月の満月の夜、帝都中の貴族が見ている前で、あの日野家をひっくり返してみせる。……極上のエンターテインメントだと思わない?」
白狐がキセルを止めた。
サングラスを少しずらし、素顔の瞳――蛇のように縦に割れた金色の瞳で、私を覗き込む。
「……狂ってるね」
「正気よ。計算ずくの狂気」
数秒の沈黙。
店内の空気が張り詰める。ヒセツがいつでも暴れられるように身構える。
やがて、白狐はクスクスと笑い始めた。
「あはは! いい目だ。空っぽで、冷たくて、それでいて燃えている。……気に入った」
彼はカウンターの下から、一本の巻物を取り出して放り投げた。
「持って行きな。代金はそれでいい」
「……いいの?」
「その代わり、つまらない死に方をしたら、死体の皮を剥いで三味線にするから覚悟しな」
私は巻物を受け取り、深く一礼した。
「感謝します。……特等席を用意しておくわ」
「期待してるよ、狂ったお姫様」
店を出ると、雨は小降りになっていた。
手の中には、日野家の心臓部への地図がある。
「……物好きだな、あいつも」
ヒセツが呆れたように呟く。
私は巻物を懐にしまい、強く握りしめた。
「さあ、次は衣装よ。……このままじゃ、パーティには出られないもの」
私は濡れた喪服の袖を絞り、夜の闇を見据えた。
舞台装置は揃いつつある。あとは、主役が着飾るだけだ。
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