表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

13/36

第13話 情報の価値

 雨音だけが響く万屋の中で、男の荒い呼吸音が続いていた。

 灰を吸い込んだ気管支は、呼吸をするたびに焼けつくような痛みを訴えているはずだ。

 男は床に転がったまま、虚ろな目で天井を見上げていた。もはや自害する気力も、抵抗する意志も残っていない。


「……さて」


 私は壊れた椅子を引きずってきて、男の枕元に座った。

 絶縁手袋を外し、素手で男の胸ポケットから抜き取った手形(小切手)をヒラヒラと見せる。


「叔父様からの前金ね。金額は……あら、随分と安く見積もられたものだわ。私の命は、帝都の土地一坪分にも満たないのかしら」


 男は何も答えない。ただ、喉の奥でヒューヒューという音が鳴るだけだ。


「おい、ご主人様。こいつ、もう使い物にならねえぞ」


 ヒセツが瓦礫の山からリンゴを拾い上げ、服で拭って齧りついた。


「さっさと殺して埋めるか? ドブ川の魚の餌にはなるだろう」

「待ちなさい。……この男には、まだ『口』が残っているわ」


 私は男の顔を覗き込んだ。

 プロの暗殺者。金で雇われただけの道具。

 だからこそ、忠誠心などという不確かなものではなく、損得勘定そろばんで話ができるはずだ。


「取引をしましょう」


 私は手形を二つに破り捨て、紙吹雪のように男の顔に降らせた。


「貴方の任務は失敗した。このままここで死ぬか、それとも情報を吐いて、この街から消えるか。……選ばせてあげる」


 男の瞳が僅かに動いた。

 生への執着。それが残っているなら、交渉は成立する。


「……何を、聞きたい」


 男が掠れた声で囁く。

 私は微笑んだ。


「全部よ。叔父様の計画、スケジュール、そして招待客のリスト」


 男は少しの間、躊躇った。だが、ヒセツが足先で彼の折れた右腕を軽く踏むと、すぐに口を開いた。


「……来月の、満月だ」


 男は途切れ途切れに語り始めた。


 来月の十五夜。日野家の本邸にて、「当主継承披露の夜会」が開催される。

 表向きは、病弱だった先代当主(私の父)の喪が明けたことによる、正式な継承の儀。

 だがその実態は、叔父が日野家の実権を完全に掌握するための、政治的なデモンストレーションだ。


「招待客は……五摂家の当主代理、政財界の重鎮、軍部の高官……総勢百名以上。……貴様の死も、そこで正式に公表される手はずだ」

「私の死?」

「ああ。『精神を病んで失踪していた前当主の娘が、スラムで客死した』とな。……そのための証拠写真したいを撮るのが、俺の仕事だった」


 なるほど。

 私がスラムで野垂れ死んだことにすれば、叔父は「悲劇の姪を看取った慈悲深い保護者」として、同情と正統性の両方を得られるわけだ。

 完璧なシナリオだ。吐き気がするほどに。


「警備は?」

「……厳重だ。五摂家の私兵団に加え、各家が契約している神魔も警護に当たる可能性がある。……正面からは、蟻一匹入れない」


 男はそこまで話すと、激しく咳き込んだ。

 灰が肺の奥で暴れているのだろう。

 私は立ち上がり、棚から水差しを取って男の口元に傾けた。


「……十分よ。いい取引だったわ」


 男は水を飲み干すと、荒い息をつきながら私を睨んだ。


「……行く気か? 自殺行為だぞ」

「自殺? まさか」


 私は割れた窓ガラスに映る自分の顔を見た。

 薄汚れた喪服。煤けた肌。

 だが、その瞳だけは、かつてないほど鮮やかに燃えていた。


「これは『帰宅』よ。……自分の家に帰るのに、招待状はいらないでしょう?」


 私はヒセツを振り返った。

 彼はリンゴの芯を放り投げ、ニヤリと笑った。


「で? どうするんだ、ご主人様。正面から殴り込むか?」

「いいえ。……最高の演出サプライズを用意しましょう」


 私は叔父の書いたシナリオを脳内で破り捨て、新しい式を構築し始めた。

 死んだはずの姪が、最も華やかな舞台で、地獄の底から帰ってくる。

 悲劇のヒロインではなく、復讐の女王として。


「ヒセツ、出るわよ」

「あ? どこへ」

中華街チャイナタウン。……屋敷の図面が必要だわ。この男の話じゃ、警備の大枠しか分からない。もっと詳細な『穴』を見つけないとね」


 私は男を放置し、雨の降る夜の街へと踏み出した。

 雷鳴は遠ざかっていた。

 だが、私の胸の中の嵐は、これからが本番だった。

ご覧いただきありがとうございました。感想や評価、ブックマークで応援いただけますと幸いです。また、他にも作品を連載しているので、ご興味ある方はぜひご覧ください。HTMLリンクも掲載しています。

次回は基本的に20時過ぎ、または不定期で公開予定です

活動報告やX(旧Twitter)でも制作裏話等更新しています。

作者マイページ:https://mypage.syosetu.com/1166591/

Xアカウント:@tukimatirefrain

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ