第13話 情報の価値
雨音だけが響く万屋の中で、男の荒い呼吸音が続いていた。
灰を吸い込んだ気管支は、呼吸をするたびに焼けつくような痛みを訴えているはずだ。
男は床に転がったまま、虚ろな目で天井を見上げていた。もはや自害する気力も、抵抗する意志も残っていない。
「……さて」
私は壊れた椅子を引きずってきて、男の枕元に座った。
絶縁手袋を外し、素手で男の胸ポケットから抜き取った手形(小切手)をヒラヒラと見せる。
「叔父様からの前金ね。金額は……あら、随分と安く見積もられたものだわ。私の命は、帝都の土地一坪分にも満たないのかしら」
男は何も答えない。ただ、喉の奥でヒューヒューという音が鳴るだけだ。
「おい、ご主人様。こいつ、もう使い物にならねえぞ」
ヒセツが瓦礫の山からリンゴを拾い上げ、服で拭って齧りついた。
「さっさと殺して埋めるか? ドブ川の魚の餌にはなるだろう」
「待ちなさい。……この男には、まだ『口』が残っているわ」
私は男の顔を覗き込んだ。
プロの暗殺者。金で雇われただけの道具。
だからこそ、忠誠心などという不確かなものではなく、損得勘定で話ができるはずだ。
「取引をしましょう」
私は手形を二つに破り捨て、紙吹雪のように男の顔に降らせた。
「貴方の任務は失敗した。このままここで死ぬか、それとも情報を吐いて、この街から消えるか。……選ばせてあげる」
男の瞳が僅かに動いた。
生への執着。それが残っているなら、交渉は成立する。
「……何を、聞きたい」
男が掠れた声で囁く。
私は微笑んだ。
「全部よ。叔父様の計画、スケジュール、そして招待客のリスト」
男は少しの間、躊躇った。だが、ヒセツが足先で彼の折れた右腕を軽く踏むと、すぐに口を開いた。
「……来月の、満月だ」
男は途切れ途切れに語り始めた。
来月の十五夜。日野家の本邸にて、「当主継承披露の夜会」が開催される。
表向きは、病弱だった先代当主(私の父)の喪が明けたことによる、正式な継承の儀。
だがその実態は、叔父が日野家の実権を完全に掌握するための、政治的なデモンストレーションだ。
「招待客は……五摂家の当主代理、政財界の重鎮、軍部の高官……総勢百名以上。……貴様の死も、そこで正式に公表される手はずだ」
「私の死?」
「ああ。『精神を病んで失踪していた前当主の娘が、スラムで客死した』とな。……そのための証拠写真を撮るのが、俺の仕事だった」
なるほど。
私がスラムで野垂れ死んだことにすれば、叔父は「悲劇の姪を看取った慈悲深い保護者」として、同情と正統性の両方を得られるわけだ。
完璧なシナリオだ。吐き気がするほどに。
「警備は?」
「……厳重だ。五摂家の私兵団に加え、各家が契約している神魔も警護に当たる可能性がある。……正面からは、蟻一匹入れない」
男はそこまで話すと、激しく咳き込んだ。
灰が肺の奥で暴れているのだろう。
私は立ち上がり、棚から水差しを取って男の口元に傾けた。
「……十分よ。いい取引だったわ」
男は水を飲み干すと、荒い息をつきながら私を睨んだ。
「……行く気か? 自殺行為だぞ」
「自殺? まさか」
私は割れた窓ガラスに映る自分の顔を見た。
薄汚れた喪服。煤けた肌。
だが、その瞳だけは、かつてないほど鮮やかに燃えていた。
「これは『帰宅』よ。……自分の家に帰るのに、招待状はいらないでしょう?」
私はヒセツを振り返った。
彼はリンゴの芯を放り投げ、ニヤリと笑った。
「で? どうするんだ、ご主人様。正面から殴り込むか?」
「いいえ。……最高の演出を用意しましょう」
私は叔父の書いたシナリオを脳内で破り捨て、新しい式を構築し始めた。
死んだはずの姪が、最も華やかな舞台で、地獄の底から帰ってくる。
悲劇のヒロインではなく、復讐の女王として。
「ヒセツ、出るわよ」
「あ? どこへ」
「中華街。……屋敷の図面が必要だわ。この男の話じゃ、警備の大枠しか分からない。もっと詳細な『穴』を見つけないとね」
私は男を放置し、雨の降る夜の街へと踏み出した。
雷鳴は遠ざかっていた。
だが、私の胸の中の嵐は、これからが本番だった。
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