反撃の城
差し伸べられたのは、女神の手。
与えられたのは、美しすぎる鳥籠。
飼い殺されるだけのペットで終わるのか。
それとも、この城を拠点に、世界へ牙を剥く王となるのか。
選択肢は、もうない。
彼女たちの覚悟を、裏切ることはできないのだから。
さあ、始めよう。
地獄の底から、世界をひっくり返すための、
最高に甘くて、最高に過激な、ゲームを。
【美しすぎる鳥籠の夜】
玲奈は「明日から私もここに住むのだから」と言い残し、莉愛と共に豪邸を後にした。ガラス張りの壁が夜空に吸い込まれていくような、巨大でモダンな邸宅に、神谷圭佑は一人取り残された。都心の夜景が宝石のように瞬く。しかし、その煌めきは圭佑の心には届かず、むしろ自身の現実との乖離を強調する虚構にしか見えなかった。ここは彼の城ではない。どこまでも美しく、だがどこにも逃げ場のない、まさに「美しすぎる鳥籠」だった。
ポケットの中で握りしめたスマートフォンだけが、外界との唯一の細い糸だった。震える指でゲリラ配信のアプリを起動する。画面に映るのは、豪邸のリビングを背景にした、疲弊しきった自身の顔。わずかに光る瞳の奥には、警察署で受けた不当な尋問の記憶が焼き付いている。
コメント欄が堰を切ったように流れ始めた。
『K! 生きてたか!』
『マジで天神姉妹といたのかよ!?』
『同棲ってマジ? 嫉妬で狂いそう』
狂喜、嫉妬、憶測。その途方もない熱量だけが、圭佑に「自分が神谷圭佑である」という、かろうじての存在を再確認させてくれた。
「……腹減ったな。夜飯どうしよ」
独り言のように呟くと、コメントが即座に反応する。まるで指示されるかのように、圭佑はシステムキッチンへと向かった。巨大な冷蔵庫を開けると、中は高級そうなミネラルウォーターと、なぜか無数の冷凍食品で埋め尽くされている。玲奈の歪んだ優しさか、それとも圭佑の生活能力のなさを予測してのことか。電子レンジで温めたナポリタンを無心で掻き込む。しかし、その高級レトルト食品の味は、圭佑の乾いた心には届かず、もはや何の味も感じなかった。
『他の部屋も見せて!』
コメントに促され、リビングの奥にあるドアノブに手をかけたが、びくともしない。「……開かねえ」。圭佑は、自身が「王様」などではなく、この豪華な鳥籠に飼われた「ペット」であるという事実を突きつけられた。逃げるように配信を止め、バスルームへ向かう。足の裏に触れる大理石のひんやりとした感触。壁一面の巨大な鏡に映っていたのは、何日も着っぱなしで襟がヨレヨレになったTシャツと色褪せたジーンズを穿いた、場違いな男の姿だった。ガラス製の脱衣籠には、完璧に畳まれたシルクのパジャマ。「……準備がよすぎるだろ」。ぞくりと背筋に悪寒が走った。圭佑がこの城に囚われることは、最初から玲奈の計画通りだったのだ。
キングサイズのベッドに横たわる。しかし、その広すぎる空間は圭佑を安らぎから遠ざけ、眠れないまま夜を明かそうとしていた。スマホを手に取ると、天神姉妹のアカウントのリプライ欄を見ていた。
『天神姉妹も同類』
『金で男を買ったのか』
圭佑自身のアカウントにも、もちろん同じような言葉の刃が突き刺さっている。その毒が、愛する者たちにも向けられている。「(俺のせいで、あいつらまで…)」。罪悪感が胃の腑の底でねばつく。彼は、姉妹がちゃんと眠れているか、心から案じた。
【甘すぎる共犯者たち】
翌朝、圭佑の目に飛び込んできたのは、高く美しい木目が見える傾斜のついた天井だった。昨夜の孤独が嘘のように、部屋全体が朝日に満ちている。
「おはよう神谷さん。よく眠れたかしら」
ラフなTシャツにショートパンツという姿の玲奈が、完璧な焼き加減のトーストと香り高いコーヒーが乗ったトレーを手に、心配そうに圭佑の顔を覗き込んでいた。
「おはよう…。いやあんまり。……これは夢か?」
「ふふっ。ここはあなたの新しい『城』よ」
玲奈は、まるで圭佑の心を読み解くように、穏やかに微笑んだ。
朝日が差し込むダイニングテーブルには、まるでホテルのような完璧な朝食が並んでいた。圭佑が席に着くと、入れ替わるように制服姿の莉愛が勢いよくリビングに現れる。
「お姉ちゃん! Kくん! おっはよー!」
彼女は元気いっぱいに挨拶すると、そのまま圭佑の隣に座り、キラキラした目でスマホの画面を見せてきた。
「見て見て! 私も昨日Kくんとゲーセンいたってだけで、アンチにめっちゃ叩かれて炎上しちゃった! でも圭佑くんのガチ恋だって証明できたみたいで、逆に嬉しかったりして!」
強がるように笑う彼女の目の下には、隠しきれない隈が浮かんでいた。圭佑は、莉愛の瞳の奥に宿る疲労の影を、自身の「神眼」の萌芽で無意識のうちに察知していた。莉愛もまた、圭佑の心中を察したのか、慌てて話題を変えるように朝食のソーセージをフォークで刺した。
「ほら、圭佑くん、あーん!」
「え、あ、ああ…」
圭佑が戸惑いながら口を開けると、彼女は楽しそうに笑った。「美味しい?」
「…美味い」
その言葉に、莉愛は満足げに頷いた。
食事の後、圭佑たちは三人でキッチンに立った。自然と仲良く洗い物を始める。莉愛が泡だらけの手で圭佑の頬を撫でようとし、玲奈がそれを冷静に諌める。そんなごく普通の家族のような温かい光景に、圭佑の凍りついた心が、少しずつ溶けていくのを感じた。
洗い物を終え、圭佑はふと思い出したように切り出した。「そういえば昨日開かない部屋があったんだけど」
圭佑の言葉に、玲奈は「あっ」と小さく声を上げた。「ごめんなさい。渡すのを忘れていたわ」
彼女がテーブルの上に置いたのは、シルバーを基調とした理知的なデザインのカードキーだった。
「これはこの家のマスターキー。そして私との『恋人契約』の証。私はあなたの全てを管理し、成功へと導く。その代わり、あなたはこのカードで私の全てを**『使用』**する権利を得るの」
玲奈の琥珀色の瞳は、揺るぎない支配欲と、圭佑の才能への絶対的な信頼を宿していた。
「待ってお姉ちゃんだけずるい!」
会話を聞いていた莉愛が、今度はピンクゴールドのカードキーを圭佑の手に握らせてきた。
「Kくんこっちも受け取って! これはKくんのプライベートエリアに私だけが入れる『特別許可証』! そして私との『恋人契約』の証! あなたの心は私が独占する! その代わり、あなたは私を『所有』していいからねっ!」
莉愛の天真爛漫な言葉の裏には、圭佑を誰にも渡さないという、無邪気なまでの独占欲と、彼を守りたいという純粋な願いが垣間見えた。性質の異なる二枚の「恋人カード」を手に、圭佑の理性は完全に焼き切れた。
直後、莉愛が「そうだ! 記念すべき初仕事、始めよっか!」とタブレットを取り出した。リビングのソファで圭佑を挟むように座り、姉妹は「圭佑くんの最強装備」と称して、実に楽しそうに次々とゲーミングパソコンや配信機材をカートに放り込んでいく。
「こっちのゲーミングパソコンのほうが絶対カッコいい!」
「いいえ、神谷さんにはこちらの方が…」と、二人は仲良く喧嘩しながら、圭佑の未来への投資ともいえる「最強装備」を選んでいく。これは単なる買い物の風景ではなく、圭佑が新たな「王」としての道を歩み始めるための、姉妹からの最初の贈り物であり、彼自身のプロデュース能力の萌芽を見せる場面でもあった。
「おい、お前ら学校の時間、大丈夫なのか?」
「大丈夫! いつもより早く来たし、爺に送ってもらうから!」
決済ボタンを押した莉愛がにっこりと笑った。「お急ぎ便にしたから明日には全部届くって!」
【王の覚悟と反撃の狼煙】
やがて二人は大学と高校へ行く時間になった。圭佑は玄関ホールまで二人を見送る。
「Kくん学校終わったらすぐ帰ってくるからね! 炎上なんかに負けないんだから!」
莉愛は最後まで強気にそう言うと、先に玄関を出て行った。
一人残った玲奈は、一瞬だけ真剣な顔で圭佑に告げた。「神谷さん。あの子、ああ見えて相当参っています。炎上のことも本当は怖くて仕方ないはず。…私もよ。私たちは覚悟を持ってあなたの前に現れた。そのことだけは忘れないで」
その言葉には、天神家の令嬢として圭佑を庇護する立場でありながら、彼女自身もまた、世間の悪意に晒されることに怯え、それでも圭佑のために戦う覚悟があることが滲んでいた。そう言い残し、彼女もまた戦場へと向かう女神のように玄関を出て行った。
一人になった圭佑は、閉まったドアを見つめ、静かに呟いた。「……女の子を泣かせちまったな」
彼女たちの覚悟を突きつけられ、圭佑の中で何かが固まった。もう逃げることは許されない。佐々木美月という「魔女」に陥れられ、社会的に抹殺された過去。その地獄から這い上がってきた圭佑は、ここで初めて、自分自身の「王」としての覚悟を決めたのだ。
圭佑は玲奈から渡されたマスターカードキーを手に、昨日開かなかったドアの前に立つ。シルバーのカードキーをかざすと、重厚な扉が静かに開いた。中は完璧な防音設備が施されたプロ仕様のスタジオだった。
「ここを俺の配信部屋にするか…」
圭佑はスマホを取り出し、ゲリラ配信を開始した。
「よう、お前ら。見ての通り新しい配信部屋だ。明日には機材も届く」
『神スタジオ!』『いくらかかったんだよw』とコメントが沸く。
圭佑はヤケクソ気味に、しかし不敵な笑みを浮かべて宣言した。「それから…俺、アイドルプロデュースを始めることにした。俺の『ガチ恋』限定でメンバーを募集する。我こそはって奴は覚悟して待ってろ」
コメント欄は『マジかよ!』『俺も応募していい?(男)』という狂喜で爆発した。圭佑のこの宣言は、単なる衝動ではなく、彼の内に眠る「人の本質を見抜く神眼」と、これまで培ってきた膨大なコンテンツ視聴経験からくる「プロデュース能力」が融合し、覚醒を始めた証だった。
その夜、玲奈と二人きりの城で、反撃の狼煙が上がった。配信直前、圭佑は玲奈に昼間の発表を報告した。
「ええ見ていましたわ」玲奈は微笑みながらも、その瞳は笑っていなかった。「…随分と楽しそうね。可愛い女の子たちに囲まれるんでしょ?」
その嫉妬の色を帯びた言葉に、圭佑は何も言えなかった。しかし、その感情は、玲奈が圭佑を「最初の恋人」として独占したいという、強い意志の表れでもあった。
そして、予告なしのコラボ配信が始まった。画面には圭佑と、隣に微笑む天神玲奈。
同接数は見たこともない速度で跳ね上がる。コメント欄が狂喜と嫉妬で埋め尽くされる中、玲奈が全世界に向けて、はっきりと宣言した。
「私は神谷圭佑さんの『最初の恋人』天神玲奈です」
昼間の嫉妬があったからこそ、その言葉は他の誰にも圭佑を渡さない、という強烈な意志の表明に聞こえた。そして、配信中のカメラの前で、圭佑の唇にそっとキスをした。
滝のように流れていたコメントが一瞬完全に止まった。
直後、『裏切り者!』『NTRじゃねえか!』『でも、お似合いで悔しい…!』という嫉妬のコメントの嵐が、画面を埋め尽くした。
新たな城で、最強すぎる共犯者と共に。圭佑の世界をひっくり返すための、最高に甘くて最高に過激な反撃が、今始まった。これは、彼が「王」として自らの物語の舵を握り、過去の絶望と対峙し、未来の希望を掴み取るための、最初の「創世記」となるだろう。
最後までお読みいただき、ありがとうございます。
不屈のKです。
城と、共犯者と、そして、なけなしのプライドだった「才能」。
失ったものも大きいですが、圭佑は、反撃のための武器を手に入れました。
しかし、手に入れたのは、武器だけではありません。
玲奈の、全てを支配するような、独占欲に満ちたキス。
莉愛の、兄を慕うような、純粋で無垢な愛情。
新たな城で始まったのは、反撃の狼煙だけではない。
一人の王を巡る、二人の女神による、最も甘く、最も過酷な**「寵愛戦争」**の幕開けでもあったのです。
次回、第四話「修羅場の食卓と、王の神眼」。
配信の裏側で繰り広げられる、女たちの熾烈な戦い。そして、圭佑の「神眼」が、新たな才能を見出す…?
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