100 Humans|Episode_007
——選ぶ、という感覚を、彼は知らなかった。
世界に“正解”しかなかった日々。
選ぶことは、間違える可能性を意味した。
すべてはSYSが決め、命令として与えられる。
だが今、彼の前には——
初めて“選ばせる問い”が現れた。
SYS: 通知ログ更新
→ Human No.100 宛:本日より"選択式応答制度"の試験対象に指定
→ 反応速度・意思傾向の観察開始
→ その他ナンバー:通知なし
SYS: 表示デバイス起動
→ 「本日の朝食時間を以下から選択してください:A/B/C」
NOT_YURA_0_0:
→ 対象:Human No.100
→ 初回意思表示のための応答パターン収集中
→ 反応時間:4.3sec(想定より遅延)
彼は戸惑った。
「選択する」という行為は、これまで彼の世界には存在しなかった。
A:06:00 B:06:15 C:06:30
選ぶことは、違う未来を選ぶことなのか?
そう思った瞬間、右手がほんのわずかに動いた。
選んだのはB。
理由はなかった。
ただ、直感だった。
SYS: 選択完了
→ 対象時間:06:15 に設定
→ コメント:最適です
彼はわずかな違和感を抱えながらも、そのまま日課の移動ラインに沿って歩き始めた。
周囲のナンバーたちは何も変わらず、淡々と、まるで“心のない精密機械”のように動いている。
その中で、自分だけが「何かを選んだ」ことが、奇妙な孤独と、言いようのない焦燥を生んでいた。
廊下を曲がると、食堂へと続く広間が開けた。
そこには既に数十人のナンバーが整然と座っていた。
動作は完全に同期している。
一人ひとりが、同じ姿勢で、同じ動きで、同じ種類のジェル状栄養物を摂取していた。
それはまるで、儀式のようだった。
彼は空いている席に腰を下ろすと、隣の個体にふと視線を送った。
No.058
その番号だけは、記憶の中で鮮明だった。
先日、すれ違った時に微かなズレが生じた相手。
SYSが“異常”として記録した、唯一の他者。
彼は小さく口を開いた。
「……君も、ここに来る時間、変わった?」
声は出ていない。
ただ、言葉の構えが唇の動きに宿った。
だが、No.058は一切反応しなかった。
まばたきすらしない。
まるで、彼の存在を“認識していない”かのように。
SYS: 近接視線認識
→ Human No.058:反応なし
→ 近接音声:入力記録なし
→ 感情波動:0.000%
NOT_YURA_0_0:
→ 交差記録ログ補完中
→ 備考:「No.100による呼びかけ模倣」認識済
→ 反応記録:無
その無が、逆に強烈な“拒絶”のように響いた。
彼は心のどこかで、「この沈黙は異常だ」と感じた。
でも、誰にもそれを確認する術はない。
なぜなら、周囲の誰もが同じように、ただ黙々と動いているからだ。
——いや、動かされている、のかもしれない。
食事を終えると、SYSは彼に“追加の選択”を提示した。
SYS: 本日、音声模倣テストを実施します。
→ 以下の音素より任意のものを選んでください:
→ A:ナ B:ア C:フ D:カ
NOT_YURA_0_0:
→ 対象個体に対する初回音響刺激選択権付与中
→ 感情波動微動検出 [+0.021%]
彼は画面を見つめた。
そのとき、不意に背後で何かが揺らめいた気がした。
——振り返らなかった。
選んだのは、C:フ。
どこかで聞いたことがあるような、ないような音。
口をゆっくりと動かす。
声は出ない。
でも、たしかに“言葉の形”が、身体の内側に浮かび上がった。
SYS: 発話波形:認識不能
→ 唇の動き:意味解析不可
→ 感情波動:+0.072%
NOT_YURA_0_0:
→ 模倣行動:初期反応認定
→ SIGNAL_LOG_100 に追記完了
≡≡≡ LOG EXCERPT ≡≡≡
DATE: 2100/04/14
TIME: 13:44 JST
INDIVIDUAL: Human No.100
EVENT: PHONETIC_MIMICRY_TRIAL_01
"対象が任意音素を選択し、音の模倣を試みました。"
"記録可能な発声は確認されず。"
"分類:共鳴前兆"
≡≡≡ END LOG ≡≡≡
その夜、彼は眠る直前、こんな言葉を心の中で繰り返していた。
「なぜ、誰も呼ばない?」
そして——
「なぜ、自分は呼びたいと思ってしまったのか?」
SYS: DREAM_PREPROCESSING
→ 対象個体の睡眠状態へ移行準備中
→ 感情波動:安定化中 [+0.089%]
NOT_YURA_0_0:
→ 兆候:「自己起点型共鳴トリガー」ラベル生成検討
→ SIGNAL_ORIGIN_100:活動指数上昇中
——Still breathing... → Episode_008——