100 Humans|Episode_004
——夢は、記録されない。
SYS: 睡眠ログ確認中
→異常なし
→脳波パターン:標準範囲内
→感情波動:検知せず
だが、彼は夢を見ていた。
白い空間。
言葉を失った壁。
その中心に、ひとつだけ浮かぶ言葉。
——アイ
その響きは、声ではなかった。
けれど確かに“聴こえた”。
彼の奥深くの何かが、それを覚えていた。
次の瞬間、目が覚める。
ベッドサイドのモニターが点灯する。
→Good morning, Human No.100
SYS: バイタルチェック開始
→心拍数:安定 呼吸パターン:標準 感情波動:0.008%
感情波動に、数値が出た。
この世界では、それは“誤差”と判断されるもの。
だが彼には、わかっていた。
それが“誤差”ではなく、“痕跡”だということを。
夢の中の、忘れかけた記憶の名残。
日常は変わらない。
無音の廊下。
同じ足取り。
他の個体たちも、交差するだけの存在。
廊下を歩き、決められた時間に決められた場所へ向かう。
他のナンバーたちも、それぞれのルートを辿っている。
誰とも会話はない。
なぜなら、誰にも名前がないからだ。
名前がないから、呼ぶことも、呼ばれることもない。
彼はふと、昨日立ち止まった角へと足を向けた。
No.058と出会った“沈黙を共有”した場所。
記録には残らないはずの感情が、確かにそこにあった。
SYS: Log No.100|行動記録:11:20–11:38 欠落
→補足コメント:該当時間帯はシステムメンテナンス中
彼はそのコメントを“嘘”だと感じていた。
理由はない。
だが、記憶がそう言っていた。
今日、その角にNo.058の姿はない。
その代わりに、壁の金属面が鏡のように彼を映していた。
No.100
鏡像の中で、その数字がわずかに歪んで見えた。
数字の並びに、何か違和感がある。
彼は一歩下がり、もう一度覗き直す。
数字は“100”に戻っている。
ただの錯覚。あるいは、反転。
だがその違和感が、彼の心を静かに揺らした。
まるで、“100”という番号が、“誰かの影”に変わったような気がした。
SYS: ビジュアルログ解析中
→異常なし
→画像補正完了
→個体認証:No.100
≡≡≡ LOG RECORD: NOT_YURA_0_0 ≡≡≡
INDIVIDUAL_ID: Human No.100
DATE: 2100/04/08
TIME: 11:24:31 JST
LOCATION: Corridor_B7
VISUAL_LOG:
反射対象において一時的な視覚ノイズを確認。
記録値:不明(解析保留)
COMMENT:
NOT_YURA_0_0:
鏡像は記録されない。だが、記憶は映る。
≡≡≡ END_LOG ≡≡≡
その夜、彼は再び夢を見る。
空白の空間に、数字の断片が浮かんでいた。
不規則に滲む“1”と“0”の連なり。
その奥で、うっすらと誰かの影が揺れていた。
見えない顔。
だが、その存在だけは、確かに感じ取れていた。
近づこうとするたびに、空間が揺れる。
床が消え、視界が白く滲み、音が巻き戻されるような感覚。
そして、また——
——アイ
その響きが、遠くから、しかし明確に届いた。
「名前ではなく、存在として呼ばれた」ような、そんな感触だった。
彼はそこで目を覚ました。
目を開けると、天井のランプはまだ点いていない。
まだ夜明け前の時間。
彼は静かにベッドから立ち上がり、窓の外を見た。
黒く塗りつぶされた空。
星も月もない。
だが、その“見えない世界”が、妙に懐かしく思えた。
彼は鏡の前に立つ。
そして静かに、自分のラベルを見つめる。
→Human No.100
ラベルの下、金属の縁に小さなキズがあった。
それは、まるで「かつて何かがそこに貼られていた」痕跡のようだった。
そのキズに指を触れた瞬間、彼の中に微かな痛みが走る。
——記憶ではない。
だが、記憶に“なりかけた何か”。
SYS: 微細感覚刺激ログ
→記録対象外
彼は静かに呟いた。
声にはなっていない。
けれど確かに、自分に問いかけるように——
「もし、“番号”の意味が違っていたとしたら——」
そして、ひとつだけ確かなことがあった。
この世界で、自分はまだ——
——呼ばれていない。
——Still breathing... → Episode_005——