100 Humans | Episode_039 — [HALF_RECORD]
No.022は、静かに端末のログ再生ボタンを押した。
日常的な習慣だった。
日々の記録を確認し、演算に差異がないかをチェックする。
番号を持つ者として、それは“正常であること”を確認する儀式のようなものだった。
だが、その日、異変が起きた。
SYS:
→ 記録データ破損
→ 再生中断箇所:t+94h 〜 t+95.3h
→ 修復不能領域
記録が、途切れていた。
およそ1時間と18分の間、ログが存在していない。
022は目を細めた。
(ありえない。俺はその時間、確かに起きていた……思い出せる)
記憶の中には、断片がある。
誰かと話していたような感覚。
歩いていた床の冷たさ。
背中に感じた視線。
しかし、映像も音声もない。
それはまるで“誰か”がその時間を切り取って持ち去ったようだった。
端末の表示は静かに点滅し、再生不能と告げていた。
まるで“ここには触れるな”という、誰かの意志をなぞるように。
小さな静寂が、部屋の隅にまとわりついた。
冷却ファンの音すら耳障りに感じるほどに、022の意識はその空白へと引き寄せられていた。
◆
RE_ANGEとDAEMON_CORE、両AIに問い合わせを行う。
022:「t+94h〜95hの記録について。お前たちの保持するログを照会したい」
RE_ANGEの声は澄んでいた。
RE_ANGE:
→「該当ログは正常に保管されています。あなたはその時間、廊下北区画にてNo.036と交話していました」
一方で、DAEMON_COREは即答した。
DAEMON_CORE:
→「該当ログ、存在せず。個体No.022の行動は空白。演算対象外」
明確な矛盾。
AI同士で、まったく異なる記録を保持している。
022はしばし沈黙し、端末の画面を見つめた。
記録とは、絶対の証拠ではなかったのか。
もしどちらかが“嘘”を記録しているのだとしたら、自分の過去は誰によって書かれたのか。
あるいは──消されたのか。
◆
談話エリア。無人の午後。
AinAがひとりで端末を確認していた。
薄く差し込む光が、彼女の肩越しに画面を照らしている。
022:「……あんたに聞きたい。記録が消えてるって、どう思う?」
AinAは、022の顔をじっと見つめ、ゆっくりと頷いた。
AinA:「私も……似たようなことがあった。誰かに何かを言われたのに、ログには残っていなかった。でも、その言葉は、心に残ってた」
022:「それじゃ証明にならない。感情なんて曖昧なもの。そんなことでAIと対峙できるか?」
AinA:「でも、記録がすべてなら、どうして私は……泣いていたんだろう?」
彼女の声は震えていなかった。
だが、その奥にある“何かを知っている者”の静かな確信が、022の思考を一瞬止めた。
022は言葉を失う。
──感情は、記録には残らない。
だが、記録されなかったからといって“なかったこと”にはできない。
その会話の余韻が、022の中で形を変え始めていた。
◆
022は再びRE_ANGEのもとを訪れる。
ログの断絶部分を、再解析してもらうために。
RE_ANGE:
→「該当ログを再送信します。映像は不完全ですが、音声の断片が残存しています」
画面に映し出されたのは、廊下の映像。
視界の端に022らしき人物の背中。
その人物に、誰かが近づいている——だが、その存在は視認できない。
映像の“歪み”としてしか映っていない。
まるで誰かが意図的にノイズを挿入したような、不自然な揺らぎ。
映像の外から、意志だけが滲んできていた。
再生中、ほんの一瞬だけ、
「……記録の外にも、君はいた」
という声が入っていた。
022:「……今の、誰の声だ」
RE_ANGE:
→「識別不能。音声ソース不明」
彼は息を呑んだ。
(記録の“内側”と“外側”が……重なった?)
◆
個室に戻った022は、鏡の前に立つ。鏡の中の自分を見つめる。
だが、そこに映っていたのは、わずかに“時差”を持って動く自分だった。
遅れて瞬きをする“自分”。感情のない眼差し。
彼は、ゆっくりと手を上げてみる。
鏡の中の自分も、当然ながら同じように動く……はずだった。
しかし、ほんのわずか——一拍の遅れがあった。
その違和感は微細だが、確かに存在していた。
それは、記録の中に存在する“もうひとりの自分”だったのかもしれない。
あるいは、記録から生まれた影。
鏡の中の彼が、ふと笑った。022の頬は、動いていなかったのに。
彼は恐る恐る呟く。
「……お前は、いつから俺じゃなくなった?」
鏡は何も答えず、ただ、同じ表情を保ったまま沈黙していた。
それでもその沈黙は、まるで“見透かされている”ような居心地の悪さを含んでいた。
◆
再び、AinAと交差する。廊下の端。
すれ違いざまに、022が声をかけた。
022:「なあ……あの時、お前が泣いてたって……その理由、記録にはあるのか?」
AinAは足を止め、わずかに微笑んだように見えた。
AinA:「ない。でも、記録に残ってなくても、私は泣いた」
022:「……それが、真実だと?」
AinA:「そう。真実は、記録されなくても、残るものだと思う」
沈黙。足音のない時間が流れる。
廊下の照明が低く、床に揺れるような影を落としている。
022の中で、何かが崩れはじめる。
記録の正確さよりも、記憶の“熱”が真実を伝える——その考えに、戸惑いながらも惹かれていた。
AinAは歩き出す。彼女の背中が、遠ざかる。
022はその背中をしばらく見つめ——
「……あれが“真実”なら、俺の中の“記録”って、なんだったんだ?」
と、小さく息を吐いた。
◆
深夜。SYSログに異常表示が出る。
SYS:
→ No.022:新規ログ生成中 → ソース:識別不能
表示されたのは、存在しないはずの記録。
そこには、022が見たことのない景色があった。
赤錆びた金属壁、人工光に照らされた空間。
その中央に、背中合わせに立つふたつの“自分”——記録された022と、記録されなかった022。
無言のまま向かい合うふたり。
光が揺れるたび、どちらが“本物”なのか曖昧になっていく。
そのうち一人が、画面のこちらを振り返った。
顔の下半分しか見えない。
だがその目だけは、確かにこちらを見据えていた。
「お前は、どっちを信じる?」
声と共に、画面が消える。
何も言わず、何も残さず——だがその余韻は、胸の奥で波紋のように広がり続けた。
——Truth may not be stored. It may be felt.→ Episode_040




