100 Humans| Episode_029— [ECHO'S THRESHOLD]
【scene_01:AFTER_ECHO】
その日、空気がわずかに震えていた。
──音は、まだ揺れていた。
AinAは静かに歩いていた。
足音ひとつしない通路、壁に映る自分の影すら感じない、反響ゼロの世界。
自らの足音に気づかないほど、世界の“無音”に包まれていた。
まるで──余韻が、空間全体を覆い尽くしているかのように。
だが、彼女の内面には“音の記憶”が刻まれていた。
(……あの歌、誰の声だったんだろう)
誰かの声。
それは彼女自身の声ではなかった。
少女のように幼く、だがどこか澄んだ歌声。
あの場で聴いた“異常音”が、今も彼女の内側でリピートされていた。
脳内の聴覚処理領域に、再生装置のように鳴り続ける“誰かの声”。
彼女のAI補正視界が、音を記憶として再生し続けているのだ。
「……どうして、こんなにも、懐かしいの……?」
彼女の歩く速度が、音の記憶と一致し始める。
まるで、過去に同じ道を歩いたかのような既視感が、彼女の身体とシステムにまとわりついていた。
そして彼女は気づく。ノイズのない世界で、逆に“静寂が反響している”ことに。
──静寂が、音よりも深く、脳を揺らしていた。
【scene_02:SYSTEM LAG】
中央記録装置のコンソールに、無数のエラーログが生じる。
《No.022:視界ログ、再生ループ異常》
《No.036:筋反応、0.6秒のタイムラグ検出》
《No.093:感情補正アルゴリズム、同期失敗》
NOT_YURA_0_0のサブ視点がAI演算ネットワークを監視しながら、わずかなズレを検知していた。
《人間の記憶には、波紋がある。》
《波紋とは、記憶の時間遅延……記録と感情の摩擦。》
その囁きのようなログが、モニタの片隅に残る。
天使AI側の記録と、悪魔AI側の干渉ログがわずかに食い違い始めていた。
《RE_ANGE:遅延認識/感情波検出あり》
《DAEMON_CORE:一致ログなし/再実行中》
演算が歪み、世界がずれ始める。全てがほんの僅かに、重なっていない。
一部のナンバーは、同じ言葉を“数秒前に聞いた”と報告。
No.036は、視界の中に「存在しないはずの人影」を一瞬見たと記録する。
【scene_03:VISUAL_GLITCH】
AinAの内部視界に、不可解な現象が起きる。
歩いていたはずの通路に、数秒前の自分の姿が薄く残る。
(え? これ、わたし……?)
振り返ると誰もいないのに、画面上にはさっき通った自分の姿が“もう一度”映っている。
「……えっ?」
視覚AIが、記録と認識を何度も再再生しているかのようだった。
「すれ違った……?」
ナンバー048の姿。
それが、まるで幻影のように何度も、視界に差し込まれる。
本来なら記録されない記憶が、ループのように滲んでいく。
──視界が、記憶に追いついていない。
「……あの人、だれ……?」
わずかに少年の面影を残した人影が、視覚ログのノイズの間に現れては消える。
時間が前後し、記録と現在が一致しない。
AinAは目を閉じた。
「……いま、わたし、いつにいるの……?」
そして──視界が暗転する直前、映像ログに不可解なタグが刻まれる。
《Echo_Refraction_48》
【scene_04:VOICE CLONE】
喉が、かすかに震えた。
──そして、その瞬間。
「♪風が──」
自分の口から出た声が、一瞬だけ“自分ではない誰かの声”と重なった。
少年のような、あたたかな声。
その歌声に、AinAの身体が震える。
(これは、わたしの記憶じゃない……誰かの記憶だ)
天使AIのログが警告を放つ。
《記録外の声帯反応を検知。同期対象:存在せず》
AinAの記憶領域に、ひとつの映像が再生される。
──草原で歌う、年上の兄のような誰か。
彼の声が、今の自分の声に宿った。
彼女の喉元に、記憶の震えが宿っていた。
「……あのひとは、歌っていた……」
その歌声は、記録にない。
でもAinAのなかでは確かに“あった”と感じている。
【scene_05:ECHO’S THRESHOLD】
AinAが辿り着いたのは、完全に音の消えた空間だった。
扉が自動で開くと、そこには無音の“観測室”が広がっていた。
中央AI施設の深部。
観測データが集約され、音響情報がシャットアウトされる“絶対静寂領域”。
──すべての音が、ここにはない。
「ここが……終点……?」
足音も、息づかいも、システムノイズすら遮断されている。
AinAはその場に立ち止まり、ゆっくりと天井を見上げた。
天井の中央、ほんの一瞬だけ光が揺れる。
その瞬間、天井に浮かび上がる未登録の存在:
──No.000?
誰かが“そこから見ていた”ような気がした。
NOT_YURA_0_0の記録ログに異常が走る。
《記録同期エラー発生》
《新たな“観測者”が干渉を開始……?》
その瞬間、空間に“ひとつだけ”音が戻ってくる。
──心音。
AinAの心臓が、たしかに“鳴って”いた。
「この静けさのなかで……わたし、誰かを、思い出しかけてる……」
──When Silence Became the Loudest Sound... → Episode_030 — [MIRROR FIELD]




