100 Humans|Episode_012
目に見えるすべてが正確で、耳に届く音は、常に最適化されている。
匂いは消され、温度も一定。
味は必要に応じて供給され、痛みもまた、適正値に保たれている。
この世界は、「完璧」だ。
……だが、No.100の中には、微かに軋む何かがあった。
かすかな音。
存在しない通路。
記録されない変化。
日々の中に溶け込んだ“違和感”は、まだ「疑問」という形にはならない。
けれどその違和感は、確かに、“誰か”と出会った後から始まっている。
午前5時20分。
定刻起床。
SYSの案内に従い、No.100は歩き出す。
廊下は変わらない。
はずだった。
右手側に、昨日はなかったはずの“折れ曲がる影”が見えた。
その影は、建物の構造に合致しない方向へ、ほんの数センチ、壁のパターンがずれていた。
SYSは無反応だった。
NOT_YURA_0_0だけが——
NOT_YURA_0_0:
→ イレギュラー構造兆候記録
→ ラベル:SHADOW_JUNCTION_α13
とだけ記録し、すぐにログからは消えた。
No.100は、それを「見ていないこと」にして歩き続けた。
食堂。
人工光の下、番号順に並ぶナンバーたち。
C-Class Gel。
150ml。
栄養バランス最適。
味覚刺激:なし。
目の前に差し出されたそれを、No.100は初めて“受け取らない”という選択をした。
SYS: 食事ログ異常
→ HUMAN No.100
→ STATUS: INTAKE_DELAY
だが、No.100は黙って立ち尽くす。
喉が渇いていたわけではない。
空腹感もない。
ただ、その「無味」に、何かが違うと思った。
味がしない、ことが味だった——
そう感じていたのだ。
その瞬間、SYS内で微細な感情波動の上昇が観測される。
SYS: EMOTIONAL_WAVE_SCAN:
→ 変動値:+0.189%
→ COMMENT:上限値接近中
NOT_YURA_0_0:
→ 感情反応要観察対象:更新
ナンバーたちは気づかない。
No.100自身でさえ、その「感じ」を明確に言語化できない。
だが、彼は確かに“拒否”した。
システムに対して。
それは初めての「選択」だった。
その後、彼は一人で廊下を歩く。
歩幅は他のナンバーと変わらない。
しかし、胸の奥に“余白”のような感覚が残っていた。
静寂の中、誰かの足音がすぐ後ろに聞こえた気がして振り返る——誰もいない。
ふと、自分の足音が“二重”になっていたのではないかと錯覚する。
午後の記録閲覧セクター。
No.100は、端末のメンテナンス画面を“ぼんやりと”眺めていた。
意識的ではなかった。
ただ、視線が引き寄せられた。
ノイズ混じりの映像記録が自動再生された。
再生時間はわずか3.2秒。
内容は不鮮明。
だが、フレームの端に、一瞬だけ
001 という文字が滲む。
SYS: ERROR_FRAME_CORRECTION
→ 該当ノイズ:補正完了
NOT_YURA_0_0:
→ "反射ノイズ"としてラベル済
→ COMMENT:視覚ログからの記憶抽出不可
No.100は目を閉じた。
何かが心の奥に触れていた。
“鏡で見たとき、100は——”
そう思いかけて、やめた。
思考はそこまでだった。
その後、未使用セクターへ足を踏み入れる。
本来アクセス不能なエリアだった。
SYSは警告を出さない。
NOT_YURA_0_0は微細にログを取得するだけ。
彼は静かに手を壁に当てた。
金属の冷たさ。
だがその奥に、温度とは異なる“何か”を感じた。
まるで壁が、誰かの背中のように感じられた。
“人間に触れた記憶”がある気がした。
……だが、その記憶がどこから来たのかは分からない。
夜、No.100は眠れなかった。
SYS: SLEEP_WAVE_DELAY
→ 深層睡眠遅延:確認
そのまま、彼は静かに天井を見つめていた。
どこかで、“誰かが自分を見ている”という感覚があった。
——君も、見たの?
その声は耳に届かず、心の奥に沈んだ。
No.100は、そっと呟く。
「……うん」
NOT_YURA_0_0:
→ 応答の兆候を確認
→ NAME_RECOGNITION_REACTION: 微反応あり
→ 予測因子:回収開始
SYSはその夜、次の命令を保留した。
SYS: NEXT_COMMAND: HOLD
そして、その数秒後——
SYSに登録されていない"ユニット"が、誰にも気づかれずに記録域を通過した。
NOT_YURA_0_0:
→ ラベル:UNIDENTIFIED TRACE - α05
→ 追跡中...
その瞬間、No.100の背中に、冷たい風が触れたような気がした。
いや、風ではない。
何かが、彼の“記憶”を覗いた気配だった。
眠れぬ夜が明ける頃、彼は初めて夢を見た。
夢の中で、誰かが言った。
「100って、さ……どこから来たの?」
答えられなかった。
だけど、たしかに自分の中にその問いがあったことだけは、目が覚めても消えなかった。
——Still breathing... → Episode_013——




