危ういひかり
危うさを持っている女の子の話です。
朝、私とひかりが一緒に教室に入ると、他のクラスメイトたちの目が微妙に冷たくなっていることに気づいた。昨日の話がもうクラスに広まっているらしい。ひかりは何も起こっていないかのように表情を変えず、自分の席に着く。私も同じようにした。
元々私たちは、四人グループだった。ひかりと、私と、あと二人。ひかりと私は幼なじみで、あとの二人の女子はこの高校からのつきあいだった。その四人での関係も昨日で終わってしまい、今は私たちとあとの二人は目すら合わせない。
どうしてこんなことになってしまったのかというと、ひかりに最近彼氏ができてしまったからだ。とは言っても三角関係のような話ではない。
ひかりの彼氏は、成人した社会人なのだ。
私も他の二人も、その人には会ったことがない。ひかりもその彼氏とどこで知り合ったのか教えてくれない。元々ひかりは昔から年上の男の人が好きで、今までは相手が良識のある人だったのでひかりの好意が実ることはなかったのだが、今回は違っていたようだ。ひかりは念願の初彼氏ができたので夢中になっているが、それを心配していた二人がひかりに「未成年と付き合う大人は危ないと思うよ」といったことを言ったせいで喧嘩になり、絶交したのが昨日の話だ。
今ひかりの学校での友達は、私しかいない。私も正直未成年と付き合う大人が信頼に足るとは思っていないが、幼なじみを一人にしたくなくてその本音を隠している。元々ひかりは恋愛に関しては危ういところがあるので、初めての交際、それも未成年と大人との交際で彼女の心がどうなってしまうのか心配なのもあった。
数日後、学校に来たひかりは手の指に絆創膏を貼っていた。「どうしたの?」の私が聞くと、「CDを割った時にちょっと」と答える。ひかりは音楽が好きで、このサブスク時代に珍しくCDを集めている女子高生なのだが割ったとはどういうことだろう。
「……落っことして割っちゃったってこと?」
「ううん。彼氏がCDはあまり好きじゃないっていうから」
「え、彼氏が割ったの!?」
「そうじゃないよ、そんなことしないよ。私が自分で割ったの。もう要らないから」
思わず言葉を失ってしまう。いくら何でもそれは極端じゃないのかと言いたくなったけど、ひかりの有無を言わせない様な、それでいてぼうっとしているような瞳を見ていたら私は何も言えなかった。
それから更に数日後、学校が終わって私が家にいたとき。私とひかりのクラスにはクラス単位のグループチャットがあって、クラスメイトは全員そのグループに入っている。伝達事項があったときのためだ。普段はあまり動かないグループチャットだけど、今日そこに一つの動きがあった。
『「ひかり」さんがこのグループチャットを退会しました』
無機質な定型文。確かにひかりは友達二人と絶交し、その話と大人と付き合っていることがクラスに広まってからは冷ややかな視線を浴びているけれど、少なくともこのクラスでのグループチャットの中では直接悪口を言う人はいなかったはずだ。私は慌ててひかりと私との個人のチャットを確認する。こちらは消えていない。
『ひかり、クラスのグループチャット退会したって書いてあったよ、操作間違えたとか?』と送ってみる。意外にもすぐに既読がついた。
『自分で抜けた』と返信がくる。続けてもう一通。
『彼氏に、私のクラスでの今の立ち位置を話したら高校生はガキだからどうしようもないって』確かに、ひかりの今のクラスでの立ち位置があまり良くないことは事実だ。
『そうなんだ、分かった』とだけ返信し、私は一旦ひかりとのチャット欄を閉じてクラスのグループチャットを開いた。
『ひかりさん、自分でグループ抜けたのかな。それとも操作ミス?』というクラスメイトの心配なのか揶揄なのか分からない文章が目に入って、私はそっと画面から目をそらした。
クラスのグループチャットを抜けてから、ひかりの学校での孤独は深まっていくようだった。ひかりのいないグループチャットでは、少しずつひかりの悪口が始まっていた。彼女の傍にいながら、私は本当はひかりの場合は恋愛をしないほうが幸せだったのではないかなどと考え、しかしそれを口に出すことはなかった。
私はひかりと絶交したくはなかったし、ひかりを守れるのは自分だけだと考えていたから。
それなのにある日、ひかりは学校に来なくなった。
最初は風邪をひいたのかと思っていた。実際に欠席の連絡を受けた担任の先生はそう聞いていたらしい。しかしひかりが学校に来ないまま二週間がたち、流石に違うのではないかと私は思い始めた。クラスメイトたちもそう考えているようで、クラスのグループチャットでは『ビッチが逃げた』などとひどい言葉が書かれていた。
思い切って、放課後家でひかりに個人でのチャットを送ってみた。
『最近学校来てないけど、大丈夫?』返事はまたもやすぐにきた。
『大丈夫。彼氏もそれでいいって』
『彼氏?』
『お前を守れるのは俺だけだって言ってくれたから。だったら私学校行く必要ないでしょう』だったら、の意味がよく分からないが、私は自分とひかりの彼氏の思考回路が似ているらしいということにこの時初めて気づいた。だからこそ、私はひかりの傍に今までいられたのかもしれない。それはなんとも気持ちの悪い推測だったので、私は話を変える。
『クラスでのことが原因?』聞いてから、踏み込みすぎたかなと思った。話を変えたいあまり話題を選んでいる余裕がなかったのだ。
『ああ、あったねそんなこと。それは関係ないよ』この言葉が本当なのか嘘なのか、文字からだけでは判断がつかない。そしてひかりからもう一通送られてきた。
『あと、もうチャット送ってこないでね。私を守ってくれるのは彼氏だけだから』
その後、私が何を送っても返信が来ることはなかった。それからしばらくひかりが学校に来ない生活が続いて、ある日ひかりのお母さんから連絡があった。ひかりが亡くなったという連絡だった。
自殺だったらしい。お葬式にはクラスの全員が参列した(というか、担任に行かされた)が、クラスメイトたちは自分たちがしたことなど忘れたかのように泣いていた。私も泣きたかったけど、その前にやることがある。ひかりの彼氏を問いただしたかった。私はクラスメイトたちよりも彼のことが憎かった。それは多分私のひかりへの個人的な感情のせいもあったし、クラスメイトというこれからも毎日会う人たちを憎むよりも会ったことのないその男を憎む方が私自身が楽だったという面もある。
しかし、ひかりのお母さんにそれとなく聞いてみたが、彼氏はお葬式に来ていないようだった。それだけではなく、ひかりのお母さんはひかりに彼氏がいたこと自体を知らなかった。
「学校に行かなくなってからはずっと家に引きこもっていたけど……いつ会っていたのかしら」とお母さんは言った。そして続ける。
「本当にそんな人……あの子にいたのかしらね」