関係は良好だと思っていた婚約者から、婚姻前に契約を交わすよう言われました
ギャグ寄りでイチャイチャもしてなければ、ざまぁもありません。
愛はないようであるかもしれない、婚約者達の会話となります。
時はグローフェン歴1299年。
どの国でも婚約破棄(解消含む)が入り乱れ、世はまさに世紀末。
どこかの王太子殿下は男爵令嬢と真実の愛を宣言し、異世界から召喚された聖女様は隣国に渡って王弟殿下から溺愛される。
三つ向こうの国の侯爵令嬢は帝国の皇帝の姪だということで、公爵令息と婚約解消した直後に皇太子殿下との婚約が発表されたそうな。
家族から虐げられていた伯爵令嬢は醜いと噂だった辺境伯に嫁いだらイケメンだったという下剋上を起こし、眼鏡がトレードマークの地味だった子爵令嬢が他国のエキゾチックなイケメン商人によって大輪の花へと変貌を遂げてみせた。
そして断罪劇を披露した張本人の結末は大きく分かれ、何も変わらず幸せを掴んだ人もいれば、平民や囚人に身を堕とした人もいる。
周囲では流れに便乗して婚約破棄を企む令息令嬢もいたりするし、捨てられてはかなわないとなりふり構わず相手に縋る公爵侯爵伯爵子爵男爵様といった具合に老若男女問わずで、どの国の貴族社会も大混乱の中だ。
そんな中でも私達の関係は割と良好だと思っていたのだけど、どうやら思っていたのは私だけだったらしい。
「アンリエット王女殿下。
三ヵ月もすれば結婚式を挙げるということから、婚姻にあたっての契約を交わしておきたいと考えております」
目の前に座るのは婚約者であるアルベール・ブランボルン公爵令息。
瞬きを繰り返しながら見つめた後、「契約」と間の抜けた声で返せば、彼は律儀に頷いて返してくれる。
真っ直ぐなプラチナブロンドの髪は本物の白金より輝きを見せ、涼やかな夏の草原を連想させる緑の瞳は宝石のようで、アルベール様の容貌は美を司る女神像の横に並べても遜色ないほど。
だから王女である私が婚約者だというのに、神の芸術とも称される彼の横に立ちたいと願う女性は未だ後を絶たない。
ただ願うだけなら問題ないが、彼に恋する女性達は行動を起こすことを躊躇わない過激派ばかりだ。
つい先日も真実の愛を語って押しかけて来た平民の少女が捕らえられ、簀巻きにされたまま騎士団の詰め所に突き出されていた。
初回だから厳重注意で済むけれど、再び騒動を起こすようなら小さな家ごと蒸発してなくなるだろう。
王家と公爵家のどちらによってかはわからないけど。そうなる前に諦めてほしい。
アルベール様もああいった手合いが迷惑だと言っていたけれど、もしかしたら昨今の流行にあてられて、真実の愛とか前世の最愛とか魂の番といった相手を見つけたのだろうか。
融通の利かない堅物なところは婚姻相手としては印象が良かったし、関係は悪くもないと思っていただけに少しだけ残念な思いではある。
王家との婚姻は断ることができないので、契約婚に持ち込みたいという思惑なのかもしれない。
だったら断ってくれても問題なかったのに。
こうやって婚姻前にわざわざ契約を求めてくるぐらいなのだから、街のどこかに家を用意するのではなく公爵邸に離れでも増築し、愛人をそこに住まわせるといった感じの方針?
「契約とは一体どういうことでしょうか?」
とりあえず真意を確認しなければと改めて尋ねてみれば、感情の読めない顔は後ろめたさや傲慢さを感じさせないまま、淡々と大陸一の彫刻家でも再現できぬだろうと言われている完璧な造形美の唇を動かして返事をしてくれる。
「当家に降嫁されるにあたり、王女殿下の待遇について自分の考えを両親に相談したならば、後々のトラブルにならないように契約書を取り交わすことを勧められたのだ」
え、まさかの家族ぐるみとか嘘でしょ。
義両親となるブランボルン公爵夫妻は筆頭貴族だから貴族としてもだけど、人間性も非常に良くて、そこらへんは大丈夫だと思っていたのに。
今日は見慣れぬ封書と文具を持って来ていたから何事かと聞くつもりだったのだけど、まさかの契約書作成の為だったとは。
けれど、いくら公爵夫妻が勧めたからといって、私の判断で承諾していいのかは判断が難しい。というか、内容にもよるので本日の署名は約束したくない。契約書の精査自体も誰かにお願いしたいくらい。
公務で散々見てきたからこそ、プライベートでまで契約書の精査なんてしたくない。
「アルベール様、作成されるのは構いませんが最終的なサインはせず、持ち帰って家族と相談してからでもよろしくて?」
聞けば、渋い顔になられた。
「それは困る」
人に見られると困るのならば、これは今流行りの一翼を担う『契約婚』とやらで決定でしょう。
いつの間に心を通わせられる方を見つけたのだろう。忙しい合間を縫って会いに来ていると言われていたけれど、実際には私に会う時間を減らして他の方に会いに行っていたとか?
結婚前から愛人が存在していたなんて。
確かに王家というかお父様は正妃に始まって側妃やら愛妾やらいるけれど、ちゃんと正妃であるお母様が嫡男を生んでから側妃様を迎え入れたし、愛妾に至っては子を作ってはいらっしゃらない。
そこら辺の筋はちゃんと通したのだと聞いている。
ちょっと、いや大分気持ちが萎んでいくんだけど。
別に愛人がいたら駄目ってわけでもなくて、体面だけきちんと取り繕ってもらいたいだけなのよ。
正直、アルベール様と私じゃ全然釣り合ってないもの、見目麗しいのを連れてくるのは止めはしない。
順序だけ守ってくれたら。
お相手が誰かとか聞いてもいいものかしら?それとも結婚してから教えてもらうのがセオリー?
きっと抜群のプロポーションの美女か、華奢で可憐な少女に決まってる。
そうでないと、私の外見は普通寄りだから仕方ないわよねと妥協することができない。
周囲のご令嬢達がワンチャンいけるんじゃないかと思うくらい普通だものね。
「この場でサインをするとお約束はできませんが、先ずはお互いの希望を書いてみませんか。
互いに納得いかない内容になるようでしたら破棄し、改めて話し合いの場を設けましょう」
引くつもりがないのか手早く契約書に使う紙を広げているので、譲歩できるラインはここまでだと提案する。
「む、致しかたない」
納得してくれたらしい顔から、すとんと感情が抜け落ちて無表情に戻った。
「先ずは私から王女殿下にいくつかお願いしたいことを述べてよろしいか?」
「ええ、言い出したのはアルベール様ですし構いません」
話が進まないだろうから頷いたものの、さて何を言われるか。
アルベール様は言葉を飾り立てたりされるのは好まれないので、単刀直入に口にされるでしょう。
やっぱり初手は「私には唯一がいるので貴女のことは愛せない」とかかしら。
それとも変化球で「私のことを愛さないように」とか?
「一つ、当家に降嫁されました後は、外出を一切控えて頂きたい」
ド直球がすぎる。
これってあれだわ。ご自身の最愛が憂いなく外出できるよう、私は表には出ずに引っ込んでいろということね。
侍女がコッソリ貸してくれた恋愛小説で読んだことがあるから知っている。
物語も登場人物の旦那様はイケメンっぽい描写で書かれていた。アルベール様にぴったりの役割だと言える。
「それがアルベール様の望みなのですね。
とりあえず続けて頂けますか」
促せば、サラサラと紙に条件を書きつけている。それ書いちゃうんだ。
アルベール様の後ろに付き従っていた、従者の顔が真っ青に変わっていく。
事前に話を聞いていなかったのだとしたら、とんでも要望に驚いているのでしょうね。
私も一人で驚きを堪能したくないから道連れになってもらいましょ。
「二つ、年に一度は領地に行って頂きたい」
これもあれだわ。私を領地に追いやって公爵邸でイチャイチャしたいのね。
妻がいない間に愛人を本邸に招き入れるのは、契約婚モノの鉄板だものね。この手のタイプは五冊も読んでいるから間違いないはず。
それで妻の悪口を言って、私には君だけだって口付けをするんでしょう?
やだ、不潔だわ。
思わずアルベール様を睨んでしまったら、無表情は変わらぬままに首を傾げられた。
「続けても?」
ここで打ち切りではなく、アルベール様にまだまだ言いたいことがあるご様子。
思ったよりも図太い、愛に生きられるお方だったのね。
顔に出ないだけで割と繊細な方と思ったけど、よくよく思い返してみればそうでもなかったわ。以前にお兄様が贈った万年筆で、テーブルに落ちてきた蜘蛛をお菓子ごと勢いよく払っていたもの。
繊細なのは外見だけ。
いいわ、ここで逃げたら王家がすたる。最後まで聞こうじゃないの。
次は白い結婚かしら?それとも三年で離縁かしら?
もう何でもいいわよ。
監禁軟禁殺害されなければ御の字だと思いましょ。
大人しく引っ込んでいさえすれば、美味しい物を食べて、そこそこの贅沢ができるだろうから。
とはいえさすがに大概にしてほしい要望がきたら、婚姻なんてしなければいいだけだし。
周囲の侍女達が証言してくれるだろうから婚約解消に至ればいいのよ。
「三つ、王女殿下が夜会用に仕立てられるドレスは、二度に一度は私の色か、私の希望するデザインを採用して頂きたい」
あれ?ドレスってどういうこと?
ここで急に風向きが変わって、ちょっとアルベール様の思惑がわからなくなったんだけど。
「あの、話の途中ですが、質問させていただいても?」
そろそろと手を上げれば、どうぞ、と頷かれた。
「外出は一切控えるよう要望を口にされていましたが、夜会は出席するということでよろしいのですか?」
そう聞けば、む、と顎に指を当て少し考える姿も一つの芸術作品のよう。
「失礼。外出は控えるという文章には、夜会は対象と見なさないと補記いたしましょう」
一番最初に書いた文章の横に、小さく書き足される。
夜会は王家でも主催する。そこにアルベール様一人だけでいつも行かれたら、さすがに王家から不審がられますもんね。
これで外出先が一つ確保できたわ。
「ではお茶会は?」
「……それも必要ですね。
わかりました。夜会とお茶会は対象とならないと記載しましょう」
参加していいんだ。思ったより緩くない?
まあ、お茶会は女社会の仁義なき戦いの場ですからね。アルベール様の大切な方が行ったら涙目で帰ってくることになっちゃうし、そうなったら公爵家も体面を取り繕うためにコッソリ仕返しをするのも大変でしょうから、私が参加したほうがいいに決まっているでしょうとも。
「それでは街への買い物はどうでしょうか」
その途端、アルベール様の目が驚愕で見開かれたまま、私の方へと身を乗り出した。
「なりません!」
え、それは駄目なのね。公爵家に嫁いだら街へ買い物に行けるんじゃないかと楽しみにしていたのだけど。
公爵夫人は侍女と護衛を沢山連れてドレスも宝石もお店に見に行くのだと言っていたし、ご令嬢だった頃には有名なカフェのテラス席で今の公爵様とお茶をされたことがあると懐かしそうに惚気られていたから、あわよくば友達夫婦レベルにでもなれたら連れて行ってもらえるのではないかと思ったけど駄目だったらしい。
まとめると貴族社会の付き合いが必要なところは許可するけど、それ以外は駄目ってことだろうか。
貴族としての付き合いが必要な場所だけ私を連れていくけれど、愛人と行きそうな場所に私がいたら邪魔だから止めてほしいってこと?
あ、もしかしたら私が公爵家のお金を浪費するのではないかと心配しているのかもしれない。
公爵夫人として生活するのに十分なだけの予算を割り振ってくれたら、予算度外視な買い物はしないつもりだと伝えた方がいいのかも。
「そんな、しょっちゅう出かけたりするつもりもないし、やたらと買い物で散財しようとも考えていないのですが」
ただちょっと、本当にちょっとだけ、侍女が貸してくれていた本の続きをコッソリ買いたいだけなのだけど。
タイトルが「キラキラ平民聖女は悪役王女に負けずにハーレムエンドを目指します!~ついでに国を乗っ取りました~」なので、まだ顔も合わせてすらいない公爵家の侍女に頼むのは躊躇うのよ。
王家の末席に座る者がそんな本を買うなんてと怒られたくないし、何より同じジャンルが好きじゃないと理解されないと思うし。
こういうのは同じベクトルでの解像度と情熱を持っている相手とではないと、感情と感想と二次創作を分かち合えないものだから。
なのにアルベール様は非情にも首を横に振る。
「なりません。買い物が必要ならば公爵家と縁のある商会でも、王都にあるお店なら公爵家に呼べばいいだけのこと。
アンリエット王女殿下がわざわざ外に出られる必要はないかと」
本当に頑固。段々腹が立ってくる。
アルベール様が契約婚なんて持ち掛けてきたのに、なぜ私ばかりが譲歩しなければいけないわけ?
とてつもなく理不尽が気がして仕方がない。
これはもう、破談でいいのではないかと思い始めてしまう。
確かにアルベール様の顔の造作はいいとは思うけど、芸術品レベルに至っているから恋愛といった感情が湧かないところが政略結婚らしく都合良いと選ばれただけで、昔から懸想していたとかという過去もない。
私の初恋はイケ渋おじなお父様で、次は白馬の王子を体現した十歳上のお兄様。美術史の教本に載っていそうなアルベール様はお呼びではない。
大体、推しへの活動もあるので自分の恋愛とか疲れるから、昨今の流行に乗っかることなく生活水準の合った貴族らしい結婚がしたいだけなのよ。
愛人だって正しい手順を守ってくれたら容認するつもりだったし。管理できるならば複数いてもOKだったし。
王家としても今の婚約破棄世紀末の鎮静化を図るため、敢えて私を政略結婚のモデルとして降嫁させるよう手筈を整えただけ。
だから束縛することもなく自由に遊んでもらってもいい代わりに、私にだって好き勝手できる自由がほしい。むしろ愛人をご用意してあげる代わりに自由をください。
推しの舞台は見に行きたいし、魔力さえあれば誰でも光らせられるペンサイズの灯りを推し色にして振りたい。
公爵夫人だって一緒に行こうと推し色の衣裳を仕立てる相談していたはずなのに、どうしてこうなったのか。
そうよ、アルベール様はご両親と相談されたと言っていたけど、お二人は内容をきちんと把握していたのかしら。
場合によってはアルベール様と話すより、公爵夫妻と直接交渉した方が早いかも。
「お伺いしたいのですが、ブランボルン公爵夫妻には何をどう相談されて契約書の話になったのですか?」
「貴女が降嫁するにあたって世に蔓延る有害な男達の視線から貴女を守れるよう、部屋の窓全てを鉄格子にし、常時カーテンを閉めきっていても問題無いように天窓を増やしたいという話をしただけです」
「重っ」
思わず言葉に出たが、アルベール様は気にしておらず、むしろ饒舌にして語り始める。
「後は両親といえども父親は男です。
何か間違いがあったら私は親といえども処さなければなりません。だから領地に帰ってもらうように言いました」
「あの、さすがにそれは無いと思います」
ブランボルン公爵夫妻は貴族社会の中でも有名なおしどり夫婦。推しにお金を落とす夫人に嫉妬するくらいの仲だ。
政略結婚からの恋愛に発展したレアケースが親戚如きに、それもこんなしょぼい小娘にそういった目を向けるはずがない。
けれど、アルベール様はわかっていないと言わんばかりに身を乗り出す。
「アンリエット王女殿下、誰であろうと油断してはなりません。
私は父から『男は皆、狼である』と教わりました。義父になるのであっても心を許してはいけません」
「ひえ」
究極の美が顔面に迫る。
「真偽を確かめようと社交界で出てみれば、父の言う通りでした。世の中の男というものは不埒で不誠実で実に嘆かわしい。ああいった手合いから守るために王女殿下を外から遠ざける必要があり、それは夫となる私の役目なのです。いっそ男性の使用人も全員解雇しようかと思いましたが、侍女ばかりでは力仕事が難しいと訴えられ、仕方なく王女殿下が屋敷にいる間は、私達の寝室がある階には一切上がらぬことを落しどころにしています。ちなみに王女殿下の侍女となる者は皆が皆、百戦錬磨の手練れです。王女殿下が何もなさらなくとも近寄る羽虫は言葉でも物理でも追い払える者達にしているので安心してください。本来なら屋敷の奥深くに貴女を隠して、私にしか会えないように監禁したいところを、ここまで譲歩しているのですよ?」
アルベール様がワンブレスで激重発言を言い切った。
あまりの勢いに仰け反っているのに、美の集大成である顔面が下がらない。
さすがに王女に対して不敬だから、誰か後ろに下げて。早く下げて。
思わず扇を開いて防御したら、我に返ったらしいアルベール様の従者と城の近衛兵が下がらせてくれたけど、さすがに肩で息をしてしまうくらいに美の暴力だったわ。顔面の攻撃力が半端ないったらありゃしない。
状況は薄らと把握した。とんでもない前提があればの話で、本当に薄らなんだけど。
最大の問題なのはアルベール様だけど、公爵夫妻の方にも文句を言いたい。
アルベール様が大層おかしな方向に走り始めたのを、どうして私の所に来る前に止めてくれないの。
このまま要求を呑んで結婚したら、公爵夫人と一緒に推し活できないじゃない。
「男性もそうでしたが、世の女性を私の主観で語るならば、半分程は思考が足らず、浅慮で、無作法だと思っています。
母に関してはマナーなどはトップクラスでしょうが、アンリエット王女殿下に『推し』という知識を与えるという愚かしいことをしでかしたので、同情の余地なく領地送りです」
「わあ」
つまり、アルベール様の提案の内容に危機を感じた公爵夫妻は、とりあえず私に面倒事を回したと。
これをどうしろと?私が手綱を握るの?
難易度が高いんですけど。子が良識ある行動を取るように諭すのは親の務めなんだから、今すぐ引き取りに来て。
「それで、アンリエット王女殿下」
「な、なんでしょう?」
従者の人がプルプル震えながらも懸命にアルベール様の肩を押さえている。
「王女殿下からの条件を伺っておらず。
何かありますでしょうか」
色々あったはずなのに、無表情だったアルベール様からのとんでも発言のせいで、今はそれどころではない。
本だのカフェだの推しだの言ってる場合じゃない。大事ではあるけど、目の前の危機よりは優先度が少しだけ下がる。
このクソ重感情を受け止めるか、それとも逃げ出すかの二択だ。
好きなジャンルじゃないからと侍女が貸してくれる中にメンヘラやヤンデレ系はなかったので、対処の仕方がわからなくて本気でどうしよう。
やはり契約の話は一時保留でしょう。こんなの私で対処しきれない。
「ちなみに王女殿下が逃げられても地の果てまで追いかけますし、他の男と結婚しようものなら式を挙げた瞬間に未亡人となるでしょう」
まさかのストーカー宣言と殺害予告に、ヤバみが増して実にヤバさの極み。
今までこんな態度を見せてこなかったのに。
いや、態度自体は変わらない。ノンブレスで危険発言をしたときも無表情だった。
単に口に出さなかっただけで、婚姻前に暴露してしまっただけか。
「先に申し上げますと、面倒臭いことほど先に片付けた方がいいのは仕事もプライベートも同じこと。
既に公爵家は我が手中にあることをご認識頂ければ」
有能だぁ。無駄なことにまで有能過ぎて、完璧に磨きがかかっている。むしろそこが欠点になりつつある。
「アルベール様」
声を掛ければ、変わらず表情の無い顔が私を見た。
今日のお茶会までは光の無い瞳や無表情から、彼も政略結婚だと妥協しているのだと思っていたけれど。
「もしかして、結構私のこと好きだったりします?」
この時点まで目を逸らしていた事実を確認してみる。
「結構という部分を取り払って、好ましい相手だと存じています」
答え合わせの正解に納得しながらも、腑に落ちないという気持ちから首を傾げてしまう。
「私、アルベール様のお眼鏡に適うような美貌も賢さも、そればかりかブランボルン公爵家に役立つような人脈すらも怪しいですけど」
唯一の強みはアルベール様のお母様であるブランボルン公爵夫人と仲が良いことぐらいだと思うのよ。
それも公爵夫人と私が同担拒否勢の過激派ではないからだし。単に運が良かっただけの話。
「アンリエット王女殿下は私に興味がないでしょう?」
これまたド直球。でも事実ではあるから否定はしない。
「そうですね、アルベール様のお顔は美しいと思いますが、それで好きになるかと言われたら別にとしか」
それがいいのですよ、とアルベール様が言う。
「今流行りの真実の愛、でしたか。実にくだらない。
誰もが貴族としての常識を忘れて浮かれた感情に足元を見ず、あたかも小説の主人公のように振舞っては痛い目に遭う。
そして自分こそが選ばれるのだと、人を外見で判断してはコバエのように周囲を飛び回る。
私はその思考と行動をとても不愉快に思っております」
それは同意します。
「そんな中でアンリエット王女殿下は私に対して、面倒な視線を投げつけることもなく、政略結婚だと割り切ってくださっている」
それも否定はしません。
けど、だからこそどうしてアルベール様がご乱心しているのかには繋がらない。
政略結婚だと理解されているのに。
「今日の会話でご理解頂けているかと思いますが、私はとてつもなく重苦しい感情を他者に向けてしまいます。
以前より私は自分の重い性格を自覚しており、日々自制して生きておりました」
ここで、雲行きの怪しい爆弾発言が軽く繰り出されたわ。
「仕事場や友人までなら誤魔化せるでしょうが、結婚すれば私のこういった面も赤裸々になるでしょう。
一度、試しに近寄ってきた女性に披露して見せたら逃げられまして」
まあ、ノーマルな思考の持ち主でしたらそうなるでしょうとね。
「政略結婚の王女殿下ならば、私の重篤な感情や行動も軽く捌いてくれるのではないかと」
「……もう一度聞きますけど、本当に私のことが好きです?」
「勿論。ある程度の好意がないと、私も行動を起こそうとは思いませんから」
さて、どうしようか。
もしかして、お父様達もこれを知っていたからこそ私を選んだという可能性が出始めた。
目の前の芸術品が思ったより残念だったことはわかったけど、じゃあ好きになれるかと言われれば、それはわからないとしか答えようがない。
まあ、夫婦になってから関係を育むことだってできるかもしれないし、そこを全て否定するわけではないつもり。
契約書は危険だから作成しない方向で進めるけれど、こちらの意見を聞いてくれるかは確認しておかないと。
「こちらからの条件ですね。
では同じだけ条件を出しましょう」
本当に駄目だったら今日中に国外に逃亡しよう。
「先ず一つ目。
アルベール様に誘われたら五回に一回くらいはデートに行きたいと思いますので、外出禁止は削除してください」
言った瞬間、座っている状態なのに膝から崩れ落ちた。器用にも程がある。
デートと呟いたらしい声が聞こえるが、俯いているので表情がわからない。多分、無表情。
「い、いいでしょう。そうですね、そのペース配分はよろしいかと思います」
よろしいんかいと思ったけど、突っ込むのは止めておく。
きっと夫婦として外出のお誘いもハイペースになるに決まっている。それぐらい断ってもいいと思っている時点で自覚があるあたり、実に重たい。
「次に二つ目。
推し活動が出来ない私はショックでアルベール様の猛攻をかわし切ることができず、花が枯れるように儚くなるでしょう。
推し活を認め、公爵夫妻を領地送りにしないでください」
勢いよく上がった顔に、本当に顔だけはいいのよねと溜め息をつく。
そしてやっぱり無表情だった。
「王女殿下の心を他の男が占めているというのは、割と、いやかなり許し難いのだが」
「儚くなります」
ぐぅ、と唸り声が一つ。そこまで愛がないにも関わらず、この執着っぷりよ。
「……認めましょう」
よしきた。これはいけるわ。
ちなみに私は箱推しなんだけど、いつか単体の推しが出てきたときのためにアルベール様には何も言わないでおく。
「感謝します」
そう言って微笑めば、ようやく椅子には座り直してくれた。
「最後に三つめ」
正直、最初の二つでいいんだけど、契約を本当に交わさないにしても言っておいた方がいいだろう。
なんだかんだ言いながらも私を試していただけで、本当のところ、口に出したことを全て行動に起こさないはず。多分。
どこまで自分を出していいか量っていただけなんでしょうね。
「今日でアルベール様のことをよく知ることができましたわ。
そしてアルベール様も私のことを理解されたでしょう」
なので、これで満足したはず。
「私達の婚姻は、周囲の愚か者達に貴族としての常識を知らしめるための模範的な政略結婚。
契約書があろうとなかろうと離縁などできませんし、お互いに妥協しながら何が最善かを擦り合わせていけばいいだけでしょう。
紙に書いた約束事がいつか互いを縛ることのないよう、わざわざ用意しなくて結構かと。
どうぞこれから幾久しくよろしくお願いいたしますわ」
今日のお茶会はもうお開きにと私が立ち上がれば、アルベール様も立ち上がって私に手を差し出した。
造形物として売り飛ばせそうな手に私のごく普通の手を重ねれば、恭しく唇を寄せられる。
「貴女が私の婚約者で本当に良かった」
このお茶会でのやり取りは、夕食の席での笑い話として披露することになるだろう。
どちらの家でも苦笑混じりになりそうだけど。
そして結婚してからも、今日のお茶会のような会話が続くのだ。
私達は政略結婚だ。
そこに周囲が夢見るような愛はない。恋もない。
けれど、それがなんだというのだろうか。
燃えるような想いなどなくても家族になれるし、相手と信頼関係を構築することだって可能だ。
だから、それを愛じゃないと声高に言う人がいれば、きっと晴れやかに笑って言い返すのだ。
これもまた、一つの愛なのだと。