カレーの神様
グツグツと、煮込むより最近は電子レンジで温めてから鍋に入れることが多くなった。
ジャガイモと人参をシリコン製の容器に入れ、電子レンジで600Wで3分半温める。
鶏肉と薄くスライスした玉ねぎを炒めている間に、ピーっと電子レンジの音がなる。
容器から取り出し鍋にさっと入れ、水を入れると、煮込む時間が短縮される。
「便利になったな。」
換気扇を見上げると、蒸気の中に髭もじゃの50過ぎのおっさんの顔だけが浮かび上がる。
無駄に長い睫毛と、大きな瞳からは無邪気さを感じるが、声は酒焼けしたおっさんのソレだ。
「ほんまに。ガス代節約なるしな。」
「ワシは煮込んだ方が好きやけどな。」
いつからか忘れたが、カレーを作ると、決まってそいつは現れた。
自分の事を神様だと言うが、願いを叶えてくれた事は一度もない。
「ええねん。こっちの方が美味しいから。」
鍋に蓋をして、シンクに戻り、まな板と包丁を洗う。
「自分、ええんか?」
「何が?」
「返事したりーや。」
「あんた、関係ないやん。」
亮太からのLINEは全部、無視すると決めていた。
後輩の女の子を家に泊めたなんて、信じられない。
「仕方なかったんちゃうの?」
「そんなん、タクシー呼んだらいいやん。」
ドン!と乱暴にシンク下の扉を閉めると、そいつは「あーあ」と言う顔をして、「怒ったら、カレー不味なるでー」と言い、また私の機嫌を逆撫でした。
「あんたが言うからやん。」
「許したりーや、しょうがなかったんやろ。」
グツグツと鍋が沸騰し始めたので、お玉をとり、ボウルにアクをすくった。
そいつは、「誤解かも知らへんやん。」と、言いながら、ぐるりと時計回りに回転した。
「ブー」
テーブルに置いた、スマホが振動している。
やっぱり亮太からの電話だ。
「出たりーや。」
「うるさいなぁ。」
火を止め、スマホを手に取り、応答ボタンを押した。
「もしもし!?」
「もしもし、真由美?あのさ、誤解なんだって、本当に。」
亮太がはーっと息を整えるのが聞こえた。
「誤解って何?」
「山下さんとは、本当に何も無かったんだって。飲み会の後、気持ち悪いって言うから、タクシー呼んだんだけど、住所も言えないし虚ろでさ。家知ってるやついなくて…」
「それで、家に連れて帰ったんか?」
「だってしょうがないだろ?皆んな帰っちゃって、俺しかいなかったんだから。」
「はめられたな。」と、言いかけその言葉を飲み込んだ。
「わかった。」
「信じてくれる?」
「うん。もう怒らないから。」
亮太は、良かったと言うと、今からそっちに行くと言い、電話を切った。
「な、誤解やったやろ?」
「変な女に絡まれた亮太が悪い。」
もう一度火をつけ、グツグツと再び鍋が煮えるのを待った。
「今日カレーにして良かったな。」
「なんで?」
「ワシの助言聞けたやん。」
「別に頼んでへんし。」
冷蔵庫のドアを開け、使いさしのカレールウを入れる。
一緒にダークチョコレートを一欠片と、赤ワインを大さじ1杯加えた。
「自分もしかして、最初から多めに作ってたんか?」
「ちゃう。ただの作り置きや。」
顔を赤らめた私に、そいつはふーんと笑うと、「仲良ししてや。」と笑い、ゆっくり湯気の向こうに消えていった。
その日以来、そいつは現れなくなった。
亮太と結婚した後も、カレーを作ると、あの晩のことを思い出す。
縁結びの神様だったのかもしれない。
ただ、確かなのは、美味しいカレーを食べられるようになった。