93マリア 私はただのマリア
悠人に先に洗面所を使ってもらって、その間に、汚れたシーツなどを引きはがす。
朝食の後、カノンさんが着替えを用意してくれていて、私も悠人もお風呂に入れることになった。
悠人が入浴中に、たらいを借りて、裏庭で悠人の装備品や着ていたものを洗う。
水は自分で潤沢に出せるので、満足いくまで洗って、昨日のように木にかけて干したり、風通しのいいところに並べて陰干しする。
悠人は運動部ではなかったので、基本的には泥だらけのユニフォームを洗ったりすることは無かったけど、体育祭のときなんかは運動神経の良さを買われて、たくさんの種目に出たから、ジャージがまあ汚れて…。
無心で家事をすると、手を動かしながらついつい色んなことを考えてしまう。
懐かしい思い出に、ふふ、と笑ってしまった。
それからふいに、こんな汗を流して洗濯しているところをエミリーが見たりしたら、卒倒しちゃうかも、なんて思って、はっとした。
…今の私は、悠人の母親ではなかった。
ご飯をよそって食べさせたり、ベッドに並んで寝たりして、すっかり自分の中で昔に戻ってしまって、真理とマリアが混同していた。
残念だけど…私はマリア。悠人の母親ではない。
悠人を冒険者の仲間として助けるのはいいにしても、母親の気持ちで一緒にいて浮かれていると、また今回みたいにトラブルが起こるかもしれない。
…私はもう悠人にとって『母さん』ではないのだ。『マリア』だとしっかり認識しなくては…。
そういえば、カノンさんには恋人同士だと思われているんだっけ…。
ん?…恋人同士…?……んん?こ、恋人同士…?!
もしかして…それで同じベッドで寝かされた?…は?…いや、そんな……。
私は我が子と寝ていたつもりだったけど、悠人にしたら、眠っていて目覚めたら、女の子が横に寝ていたのだわ……私ったら…なんてこと!!!
今更ながらに気付いて、真っ赤になった。
悠人、ごめんね…そりゃあびっくりしたよね、魔物の夢じゃなくて、私に驚いていたんだね…。
でももう今更だ。
無かったことにしてこのまま流してしまおう。
ベッドは一台しかないのだ。
蒸し返して謝るのもなんか変だし。いや、謝るのもどうなのか、とも思うし…。
「あ、マリア嬢、ここにいたんですね、カノンさんが、新しいお湯の用意ができたからどうぞって。…ああ、僕の装備、こんなに綺麗にしていただいて。ありがとうございます」
ちょうど悠人のことを考えてどぎまぎしてるときに、後ろから声をかけられて、飛び上がった。
公爵令嬢として培った社交用スマイルを顔に張り付けて振り返る。
「殿下、お礼だなんて結構でございます。正しい手入れの仕方も分からずにやっていることですから。ものによっては錆びてしまうのかもしれませんが、洗って拭いて、風にあてています。肌着や布系の装備は、その木にかけてありますのでご確認ください」
「公爵令嬢に洗ってもらうなんて、あり得ないことだと思います」
「今は、私はただの魔法使いのマリアで、殿下の仲間です」
「では、僕のことも殿下呼びではなくて、ハルト、と呼んでくださって結構ですよ?」
「は…ハルト…様」
元の世界での『悠人』と、こっちの世界での『ハルト』は少し発音が違う。悠人と呼んでしまわないように気を付けないと…。
そして、母親じゃない、と意識したばかりなのに、また悠人を名前で呼べることにどきどきしてしまった。
「様もなくていいんです。……あの。いつかみんなにも話そうと思っているんですけど…」
悠人が珍しく何か言い淀んでいる。
「なんですか?」
何でも話して欲しくて、先を促す。こういうところに『母親』がまだ出てしまう。
「……僕は、実は勇者として異世界から召喚されてきた『異世界人』なんです。……怖くないですか?」
ほんの少しの不安をにじませた表情で、悠人が私の顔をじっと見つめてきた。
「いいえ、ちっとも」
怖くないか?変なことを訊くな、と思いながら即答した。
だって、私も元いた世界ですから。
「そうですか…。でも、きっと大抵の人は、異世界人だってわかると気持ち悪いんじゃないか、怖いんじゃないか、って思うんですよね…」
…そうだろうか?
そんなものなのだろうか?
でも、私は召喚もできるから、召喚したモノ達を気持ち悪いとか思ったこともなかったし…。
首を傾げていると、悠人がふふ、と笑った。
「まあ、それでは、今はそのことは置いておいて。その元の世界では、身分とか、ほとんどなくて。いわば平民しかいないような…。で、もちろん僕も平民で。一般庶民でした。だから、王族の一員として扱われたり、生まれながらの貴族の方に敬われたりするような者ではない、と思ったりもするんです。僕はブラックドラゴンを倒すために召喚されたけど…別に何か偉いわけではないんですから」
そう、か。
私は転生して、生まれたときからこの世界で貴族として育った訳だけど、悠人はある日この世界に来て、いきなり王族の一員になったわけで…。
勇者という肩書を受け入れる以外に、そのことへの戸惑いもあるのか…。
「…私も、公爵家の娘ですが、特に偉いわけではないのですよ。たまたま、このような家に生まれた、というだけで…」
私の返答に、悠人がびっくりした顔をする。
「上手く言えませんが、私は、生まれながらに敬われるような人物などいない、と思っています。敬われるだけの何かがあるから、周りの人々がそうしてくれるのだと思っているのです。例えば、私の両親や祖父は、領主として、領民がより良く暮らせるように、心を砕いて統治しています。それによって、領民から慕われ、敬われているのだと感じています。ですから、殿下もブラックドラゴンを倒した暁には、きっと救世の勇者として世界中の人々から感謝され、敬われることになるでしょう。崇め奉られるかもしれませんね。勇者としての気概をお持ちで戦いはじめたハルト様は、周りの人々からすると、十分に、丁寧な扱いをさせていただきたい、と思わせる方でいらっしゃいます。……でも、今、まだそれは居心地が悪いとおっしゃるなら。救世を成し遂げるまでは…。私は、ハルト殿下のことを、ただの仲間のハルト、ということにいたしましょう。私のことも、マリア、と呼び捨てにしてください」
つい、説教というか、長く喋ってしまった。
悠人はそれでも神妙な顔で聞いてくれている。
今の話は、実際に普段から自分でそう思っていることだ。
王妃陛下や側妃殿下などの王族も、私の両親も…他の人達と特別何か違うわけではない。ただ…その地位にいる覚悟をもって生きている、そんな風には思う。
自分の地位に伴う果たすべきことはきちんとこなし、自分の為だけに生きることはせず、自分の言動の影響力を意識している、とでもいうのか。
…うまく言えないけど…。
「…では、マリア、至らない勇者だけど、今後もよろしくお願いします」
私の言葉が悠人に届いたようだ。
表情が少し明るくなった。
「こちらこそ。勇者とその一行の助けになるべく今後も精進してまいります、よろしくお願いします、ハルト」
握手をして、そういえば悠人とはこんな風にちゃんと挨拶していなかったかも、って思いながら。
悠人の手が記憶よりも硬くてごつごつした手になっていることが、感慨深かった。




