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そのあと、先生のピアノに合わせて私の声の出る音域を調べて、先生の選んだ簡単な歌を習った。
短い曲でもあり、三回ほど聞くと覚えてしまったので、思い切って歌ってみた。
なんだか不思議な感覚が湧き起こった。
春になって綺麗な花が咲いた、というような内容の歌だったので、心の中で花が咲く様子を思い浮かべながら歌っているうち、歌声と共に体の中から何かが迸るような感覚があった。
歌い終わると、伴奏していた先生も、側妃殿下もエミリーも目を丸くしている。
何だろう…何か変だったのかも…初めて歌うのに、調子に乗って心を込めて歌う姿が痛々しかった…?
みるみる顔が熱くなってきて…きっと赤くなっているに違いなく、涙も浮かんできた。
今すぐこの音楽室から逃げ出してしまいたくなった。
涙目で俯くと、先生は立ち上がって拍手をして、側妃殿下は私の手をぎゅっと握ってくれた。
「こんな素晴らしい歌姫が身近にいたなんて!今まで歌ったことがなかったのがもったいなかったわ!私、歌のレッスンに誘ったことを、自分で自分を褒めたい気分よ」
側妃殿下は大興奮している。
そこに歌の先生が、更に興奮したように側妃殿下に話しかけた。
先生が指し示す先には、花瓶にいけられた満開のバラがあった。
それがどうしたというのか、と私が首をかしげていると、側妃殿下もバラを見てとても驚いている。
何がどうしたんだろう、とエミリーをちらり、とみると、エミリーも、側妃殿下のメイド達も驚いていた。
我に返った側妃殿下がメイドに人を呼ぶように言いつけていて、私は何をしてしまったのかと真っ青になった。
青くなって震えている私に気付いた側妃殿下が、慌てて私の肩を抱いて、部屋の隅に置かれていたソファへ導いて座らせて下さり、残っていた侍女にお茶の用意をさせた。
「悪いことをしたわけではないから安心して、皆驚いただけだから」
私のすぐ隣に座られた側妃殿下が、背中をさすって宥めてくださった。
私は震えながらとうとう涙をこぼしてしまったのだ。
「見て?あの花瓶のバラは、今日来てくれる貴女のために今朝摘んだの。そしてね、摘んだバラはまだ開ききっていなかったのよ。それが今はあのように満開」
さっきから確かに皆がバラで驚いているけれど、蕾だったバラが花瓶の中で満開になることくらいあるだろう。
話の要領を得なくて、不思議に思ってうるんだ目で側妃殿下を見上げた。
「あらっ涙目の上目遣いだなんて、なんて可愛いのかしら。やっぱり娘が欲しかったわねえ…ではなくて。あなたが花の歌を歌ったので、花がひらいたのよ」
は?
…え?
今なんとおっしゃいましたか?
…声には出さないけど、びっくりして固まった。
確かにみんな驚くのも無理はない。
私は緊張のあまり、私のためのバラの存在には気付いておらず、蕾が満開へと変化したことには気づかなかったのだ。
「ねぇ…どうしようかしら。魔力もちの歌姫…いいわぁ…でもアレがやっかいよねぇ…でも…」
側妃殿下が独り言を言っている間にお茶の支度が整い、私はお茶を飲みながら待っているように言われて、側妃殿下達は音楽室を出ていった。
エミリーと二人残されて、心細いながらも二人きりになれて少しほっとして、エミリーに話しかけた。
「エミリーはバラの変化にすぐ気付いたの?」
「いいえ、私も初めはお嬢様の歌声に聞きほれてしまって、他のことは一切考えられないくらいでした。でも歌が終わって我に返ると、バラが満開になっていたのはすぐにわかりました、私の控えていたところからはお嬢様とバラがいっぺんに見えますのでね。でも魔力の込められた歌であったなら、あんなに他のことには注意が向けられないほどに魅了されたのも頷けます」
「たまたま暖かい部屋で咲いたのじゃないの?本当に私の歌で咲いたの?そしてそうだとしたら、私は魔法使いだったの?」
「多分、今、側妃殿下がそれを確かめるべく、色々と動いてくださっています。それに、貴族であるお嬢様が、魔法が発動する量の魔力を最初からお持ちでもおかしくはありません。お嬢様、きっとこの数年旦那様がなかなか叶えてくださることができなかった、魔力測定が受けられますわ!旦那様もお嬢様のためになんとか手配しようとしては下さったのですが、測定技師が女の子だと知ると断ってきたりして…でも、側妃殿下からの依頼なら、断る技師などいないでしょう?」
お茶を飲んでエミリーと話すうちに、動揺していた気持ちも少し落ち着いてきて、今度は落ち着きすぎて眠くなってきてしまった。
「エミリー、どうしよう、眠くなってきちゃった、どうしよう…」
「まあ!お嬢様、きっと緊張しすぎでいらしたのですね」
それを聞いて慌てたのはエミリーで、王宮に招かれた令嬢が居眠りだなんて、後々どんな笑いものにされてしまうか分からない、ということが分かっていて、なんとか私を宥めながら、眠らないように手をさすったりお茶を勧めたりしてきてくれる。
でも私は舟をこぎだしてしまうのが止められない。
「わかりました。お嬢様、どうぞこのエミリーの胸に」
メイドとしてソファに並んで座るわけにはいかないエミリーが、ソファに座る私の前に膝立ちになり、私がエミリーの胸にもたれかかれるようにしてくれた。
いっそ短時間でも寝た方が、という判断らしい。
さすがエミリーね、ありがたいわ…そう思いながら、私はいい匂いのするエミリーの胸に体を預けて眠ってしまった。