86マリア カノンさん
そっとベッドに寝かせられる気配に、はっと意識を取り戻し、辺りを見回すと、薬草の匂いの充満する家の中だった。
ベッドには既に悠人が寝かされていて、その隣に並べて寝かされそうになっていた。
「おや、気が付いたのかい?ベッドがこれしかないから狭いけど、休んでいいんだよ?私はカノン。薬師だ。あんたたちが元気になるようにちゃんと診てやるから安心しな。この村には物盗りもいない。荷物も見ていてやるから。何にも気にしないで今は休みな。その子も死にはしないからね。そうだ、気が付いたのならこれをお飲み」
カップに注がれた緑色の液体は、いい香りがした。
ベッドに腰かけてそれを飲むと、ホッとしてくらくらしてきた。
魔力切れで気を失うときの感じに近い。
ベッドに横になると、隣に悠人が寝ているので、その暖かい体温と呼吸を感じられた。
ようやく、ああ、悠人は死ななかったんだ、と安心でき、強張っていた体が緩むのを自分でも感じ…すぐに眠ってしまった。
翌朝、何か美味しいものの匂いで目が覚めた。
ベッドサイドテーブルに、湯気の立つスープと、結構上質なパンが置かれている。
すぐに確認した隣の悠人は、ひどい顔色のままではあるものの、まだ眠っていた。
私達にかけられていた毛布を悠人にかけ直してやり、とりあえずベッドの端に座る。頭がガンガンして、座っていてもふらふらする。
もう一度横になった方がいいだろうかと迷っていたら、トレーにポットや小皿を乗せて、夕べ寝るように言ってくれた女の人が入ってきた。
確か名前はカノンさんだ。
「ああ、おはよう。もう起きたんだね。気分はどうだい。気持ち悪いだろう?まずはこれを飲むといい」
夕べも何か美味しいものを飲ませてくれたので、躊躇せずに差し出されたカップの飲み物を飲む。
ハーブティーのようなさわやかな味と香りだ。
「吐き気が無いようなら、食べるといいよ。その代り、腹八分目にしときな」
お茶を飲んで頭も少しすっきりしたので、スープを飲む。
考えてみたら、昨日は夕食を食べていなかった。
食べるとどんどんお腹がすいてきて、パンもぺろりと食べてしまった。
もう少し食べたかったけど、腹八分目、と言われていたので我慢する。
「最後にこれを」
小皿に乗っていたのは、丸薬だった。
公爵令嬢として、良く知らない人からの食べ物や飲み物を、誰も毒見せずに口にすることは、本来はしない。薬ならなおさらだ。
でも信用できると思った。
小皿に乗った丸薬をざらざら、と口にいれ、カップに残っていたハーブティーで流し込む。
口に入れた時は苦くて眉間にしわが寄ったけど、飲み込んでしばらくすると体の中からすがすがしくなるような、不思議な感覚があった。
「今の薬は何だったんですか?とても気持ちが良くなります、すっきりするというか…」
「良く効くだろう?即効性もある。秘伝の薬だからね。さて、どうだい、立って歩く元気は出たかい?」
気が付くと、頭痛もふらつきも無くなっていた。
頷くと、じゃあ、ついておいで、と部屋から連れ出された。
「ここに、着替えとタオルを置いておくから、まずは頭っから足の先まで、よーく洗いな。石鹸はここだよ。それが済んだら残り湯で、その泥だらけの服を洗って。干場はあそこの木の枝に適当に。じゃあ、私はあの子についてるから。何か困ったことがあったら大声で呼びな」
浴室に連れてこられて、言うだけ言うと、さっさと戻って行ってしまった。
確かに、土砂崩れに巻き込まれた後のままだったから、髪を触ると、髪の中にたくさんの砂が入り込んでいたし、服も土まみれだった。
こんなに汚い私達をベッドに寝かせてくれるなんて…。
有り難さと申し訳なさでいっぱいになった。
…でも、そこから一苦労した。
エミリーが洞窟の中でも可愛く結ってくれている髪を、どう解いていいのかがまずわからない。
かなり時間をかけて、なんとかほぐし終え、それからようやく服を脱いだ。
ドレスだったら一人では脱げないから、冒険者仕様の服装で良かった…。
まず髪を洗った。
泡が茶色かったので、申し訳なかったけど、もう一回洗わせてもらった。
この世界では石鹸は高価なのだ。
香油がないので洗った後の髪がきしきししたけどそれは仕方がない。
体も一気に洗って、いっそ、と脱いだ服も裸のまま洗ってしまった。
魔力の高まるローブなんだけど、こんなに雑に洗ったら効果が無くなったりしないかな、と一瞬思ったけど、その時はその時!と、ざぶざぶ洗った。
バスタブの中のお湯が茶色い…。
底の方に砂がたまってざらざらするし…。
ふと、この世界では、一人で服を脱ぐのも、一人でお風呂に入るのも、もちろん洗濯するのも初めてだった、と気が付いた。
私が真理だったときのことを思いだしてなければ、きっと困っただろうな、と思ったけど、真理を思い出していなければそもそも屋敷を飛び出したりしていないと気が付いて、ちょっと笑った。
最後にすすぎのお湯を頭から浴びて、体を拭いて、用意してもらった服を着たら、ご飯を食べたのもあるのだろうけど、生き返ったような気分になった。
服もすすいで、良く絞り、浴室を出たところすぐにある裏口から出て、言われた通りに外の木の枝に引っ掛けた。
お日様が当たって、暖かく、穏やかな風が吹いている。
すごく気持ちがいい。
夕べの、死ぬのが前提の、それを少しでも遅らせるだけの戦いをしたことなんて、嘘みたいに感じる。
でも体のあちこちに残るやけどの痕が、見知らぬ景色が、否応なしに現実だと突きつける。
死ななくて良かった…。
悠人も自分も死なずに済んだことは、運が良かったからだ。
心の中で、感謝の祈りをささげる。
風に、目の前の洗濯物が揺れる。きっとよく乾く。
悠人の服も脱がして洗濯してやりたい…。
ふとブレスレットをつけ忘れていたのに気が付いて、慌てて浴室に戻り、腕につけた。
これをつけていないと貴族オーラが出て目立ってしまうんだっけ。
基本的に外してはいけないと言われていたんだった。
まあ、ちょっとの時間だったし、大丈夫だよね…。




