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「お嬢様、本をお読みなるのもよろしいのですが、少し休憩にいたしましょう」
エミリーがベンチの脇にある小さなテーブルにお茶を用意してくれた。
お菓子もちゃんとある。
「エミリーは…どうして私付きのメイドになったの?」
マリアの記憶では、エミリーは物心ついたときから傍にいた。
私の乳母の娘だったから。
乳母がつかなくなったのと入れ替わりにエミリーが専属で私につくようになったのだった。
エミリーは私より六歳年上で、エミリーの妹であり私とは乳兄弟になるはずだった乳母の子どもは、私が赤ちゃんのときに亡くなっていた。
それでことさらに乳母が私を可愛がってくれていたのだと中身が大人の今ならわかる。
「どうして、と申されますと…?」
思いっきり不審がられているけど、ちゃんと聞いておきたい。
この世界で女性が仕事をするのは、平民だけ。
貴族ではないエミリーは、自分でメイドの仕事を選んだのか、そうならざるを得なかったのか。
「エミリーは他の仕事をしたいと思ったことはないの?」
「ああ、そういう意味でございましたか」
にこ、と微笑まれて、そうか、質問が漠然としていたか、と顔が赤くなった。
私付きのメイドになるときは、メイド頭に、私付きになるようにと任命されたからに決まっている。
そっちを訊かれたかと思われたに違いない。
「そうですねえ…」
考え考え話してくれるエミリーの話は、聞いているうちにむずがゆくなってくるものだった。
「母がお嬢様の乳母となることは、お嬢様がお生まれになる前から決まっておりました。ご存知の通り、母はお嬢様がお生まれになる三か月ほど前に、子を産んでおりましたので…。母は若奥様付きのメイドでしたし、父は厨房におりますし、身元もはっきりしておりますのでね。でも、お嬢様がお生まれになってしばらくして、妹ははやり病が原因で亡くなりました。お嬢様にうつってしまわなかったか、それはもう、皆で心配したものです」
「そんな!自分の子を、妹を亡くしたのに、私の心配をしてくれたの?」
「もちろんでございますよ。母にとって大切な若奥様の、初めてのお子様でしたし。当然、身内を亡くして私達も悲しかったのですが、その分お嬢様に存分に愛情を込めさせていただきました。私としての一番のその表現が、メイドとしてお嬢様に仕えさせていただくことだったのです」
「そ、そう」
面と向かって言われると少し恥ずかしい。
エミリーは自分の意思でメイドの職を選んで、働いていることは分かった。
内心、ちょっと姉のように感じていたのは、エミリーがそのような気持ちも持ちつつ接してくれていたのだから当たり前だったのだ。
「お嬢様、最近変わられましたね…?以前は私のことに興味なんてお持ちにはなりませんでしたのに」
恥ずかしくなってもじもじしていた私は、ぎょっとして顔をあげた。
確かにマリアは自分付きのメイドに対して、対等な人間という意識すら持っていなかったかもしれない。
貴族だけが人間で、使用人たちは使用人という生き物。
そんな傲慢な娘を、よくも愛してくれていたものだ。
…でもこの世界では、マリアの考え方は一般的な貴族としては、当たり前だったようにも思う。
そう考えると、幼い私はまだわがままを言うお嬢さん、程度だったのかもしれない。
エミリーの告白を聞いて、エミリーには相談してもいいかも、と腹をくくった。
「エミリー、笑わないで聞いてほしいの。私、大人になって、誰かに嫁いで子どもを産んで、昼間はお茶会、夜は夜会、みたいな生活は嫌だと思ったの…」
「え?お嬢様、それは貴族の特権ではございませんか!まあ、貴族の皆が皆、そのような生活をしているわけではありませんし、社交も楽なものではありませんが…。では、一体どうなさりたいのですか?」
笑うどころか驚きに目をまん丸に見開かれてしまった。
それほどの異常な発言ということか。
「えーと、その、まだはっきりと決めてはいないのだけど、エミリーが自分ですすんで私付きになってくれているように、私も誇りをもって何かをしたいの」
「はあ…」
「女の人が働くのは庶民だけだし、貴族の女性が働くのは恥ずかしいこと、なのよね?でも、私、何かしたいの。私だからできることを。それが何か分からないのだけど…」
「それで合点がいきましたわ。最近お嬢様は色んな職業について、それになるにはどうしたらいいのか、家庭教師の方々や私達に訊いておられましたものね…」
基本的にずっと私のそばを離れないエミリーには、隠し事は難しい。
エミリーが辺りをきょろきょろして人目を確かめると、ふわっと頭を撫でてくれた。
「公爵令嬢でありながら、何かの職に就きたい、だなんて、前代未聞でございます。それでもエミリーは嬉しいです。一生お世話をさせていただこうと思っているお嬢様がどこにでもいるような令嬢ではないことが…。エミリーにも公爵令嬢でもできる可能性がある仕事について一緒に考えさせてくださいませ」
「ありがとう…!」
私は嬉しくてエミリーの手をとって涙ぐんでしまった。こんないい子が私のそばにいてくれて良かった!
相談して良かった!
「先ほどは、詳しいことをはしょりましたが…。私は、母がとても誇りをもって若奥様にお仕えしているところを物心つく頃から見ておりましたし、お嬢様がお生まれになってからは、乳母としてお嬢様を慈しんでいるところも間近で見て参りました。生まれた時から存じ上げているお嬢様付きのメイドになるべく、私はこっそり猛勉強いたしましたよ。若いので未熟者だと思われて、他の者にその座を奪われないよう、必死でございましたとも」
「えっ?」
「公爵家のお嬢様に付くメイドは、そんじょそこらのメイドとは訳が違うのでございますよ?母も若奥様のメイドのうちの一人に戻れましたし…。私達一家は、ガードナー家にお仕えすることを、とても誇りに思っております。私はお嬢様のお世話をさせていただくことが生きがいでございます。お嬢様付きのメイドの座は、誰にも譲らないつもりでございますので、お嬢様、お覚悟なさいませ。嫁がれる先へも…どんなところでも付いて参ります」
「そ、そう…」
なんだかエミリーからの愛の告白を聞かされた気分になって、赤くなって俯くしかなかった。