39ハルト
「あれ?ジュリーわざわざここで本を読んでいるの?」
ジュリアスがお茶を飲みながら本を読んでいた。
「ハルトが来るちょっと前に、温泉に入っていたんだ。ハルトの歌っている声が聞こえたから、お茶を淹れて冷ましておいてやった」
確かに三つ編みにしていることの多い、長い金の髪がそのまま垂らされて、まだ湿っているようだ。
「誰もいないと思ったのに…」
鼻歌を聞かれたのが恥ずかしかったけど、ありがたくジュリアスの侍従が勧めてくれたお茶を飲んだ。
さっぱりするハーブティーで、お風呂上りののどの渇きも癒され、思わず、ふう、とため息をついた。
「今日も森に行っていたのか?」
「うん、今日は重装備での訓練。騎士さん達はあんな重い装備で何キロも歩いたり、戦ったりできるんだからすごいよね…」
「彼らは何年も鍛えているからな。ハルトはそんなに焦らなくてもいいんだ。私だってプレートメイルを着ていては、そう長時間戦えない。アレクなら平気そうだが」
そうだね、と二人で笑う。
ちょうど温泉から、ふあー、ハルトいいもの作ってくれたぜー、というアレックスの声が聞こえてきたのだ。
ジュリアスの目配せで、アレックスの分のハーブティーの準備がされていく。
僕のもこうやって用意してくれていたんだなあ、ジュリアスって気が利くし優しいし綺麗だし…。
じっとジュリアスを見ていると、見られているのが落ち着かないのか、読んでいた本を閉じた。
その時、挟んだしおりが目に留まって、心臓が跳ねた。
思わず身を乗り出す。
「あの、そのしおり、ちょっと見せてもらえるかな…?」
「ああ…これか?」
いぶかしげな顔をしつつも、本を開いてしおりを渡してくれた。
じっと見つめるのは、しおり本体ではなく、そこにつけられている紐の方だ。
しおりの端に、リボンや紐がついているのは元の世界でもよくあったものだ。
でもこの紐は…何色かの糸で編み込まれたもの。細いながらも、元の世界では、組紐、と呼ばれていたものに見える。
一気に元の世界での色んな思い出がよみがえり、思わず手が震えた。
震えながらも、その組み方を指でたどる。
「こっ、この紐って、この国では良く使われるのかな?」
今まで目にしたことはない気がするけど、何しろ僕は、この世界ではもの知らずだ。
「ん?どれ…」
ジュリアスが僕の手元に顔を寄せる。
「すまない、素材自体は珍しいものではないのは分かるが…」
「あれ、なにイチャイチャしてんの」
反射的に顔を上げると、アレックスがこっちに来るところだった。
「頭寄せ合って、何見てるんだ?」
アレックスはそばまで来ると、一緒になって僕の手元を覗き込む。
後ろから、殿下!まだお支度が済んでおりません!とアレックスの侍従が最後に着せるつもりだったらしいベストや、手ぬぐいを持って追いかけてきた。
アレックスの長い銀色の髪からはまだ水が滴っていた。
「ああ、この紐、一般的なものか珍しいものか、分からなくて。でも確かに美しく編まれている」
「ふーん。どれ…んー…正装のときにあしらわれている飾り紐とも違うようだなぁ。…こういうのは女の人の方が詳しいんじゃないか?っていうより、これはどこで手に入れたんだよ、そこに訊けばいいんじゃないか?」
ジュリアスとアレックスが顔を寄せ合って、紐を見ている。
西日を受けて金銀に輝く美しい二人は、元の世界では見たことのないような、『美しい人』達だ。
僕とはあきらかに違う。
紐によって元の世界に気持ちを引っ張られている僕は、ここにいていい存在なのか、一瞬いたたまれなくなった。
しおりはまだ僕の手にあるので、ふと視線を上げたアレックスと僕の目が合った。
「わっ!お前また泣くなよ!なんだ、俺が悪いのか?割り込んじゃ駄目だったのか?ジュリアスと二人が良かったのか?わ、叩くなよ」
泣きそうな顔をしているつもりはなかったけど、そう見えたらしい。
そして、なんで僕がジュリアスといちゃつくのを邪魔されて悲しくなったことになるんだ!と頭に来て、肩パンチをくらわした。
そのタイミングで、アレックスの侍従が、失礼いたします!と水が滴るアレックスの髪を、手ぬぐいでわしゃわしゃしだし、「もういいだろ」「まだです、香油もおつけしておりませんよ!」と大騒ぎだ。
お陰で、いたたまれない気持ちがあっという間に吹き飛んだ。
「ふふ、今日のマリア嬢とメイドさんみたいだな」
思わず笑って呟くと、ジュリアスが方眉をあげた。
「森に行っていたハルトが何故にマリア嬢と?」
侍従とアレックスの大騒ぎの横で、僕は今日の出来事を話して聞かせた。
「前にキースが才女だって感心してたから、大人しい子なのかと思っていたけど、ただの外出用ドレスで、メイドと二人で森に入るとか、冒険者を雇うとか、面白い子だなって思ったよ…。ああ、でも向こうは僕やアレクと会ったことには気付いてないよ。フルフェイスの兜だったから顔も見られていないし、一言もしゃべらなかったから。全部団長さんが対応してくれたんだ」
「そう…」
ふ、とジュリアスの表情が柔らかくなった。
「そうそう、このしおりは、そのマリア嬢のものなんだ。先日彼女から借りた本に挟まっていたんだ。直接会って返したくて、まだ返す機会を持てずにいる。返すときに、この紐について、訊いておこうか?」
思わぬつながりにびっくりした。
そして、迷った。
公爵令嬢ともなれば、世界中の珍しいものを手に入れられるだろう。
そんな彼女が、たかだかこんな紐に興味があるだろうか…。
「そんなに深刻な顔をしなくても。訊いても分からないときは分からない、で、おしまい。訊くだけ訊いてみよう。ダメでもともと」
「ハルト、なんでお前そんなにその紐が気になるんだ?」
僕がジュリアスの言葉に頷いていると、いつの間にか静かになっていて、アレックスが向かいの席でお茶を飲みながら訊いてきた。
一瞬迷ったけど、ここではぐらかしても、二人が気にしてしまうだろう…そう思って、ちゃんと話すことにした。
この紐は、紐の組み方は、元の世界で僕が暮らしていた国の伝統的なもので、組紐、と呼ばれるものに見えること。
僕の母さんが、公民館での講座で体験した後すっかりハマってしまい、道具をそろえ、独学ながら休みの日などに時々作っていたこと。
紐の組み方は物凄く種類があるけど、その中で、この組み方が母さんのお気に入りだったこと…。
「…だから、その…糸の色の組み合わせまで母さんの好みのままだったこの紐をみて、母さんが編んだものなような気がしてしまったんです」
僕が話し終えた途端、向かいのアレックスがガタン、と椅子を蹴立てて立ち上がり、僕の前までくると、手を引っ張って僕を立たせ、その勢いのまま、むぎゅう、とハグをしてきた。
力がすごいので、硬い胸板に顔を押し付けられ、胸のあたりを締め付けられて、息ができない。
何事?
ギブアップだから、離して!とアレックスの背中をパシパシ叩いても、離してくれない。
「…ハルトが俺たちに元の世界の家族のこと話してくれたのは初めてだな…兄さんは嬉しいぞ!」
更に力がこもって、ダメだ、もう死ぬ…と思っていたら、ふいに腕がほどかれた。
「アレク、嬉しいのは僕も一緒だけどね、ハルトが死んじゃうから」
ジュリアスが腕を引きはがしてくれたようだ。
ぜーぜーと肩で息をしていると、ジュリアスもアレックスの隣にならんで、僕の頭をなでてくれた。
二人がそんなことをしてくるのは初めてで、思わず目を瞬かせていると、この感じ、十二歳くらいにしか見えないよねぇ、ああ、たまに十六歳っぽく見える時もあるんだがな…と頬をぷにぷにされたり髪を引っ張られたり…。
思わず口が尖ると、そうそうこの顔も可愛い、と二人にすっかりおもちゃにされたので、しおりをジュリアスの手に押し付けると、ぷりぷりしながら自分の部屋に戻った。




