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私の命の炎は、今まさに消えようとしている。
一年以上前から体調はすこぶる悪かった。
それでも病院になかなか行かなかったのは、私がシングルマザーだったから。
病院に行くために仕事を休めば、それはすなわち、収入減と想定外の支出…。
どうしても、子どもをちゃんとした学校に行かせてやりたくて必死にお金を貯めていた私に、仕事を休む選択肢は無かった。
どうにも我慢できないほどに辛くなって、勤め先のお弁当屋の店長夫婦にもすごく心配されて、ようやく行った病院で、ガンの末期であることを告げられた。
目先のお金を気にして…全く本末転倒とはこのことだ。
三十七歳にして余命宣告を受けてから、必死に人生の後始末とその後の準備をした。
心残りはもちろん、子どものことだ。
「母さん、今日の調子はどう?」
面会時間になり、すぐに病室に最愛の息子がやってきた。
「あら!悠人くん、それ新しい制服ね?良かったわよねぇ、あの有名な超難関校に特待生で入れて」
「ありがとうございます。今日届いたので、母に見せたくて…」
二人部屋で、一緒にガンと戦っている隣のベッドのおばちゃんにもすぐに可愛がってもらえるような、素直な子に育ってくれた。
学費免除の特待生になるほど、優秀でもある。
入り口から奥の方のベッドにいる私のところに悠人が来てくれるまでの間に、体を起こそうと思ったのだけど、できなかった。
私にはもう起きあがる元気もない。
横たわったままそっと手を伸ばすと、悠人が顔を寄せてくれた。
「制服、とても似合ってる…そして、誕生日おめでとう。言うのが遅くなったけど」
「ちゃんと父さんのお墓にお参りに行ったよ。高校のことも報告したし」
悠人の誕生日は、夫の命日でもある。
そして今年のその日は、私は意識がなくて、数日間面会謝絶だった。
ようやく容体が落ち着いた、と一般病棟に戻ったのが数時間前だ。
「十五歳になったのねぇ…あなたが二十歳になるまでは頑張るつもりだったのに…」
二十歳どころか、きっとあと十日後の高校の入学式にすら、出席することは叶わない。
見慣れない真新しい制服のせいか、少し大人びたように見える息子を見ていると、この子の将来を見届けられないことが、残念で、悲しくて、涙が止まらなかった。
窓の外の満開の桜も、あの人を失ったときの記憶を呼び起こして、涙が増える。
「母さん…」
困ったように微笑む息子。
本当は、泣きたいのは悠人のはずだ。
何故、自分にはこんなに若くして、頼れる大人…祖父母をはじめ親戚もいないのだ、と。
私も、そして夫も、親を亡くした子や、親がいても事情があって育てられない子ども達のための施設で育った。
そんな育ちでも、私達は愛を育み、結婚をして、裕福ではないにしても幸せに暮らしていた。
なのに、あの人は悠人の顔を見ることもなく、事故で逝ってしまった。
そのショックでその日に産気づき…夫の命日は悠人の誕生日なのだ。
「ごめんなさい、悠人、本当にごめんなさい…あの人の分もあなたを愛して育てたつもりだけど、たったの十五年だったわ…あなたのお嫁さんや孫たちも見たかったのに…」
「母さん、そんなに弱気になっちゃだめだよ、孫を見るまで頑張ってよ」
そうね、と微笑もうとしたとき、体の異変を感じた。
前回のときは意識不明になっても戻って来られたけど、もうダメかも…。
堪えようとしたけれど、激しい咳とともに、大量の血を吐いてしまった。悠人が真っ青な顔でナースコールを押している。
うぅ、苦しい、自分の吐いた血で窒息しそう。
飛び込んできたナースが咳の度にごぼごぼと血を吐く私の体を横向きにしてくれて、窒息は免れたけれど、どんどん視界が暗くなっている。音も遠い。
「母さん!かあさん!…いやだ!いかないで!……僕を一人にしないで…!」
大勢のナースとドクターが駆け付けて、色んな処置の指示などの声が飛び交っているはずなのに、わかるのは私の手を握ってくれている、悠人の手の感触と、悠人の悲痛な声だけだった。
死にたくない。
できる限り、悠人の今後のことは各方面にお願いしたけど。
死にたくない。
この子を残していかなくてはいけないなんて…親に縁がない星のもとに生まれるのは、遺伝するとでもいうのか。
死にたくない。
一緒に笑って泣いて、大人になっていくのを見守りたかった。
死にたくない。
愛するこの子と別れたくない…。
死にたくない…!。
「かあさん!」
悠人の絶叫を最後に、何も聞こえなくなった。
書きはじめは2019年でした…。