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ゆめらく  作者: マグロ頭
6/7

 冬は鍋に限るのだそうです。

 浅海さんは、青果コーナーで野菜を並べながら嬉々として話をしていたのでした。

「鍋ってさ、本当に画期的な料理だと思うの。簡単だし、何よりもおいしい。一緒に煮ただけなのにさ。多分、あれは煮るって調理法じゃないのよね。鍋にするって言う調理法なんだと思う」

「鍋にする、ですか」

「そう。例えばこのシイタケにしても、エノキにしても、いろんな野菜、例えば白菜とかもやしとか春菊とかと一緒に、肉とか魚介と併せて鍋にするとさ、相乗効果で何倍にも美味しくなるじゃない」

 確かに分からなくはないような気がしました。

「そして何と言っても炬燵だよね。わたしはね炬燵あってこその鍋だと思うわけなのよ」

「どうしてです」

「四角い天板の中央にどかんと土鍋を準備してさ、ぐつぐつぐつぐつ湯気吹く鍋を、みんなで囲んで突くとね、足がぬくぬくと暖まってきてさ、外からも内からもぐわーって暖まって、冬だーって感じになるの」

「なるほど」

 答えた私にはそこまで鍋に思い入れはありませんでした。けれど、料理とは、ともするとその場の雰囲気ですら調味料になるものなのかもしれません。よくピクニックなど、外で食べると何倍も美味しく感じられるなどという迷信を聞きますが、それもあながちありえないことではないのかもしれません。人は、心の影響をよくよく受けるものなのでしょうから。

「あーあ、鍋食べたいなあ。ね、千夏ちゃんも食べたいよね。全部取った後の出汁は雑炊にする? それともうどん?」

「ときどきによりますね」

「そうなの? わたしは断然雑炊だな。卵落とすとおいしいよねえ」

 口にしながらにこにこと浮かれ気味に仕事をこなす浅海さんの隣で、私はせっせと果物を陳列していくのでした。


 さてさて、浅海さんは唐突に物事を進めていくことに秀でている人物であります。

 先にありましたお買い物の一件からも、また遊園地の一件からも分かるように、彼女には物事を推し進めることのできる力強さがあるみたいなのです。あるいは私たちが流されやすいだけなのかもしれませんが。

 とにもかくにもそんな私たちと浅見さんでありますので、今回の一軒にしてもそれほど特別なことではなかったのです。

「三人で鍋パーティをしよう」

 ちょうど三人で休憩室に入って小休止をとっていたときに、浅海さんは私と古川くんにそう伝えてきました。

「鍋パーティですか」

「そう。古川くんの家で」

「はあ? なんで俺の家なんだよ」

 古川くんが語気をみょうちくりんにせざるを得なかった心境はよく理解できました。かれこれ、もう九ヶ月以上共に働いているわけなのです。浅海さんの唐突な思いつきには、何度となく驚かされてきたのでした。

 秋を過ぎてから次第に距離を縮めていった私たちは、時たまそれぞれの家に集まって時間を潰すようになっていました。この前は映画を鑑賞して、そのひとつ前はテレビゲームをして楽しんだような気がします。最中、浅海さんはよく笑い、古川くんはよく憤り、そして私はぼうっと成り行きを眺めてはくすりと微笑んでしまうのでした。

 そういえば、古川くんの告白がどうなったのかがまだ不明であります。

「だって歩くんの部屋って大きいじゃない。この前は千夏ちゃんの家にご厄介になったしさ、今度は歩くんの番なんだよ」

「相変わらずめちゃくちゃな理論を振るうんだな、浅海は」

 ぼやきながら頭を掻いた古川くんの姿を、浅海さんはにたにたと眺めていました。

「食材はわたしがどうにかするから」

「当たり前だ。そこまでどうして俺が面倒見なくちゃなんないんだ」

 それもそうだと、浅海さんは声を上げて笑いました。

 近頃思うようになったのですが、浅海さんは結構な野心家でありまして、それも自発的に意識しているようなきらいがあるような気がするのです。つまり、私が抱いていた第一印象は、まるまる全部が演技であったと。今のような場面に遭遇することが増えてきてから、ふつふつと考えてしまうようになってしまいました。

 もちろん、それらは全て妄想です。だって、スーパーでの浅海さんは相変わらず駄目でとんまな浅海さんで、とてもじゃないけれど『野心家』だなんて言葉が似合う人ではなかったのですから。

 でも、片鱗として見えてくるものがある。確かに浅海さんは賢い人なのでした。何事においても、文句なしにうまいのです。人付き合いが顕著な例でした。彼女は、おそらく私のような性格だったのならば、とっくにこのスーパーから姿を消していたはずなのです。にも関わらず、依然としてここにいる事実。才能があるのかもしれませんでした。

「じゃあさ、今度の休みに集まろう。ね。千夏ちゃんもそれでいいよね」

「ええ、構いません」

「ったく、しょうがないな」

 そして、私は浅海さんの魅力に取り付かれてしまっています。おそらく、古川くんも同じなのでしょう。蝶は花の周りに集まるものだし、蛾は街灯に引き寄せられてしまうものなのです。

 それがよいことなのかどうかなどまったく問題ではない。

 本能に従って、習性に従って、私たちは浅海さんの周りを飛び回るのでした。


 結論として、鍋はやはり炬燵に限るものなのだと、私は理解しました。

 週末の古川くんの部屋。四角い炬燵を三人で囲みながら、せっせと鍋を突いていた私は、滞りなく準備されていた炬燵のありがたみをしみじみと味わっていたのでした。

 ほふほふと口に含んだしらたきが舌に熱い。空気を含みながら、湯気を吐き出しながら、ごくりと咽喉に流し込んだしらたきは、たくさんの具材のいい出汁――鱈や帆立、海老などの魚介類から滲み出たエキスと、白菜や人参等の野菜類が生み出す甘味、そして屋台骨としての昆布の深味――を吸っていて、驚くほどにおいしい一品となっていたのでした。

 確かに、鍋はひとつの料理法であります。それも、美的にまで簡素で完成された料理法。浅海さんが熱弁していた理由が分かったような気がしました。

「豆腐、入れようか」

「しいたけとかも入れよう」

 今夜の鍋奉行は二人。なんだか息のあっている大学生さんたちです。

 ふむ。これはもしかすると、もしかするのかもしれません。

 正直なところ、古川くんの勝率は五分に届けばいい方なのかと思っていたのですが、どうやら巧いこと変化球を打ち返したようでした。彼でなかったのならば、単なる速球か、あるいはスローボールになっていたかもしれない一球。ピッチャーは難敵でありましたのでどうなるのかと見物だったのですが、なるほど、そんな結末になっていようとは。

「歩くん、そこ、隙間作れる?」

「了解」

 見ている分にはお似合いのカップルのように見えました。初夏の頃の関係が嘘のようです。これも、浅海さんマジックなのでしょうか。少し驚いてしまいます。

 私は、箸を伸ばし煮えたぎる鍋の中から白菜の一団を救い出そうと試みました。

「あ、駄目だよ」

「まだ火が通ってないぜ」

 けれども、屈強なる二人の奉行様に阻まれてしまいまして、仕方なくすごすごと退散することにしたのでした。

「もうちょっと待ってね。すぐ食べれるようになるから」

 言う浅海さんは、おやおや、少しお姉さんのような風貌が滲み出していて、スーパーでもそういう顔をしていればいいのにと思わずにはいられなかったのでした。

「ふふん、最後は雑炊だあ」

 嬉しそうに浅海さんは口にします。

「は? 何言ってんだよ。うどんに決まってんだろ」

 古川くんが、当然という感じで返事をしました。

「何言ってるの。さっぱり雑炊で締めるべきでしょ」

「いやいや、わけ分かんねえって。さっぱりしたいならうどんだろう」

「雑炊だって」

「うどんだよ」

「雑炊」

「うどん」

 あらあら。ここに来て二人の奉行が対立してしまいました。私としては雑炊だろうがうどんだろうがどちらでも構わないのですが、さすがは奉行様、持っている信念には並々ならぬものがあるようでした。

 その後、私にまで飛び火した雑炊うどん論争を何とか乗り切った私たちは、ぱんぱんに膨らんだお腹に満足しながらずんぐりと炬燵に足を突っ込んで、だらだらとテレビを見続けていたのでした。

 テレビの中では、けたたましく出演者たちが笑い声を上げています。

「そういえば、もうそろそろ今年も終わるのよね」

 言われて見ればそうでした。今日は大晦日。忘れていたわけではありませんが、それほど意識していたわけでもありませんでした。

「あー、今年も終わるのかあ」

 言って、浅海さんはどすんと横になりました。

「終わるのかあ……」

 感慨深そうに繰り返される言葉に、私は少しだけ淋しさを覚えました。終わる。終わる。終わる……。たった三文字が生み出す響きは、ひしひしと私の胸のうちを侵蝕していったのでした。

「富士山行くか」

 ぽつりと口にしたのは古川くんでした。がばりと浅海さんが身体を起こします。

「行く」

「運転は浅海がするんだぜ?」

「どうして?」

「どうしてって、俺は酒飲んじまってるから」

 言いながら、古川くんは空になった缶ビールを振りました。私の前にも、チューハイの缶が並んでいます。ただ一人、浅海さんの周辺にだけ、酒の気配がありませんでした。彼女は下戸だったのです。

「どうする? 嫌ならべつにいいんだけど」

 古川くんは、根本的なところでやっぱり意地悪です。Sっ気があるのかもしれません。うーっと唸りながら悩む浅海さんを見てにやにやしているのですから、よっぽどだと思います。そして、そんな二人を見ながら何一つ口を出さない私もまた、ある程度そちらの傾向を有しているのかもしれません。

「千夏ちゃん。千夏ちゃんはどうしたい?」

 浅海さんは、判断を私に任せることにしたようでした。先ほどまでの、凛とした女性像は影を潜めて、またいつもどおりの拙さが前面に出ています。

 まったく。本当にこの人は。

 思いつつ、ちょっとだけ苦笑を浮かべた私は口を開いたのでした。

「是非とも行きたいですね」


 古川くんは、自らが言いだしっぺだったくせに、誰よりも早く後部座席でいびきを掻き始めていました。

 運転席には浅海さん。私は助手席で窓の外を流れていく街灯の本数を数え続けていました。

 車内には沈黙が降りています。いえ、古川くんのいびきが騒々しいので決して静寂にはなっていなかったのですが、車が走り出してから早半刻ほど、最初に一言二言交わしたあとは、私と浅海さんの間に会話は生まれていませんでした。

 高速度道路を颯爽と飛ばしていくこの軽自動車は、ともすれば上空から見ると一筋の矢に見えるのかもしれません。真っ赤な軽なので闇夜には映えないかもしれませんが、これだけたくさんの街灯が灯っているのです、それなりの軌跡は描けているのではないかなと信じてみたくなりました。

 浅海さんは、オービスには決して捕まらないよう、対向車からの合図などを頼りにとてもうまく運転を続けていました。ちらりと覗き見たスピードメーカーは、平均して百十キロ以上に振れていました。それなりのスピード狂です。いくら高速道路だからと言っても、夜でしかも運転しているのは女性で軽自動車なのです。私は内心びくびくしていた、なんていうことはなくて、僅かに掛かるGの感触を楽しんでいたのでした。

 車は、明らかに富士を目指してはいませんでした。正直、そうだろうと思っていたので驚きもしませんでしたが。何しろ、ご来光だなんだと、三箇日の富士山は人でごった返しているのが普通なのですから。加えて、山に行くにはバスに乗らねばならない。果ては登らなければならない可能性まであったのです。

 そんな体力はもちろんのこと、私たちには端から気力が備わっていないのでした。遠景を見るのも、なんだかんだ言って私たちの住む街からでは遠いので選択肢には入っていなかったのです。

 車は都市部から離れて、徐々に山間部へと進んでいきます。高速を降りた浅海さんは、始めからそこを目指しているかのような道順の選び方で、するするとハンドルを扱っていました。

 そういえば、浅海さんの出身地は山地であるということを聞いていました。ですから、今向かっている場所は、そして今通っているこの地域は、浅海さんの故郷であるのかもしれません。真っ暗で街灯も少ない窓の外には何も見えないわけなのですけれど。

 車はするすると山道を登って、最終的にお情け程度に設けられていたチェーンの脱着場で停まりました。何も言わずに、浅海さんは車外へと出て行きます。続いて私も外に出る。びゅうと吹き付けてきた冬の山風はとても凍てついていて、刃物のような鋭利さを孕んでいました。

 きりりと冷え切った夜空には、満点の星が煌めいていて、浅海さんの口から漏れ出した白い吐息がほうっと儚げに立ち昇っていきました。

「ここから、綺麗な日の出が見れるんだ」

「隠れ家的スポットなわけですか?」

「うん。小さい頃、よく来てたんだ。お父さんに連れられてさ」

 浅海さんは申し訳程度に備え付けられていた木製の手摺にもたれかかりました。

「二人で車の中でじっと待っててさ。どうしてもわたしは眠くて寝ちゃうんだけど、その瞬間の前にお父さんがちゃんと起こしてくれてね、ぱあって広がっていく日の光を、飽きることなく見てた」

 私は重ね合わせた両手に息を吹きかけながら浅海さんの隣に立ちました。

「思い出の場所なんですね」

「そう。三人で来たいなって思ってて」

「いつも思うんですけど、どうして三人なんですか?」

 兼ねてからの、いえ、浅海さんと古川くんとの関係が良好になってきてから抱き続けていた疑問を唐突にぶつけてみました。遠くにある街灯に薄っすらと照らし出された浅海さんの両目はぱちくりと開閉し、それからやんわりと柔らかくなって再び空を見上げてしまいました。

「どうしてなんだろうねえ。わたしにもよくわかんないや」

 いやいや、それでは古川くんが可哀想ではありませんか。ちゃんとした理由を、それなりな理由を持っててあげなければ、彼は惨めになってしまいます。

 そのようなことを口にすると、浅海さんはふふふと綻びました。

「なんですか。どうして笑うんです」

「千夏ちゃんはやさしいなって思って。わたしとは全然違うから」

 言うと、浅海さんはものすごく遠い目をしました。今まで一度も見たことないような、悲しい眼差しでした。

 浅海さんは、浅海さんは一体いま何を思っているのでしょうか。私には分からない。

「千夏ちゃんって、大学には行きたくないの?」

「……なんですか、急に」

「ううん。なんでもないけど。ちょっと思っただけ。……バイトだけをやるよりも何か新しいことをした方がいいんじゃないかなって思ってさ」

 言い難そうに口にして、浅海さんはそっぽを向きました。

 前進。及び、前進と考えられるようなもの。

 今の私には何ができるのでしょうか。そして、どうして浅海さんはそんなことを口にしなければならなかったのでしょうか。

 やっぱり私にはよく分かりません。

「わたしね、もう就職先が決まってるんだ」

 前を向いたまま浅海さんは口にしました。

「そうなんですか」

「うん。だから、春にはもうバイトを辞めなくちゃなんない。居心地がよかったんだけどね」

「おめでとうございます」

「ありがとう」

「地元なんですか?」

「……東京のほう。ちょっと遠くなっちゃう」

「そうですか」

 ぼうっと前を向いたまま、私は星の数を数えようと思いました。一つ二つ三つ四つ。もしかしたら、今現在は存在していないのかもしれない星も含めながら、どんどん数を数えていって、やがてどこから数え始めたのかが分からなくなって、やっぱりとてつもない量の天体が浮かんでいるんだな、などと考えていたのです。

 途中から浅海さんは、隣からぎゅっと私の頭を抱き締めてくれました。コートは外気に触れすぎて冷たく感じられて。

「まだ時間が掛かるから車の中で待とうか」

 提案に、私は頷いて返事をしましたが、しばらくの間は動き出す気力がありませんでした。

 私たちはやっぱり端から気力が足りていなかったのです。

 浅海さんと並んで、真っ黒な星空をいつまでの眺めていたのでした。

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