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ゆめらく  作者: マグロ頭
5/7

晩秋

 紅葉もすっかり色付き終わり、ちらりはらりと風に舞い始めていたある日、私の携帯はぶぶぶと振動したのでした。

 その日――平日だったのですが、ちょうどバイトの予定がなかった私はぶらりぶらちと公園に散歩にきていました。一通り歩き終わって、水鳥が遊ぶ水面を望む木陰のベンチに腰かけていたところに、メールは強襲を仕掛けてきたのでした。

 しかしながら私は止まったバイブレーションを無視して、しばらくの間風景を眺めていました。大型犬を散歩させている人やジョギングをしている人、絵を描いている人もいれば、バイクに跨って颯爽と駆け抜けていく人もいました。

 そりゃあ確かに人の数は少ない。けれども、それでもこれだけ多種多様な時間の過ごし方があると思うと、また人生があるのだと思うと、妙に感慨深くなってしまうわけなのです。

 そして、そんな人々の頭数の中に私も含まれている。

 事実は少し奇妙で、とてもしっくりと受け入れられたのでした。私はこの場所に居てもいいんだと。理由など問われる必要もなく認められている安心感がありました。

 けれども、一方で微かな物足りなさを予兆とし感じ始めてもいました。

 いろいろあった中学校を卒業後、人付き合いに嫌気がさしていた私は高校への進学を自ら蹴った。しばらくはひきこもりのような生活を続けて、それから一年近くバイト三昧の日々だったのです。

 バイトをするようになったのは、両親と、何よりも弟の存在が大きかったように思います。彼らはとても優しかった。優しすぎたといっても過言ではないでしょう。腫れ物に触れるようなものだったと記憶しています。そして、そんな幾重にも包装された思いやりの真綿に絞め殺されそうになった私は、私自身のために、そして家族のためにも、早いこと自立しなければならないと自覚したのです。

 ポケットから携帯を取り出して、届いていたメールに目を通しました。送信先は、やっぱりというか、またかというか、予想通り浅海さんからでした。

『件名 今度の週末』

 一緒に買い物に向かった一件からというもの、浅海さんはよくよく私にメールを送ってくるようになりました。さすがに毎日届くようなことはありませんでしたが、それでも一週間に三日から五日、どうでもいいような会話や日常のエピソードを交換するようになっていたのです。

 近頃は、あの初秋の一件がアドレスを聞きだすための口実だったのではないかと疑ってしまうくらいでした。私のようなぶっきらぼうな人間にまでせっせとメールを寄こしてくるとは、いやはや、浅海さんはかなりの淋しがり屋なのかもしれません。よもや、私以外にメールを送る人がいないわけでもあるまいに。

 詮無いことを考えながらも、私は週末に浅海さんと遊びに出ることを約束したのでした。彼女と一緒に時間を過ごすことは、それほど嫌なことではなくなっていたのです。むしろ楽しみ始めている自分がいることに気がついていました。お得意の人柄に根っこから侵されてしまったのかもしれません。考えてみると少し空恐ろしくあります。私は浅海さんに毒され始めている。

 ちょっとだけ可笑しくなって空を眺めました。透明な空気は上空で像を結んで青く色付いているみたいでした。もちろん、だから空が青いわけではないのでしょうが、最近の私にはしっくり来る理由のように思えたのでした。

 塵も積もれば山となるのですから。

 透明なフィルムだって、何枚も重ねれば曇って見えるのです。似たようなものだと、私は先日公園で見たのと同じく、透き通って伸びやかに広がっていた空を見て思い至ったわけなのです。

 しかしながら、日曜日の街というのは、いやいやどうしてこんなにも人通りが激しいのでしょうか。あまり人ごみが好きではない私は、荒波に溺れてしまいそうです。人の気配が口許まで迫ってきていて、呼吸が苦しくなる。

 早く来て欲しいと、まだ集合場所に来ない浅海さんのことを思いました。群衆の中で取り残されるのは、とてもとても心細いことなのです。

「千夏ちゃーん」

 声は背後から訪れました。びくりと、刹那に緊張した身体は、けれども即座に相手が誰かを認識して弛緩してくれました。

 自分でも、滑稽だと思ってしまうくらいに素早く振り返りました。まるで主人の帰りを待つ飼い犬みたいに。でも、それくらい嬉しかったのは確かだったのです。その瞬間までは。

「遅れてごめんね」

「いえ……」

 そんなことはべつに問題ではありませんでした。問題は、浅海さんの隣に、やっぱり古川くんがいたことでした。

 一体、彼の中でどんな変化があったのかは知りません。知りませんが、古川くんはこの頃密に、浅海さんとの距離を縮めつつあったのでした。きっかけは初秋の一件なのでしょうか。それとも、もっと前から意識していたのでしょうか。私には分かりません。

 事前に交換していたメールによれば、浅海さんと古川くんは同じ大学に通っているということでした。ですので、二人の接点がスーパーだけにしかなかったという方が不自然なのかもしれません。

 ただ、そのことが私には少しもどかしい。何も浅海さんを独占したいだなんて、幼稚なことを言うわけではありません。そう趣味はないですし、束縛するかのような付き合いには、まだ興味が持てないのです。

 では、何がもどかしいのか。それは、今日みたいに、浅海さんと古川くんと一緒に行動を共にしなければならないということにありました。だって、仮にも近づきつつある二人なのです。何が好きで、ひとりずかずかと穏やかな関係に立ち入らなければならないのでしょうか。

 正直ごめんなのです。居心地が悪いから。私の居場所などないと言われているように感じてしまうのです。

 けれども、そんなことをいつかのメールで伝えると、浅海さんはだからこそ私にいて欲しいのだと返事を寄こしたのでした。 曰く、古川くんはまだ怖いのだと。

 告白は、はっきり言って古川くんには気の毒ではありましたが、分からなくはないものでした。あれだけ叱っていた人なのです。現状でも、回数は減ったとは言え、時折古川くんに注意を受けている浅海さんの姿を見ることがありのです。

 そんな相手が近づいてきたからといって、おいそれと気を緩めることができない。怖いから。だから、千夏ちゃんも一緒に来て。

 つまりはそう言うことなのです。浅海さんは、やっぱり浅海さんで、ぜんぜん大学生らしくないのでした。大学生らしくない、というのも最早見当違いかもしれません。要は、私から見て、まったく年上らしくない人なのでした。

 ため息が出てしまいます。

「あれ、もう疲れちゃったの? そんなに待たせちゃったかな」

 そう、浅海さんは済まなそうに言うのです。

「違います。ちょっと人の多さに」

「佐野原さんは、何となくそう言う感じだよね」

 古川くんが、朗らかに微笑みながらそう言いました。随分と表情が緩やかになったように思います。当初の、それこそ鬼のように浅海さんを注意していた頃と比べると、仏のようにすら思える表情を浮かべて、古川くんは私のことを見ていたのでした。

 うるせぇ、この馬鹿野郎が。

 しかしながら性悪な私はそう思ってしまう。もちろん口には出しませんが。

 一時期よりも関係は間然したとは言え、私は未だに古川くんへの敵意を拭えずにいるのです。てめえが下手に出たって、こっちは応えねえからな。ときどき自分でもヘビのように引き摺るものだなあと感心してしまう私の内情でありました。

「さあて、じゃあ早速向かおうか。混むと嫌だもんね」

 言いながら颯爽と先陣を切った浅海さんの背中を追いながらだと、今更混んでいないなんてことはありえないなどとは言い出せませんでした。私と同じくその事実に気がついている古川くんも気の毒そうに苦笑を浮かべて、それでも力強い足取りで浅海さんの隣にすぐに追いついたのでした。


 意外にも、浅海さんは絶叫系のアトラクションが大好きで、古川くんはとことん苦手なようでした。

 一番可笑しかったのがジェットコースターでしょうか。隣で万歳をして心から楽しんでいた浅海さんの隣で、古川くんはぎゅっと手摺を掴んで縮こまっていたのでした。

 そして、私はそんな二人の後姿を眺めながら、やっぱり自分の居場所がないように感じてしまうのでした。

 なんだかなあ、って感じです。だって、二人ともすっごく自然に接していられるようなのですから。私がいなくても一緒。それどころか、いない方が気を使わなくていい分楽しめるのではないかと思えてしまうのです。

 来なければよかったのかなと、後悔にも似た感情を抱きながら売店で買ったソフトクリームを舐めていました。備え付けの白いプラスティックのテーブル。隣にはグロテスクにやつれた古川くんの姿があります。

「食べないと溶けちゃいますよ」

「ああ……」

 答えつつも、なんら行動に移せないでいる古川くんは、もしかすると結構一途で可愛げのある男の人なのかもしれないなと、私はしみじみ思ってしまいました。もちろん、だからといって気を許すつもりはさらさらありませんが。

 街に出ると俄然人が変わる浅海さんは、古川くんとは対称的に元気一杯で、今はひとりで売店めぐりをしています。そのバイタリティは、少し見習いたくなってしまうほど。古川くんほどではないにしろ、アトラクションを乗り継ぎ、せっせせっせと移動をし、次から次へと叫び声を挙げる浅海さんについていくことは、それだけでなかなか大変なことだったのです。

 巨峰味のソフトクリームは、少しシャーベットのような舌触りがあって、ちょうどバニラとのミックスで頼んでいたので、二つの食感が混ざり合い溶け合ってとてもおいしく感じられました。

「なんでここに佐野原さんがいるんだろうなあ」

 唐突に、古川くんは腹立たしいこと呟いてくれやがりました。

「そんなの知りませんよ。今回だって浅海さんに呼ばれたんですから」

 彼女はまだあなたのことを信頼し切れていないんですよ。

「どうして三島さんは佐野原さんを呼ぶんだろうなあ」

「自分で考えたらどうですか。私に言うようなことではないでしょうに」

 答えると、古川くんは私の方を見てにかっと微笑んだのでした。

「そうだよな。すまん」

 謝ったところで許してやりません。私は、私が自分の尺度で許せるようになるまで、絶対に古川くんとの距離を離しておくつもりなのですから。そして、いまの笑顔でその決意を新たにしたのですから。思って、ばくりとソフトクリームに噛み付いた後でした。

「三島さんはさ、俺と同じ大学に通ってたんだよね」

 古川くんの自語りが始まりました。

「俺さ、そのこと知らなくてさ。スーパーで会うだけの生活してて、イライラして、佐野原さんに一喝されちゃって、その直後に大学にいる三島さんを見つけたんだよ」

 長いのかな。ちらりと上目遣いで見た古川くんは、もちろん私の視線になど気がつかずに先を進めました。

「驚いたなあ。だってぜんぜん印象が違うんだから。彼女、あれでも結構秀才でさ、ゼミでも評判がよかったんだよ」

 嘘だと思いました。浅海さんに限ってそんなことなどないと思ったのです。けれど、古川くんの眼差しに偽りが生む濁りは見受けられませんでした。

「ギャップにやられたって言うとちゃちいけどさ、その瞬間に一目惚れみたいになっちゃって、それで俺、彼女との距離を縮めようと思って……なだけど、どうしてかな。あとちょっとがすごく遠い」

 古川くんは黙りました。私もしばらくは黙っていました。陽気なBGMが周囲に響いています。私はばくばくとソフトクリームを食べ終わりました。それから、もう一度古川くんに直ります。

「重ねて言いますけど、そんなこと私に話してどうするんですか」

「いや、どうしようって言うわけでもないんだが、なんだろう、佐野原さんには話しておいてもいいかなって思って」

 それだけ言うと、はにかんだ古川くんは急いで溶け始めていたソフトクリームを食べ始めました。

 個人的な感想を言わせてもらえるのならば、なんじゃそりゃって感じです。本当に私にどうしろと言うのでしょうか。恋のキューピッドにでもなれというのでしょうか。そんな役回りは真っ平ごめんなんですけど。

 何が好きで他人の幸せの都合をつけなければならないのでしょうか。馬鹿馬鹿しい。仮にも古川くんは男子なのです。もうちょっとしゃきっとしたらいいのに。あとちょっとが遠いなら、大きく力の限り踏み出してみればいいのです。それすらしないで私に愚痴のような真似をして。

「告白したらいいじゃないですか」

 好きだって言ってみたらいいのです。結果、失敗に終わろうがどうなろうが知ったことではありません。

 一言に、古川くんは驚いたような表情を浮かべていました。その眼差しが、どうしても腹に立つ。

「どうせしてないんでしょう? あなたはそう言うことが苦手ですからね」

「そんな。勝手に決め付けるなよ」

「じゃあどうなんです。したんですか」

 訊ねると、古川くんはぐぐっと口を噤みました。やっぱりです。呆れてため息がこぼれそうでした。

「大学でのあなたと浅海さんとの付き合いがどんなものなのか、他にもプライベートなところでどんな交流をしているのかは知りませんけど、あなたの頭からは真っ先に考えるべきことがすっかり抜け落ちてしまっている」

「真っ先に考えるべきこと」

「そうです。思い出してもみてくださいよ。当初、あなたは浅海さんにどんな風に関わっていましたか」

 できる奴古川くんは、それだけ合点がいったのか、あっ、と短く声を漏らして、しかしすぐに持ち直すと、それでもと私に食って掛かってきました。

「それでも俺は、最近はそう言うことしてないぞ。したとしても、力を抜いてる」

「最近はどうとかそう言う問題じゃないんですよ。浅海さんの中で、あなたは依然として怖い存在なんです。分からないんですか?」

 言うと、今度こそ古川くんは押し黙ってしまいました。ちょっと勝ったような気分になって気分がよくなりました。

「焦らずに過去を振り返って、大胆に飛び込むんです。そうすればどうにかなりますよ」

 本当のところは知りません。興味なんてほとんどなかったから。

 でも、古川くんになら分かるはずでした。だって、言葉は過去の私に向けられたものでもあったのですから。

 思考はあの頃に、周囲との関係がぎくしゃくし始めていた中学二年生の秋の頃に微かにリンクしていました。あの日々、私はまだ事態を収束させるだけのツールを持ち合わせていた。

 使えなかったのは私が臆病だったから。用途が分からなかったのは、私が強情だったから。

 その結果が現状なのです。

「おーい、こんな大きなぬいぐるみ買っちゃった」

 言いながら、両手でネズミのぬいぐるみを抱きかかえながら浅海さんは私たちの許へと近づいてきました。

 季節はゆっくりと、それでも確実に冬へと移り始めていて、ちょうど吹きつけた秋の風の中に、すんと微かにモノクロの匂いを嗅いだような気がしたのでした。


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