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ゆめらく  作者: マグロ頭
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 浅海さんはとても腹立たしい人でした。

 まず、見るからにか弱い風貌が腹に立ちましたし、何となしにやっている上目遣いや手の弄くりなど、どうやら無自覚であるらしい可愛さアピールがいちいち鼻についたのです。具体的に害を受けたわけではありませんでしたが、それでも精神的にどうしても不快なものがあったのでした。

 ですので私は先輩風に吹かれるのをいいことに、意地悪をしてやることにしたわけなのです。

 バイトで入っているスーパーの野菜売り場。最近の若い人の例に漏れず、浅海さんは野菜の名前と外見とが一致しませんでした。特にひどかったのが青菜類です。スーパーでの仕事は初めてだということでしたから間違えるのは当たり前だったのかもしれないのですが、私は浅海さんが失敗するたびに執拗に小言を繰り返すようにしたのでした。

 野菜の名前を聞いてくる度に、「この程度のことも分からないなんて」と毒を吐き、「もっと綺麗に積まないと駄目ですよ」とそれほど悪くもない陳列に駄目出しをし、ひどいときにはわざと間違った名前を口にして野菜を手渡し、客からの苦情を通して店長に叱ってもらうよう仕向けたこともありました。

 思い出すと、少し居心地が悪くなる過去であります。その頃の私は、ちょっとおかしかった。毎日のように苛々していたのも原因としてあったのでしょう。少し前まで私は、この社会のことを、思い通りにいかない私自身のことをどろどろと呪っていたのですから。

 しかしながら、だからと言って浅海さんにはまったく非がなかったのかというとそうではなかったように思います。確かに私が行った意地悪は褒められたものではありませんでした。程度の低い、恰好悪いことではあったわけです。けれども、それでも知識があればいくらでも回避のしようがあったのです。野菜の名前を知っていれば、冗談はやめてと笑い飛ばすこともできたでしょうに。

 知らない方が悪いのです。世の中、無知でいることはどんな理由があろうとも表面上は悪であるとみなされてしまうのです。加えて浅海さんは、病的なまでに物覚えが苦手でした。

 当初、浅海さんはレジ打ちのバイトを担っていました。一番動かなくてもいいし、柔和な笑みを浮かべることのできる浅海さんでしたので、誰の目から見ても適正はあるように見えました。

 けれども、それこそが最大最悪の誤算だったのです。浅海さんの物覚えの悪さはここ一番というときにこそピカリンと輝いたのでした。どうやって今日まで生活ができたのだろうと訝しんでしまいそうな記憶力に、現場が早々に悲鳴を上げてしまいました。

 一向にレジの清算方法が覚えられなかった浅海さん。仕事は遅々として進まず、買い物にいらした婦人たちの行列は連なるばかりでした。ふくよかな身体を苛立たしげに震わせる。それでも尚、浅海さんは懸命に対処しようとしていました。そしてそれ故に、逆に周囲に迷惑をかけるようになってしまっていた。

 お店の人たちは熱心に浅海さんを教育しました。一目見てレジが操作できるよう、特性のマニュアルまで製作したのです。でも、それでも駄目だった。育たなかったのです。浅海さんは、懸命になればなるほど冷静に物事を処理できない人でもあったのです。マニュアルに従わなければならないとテンぱるあまりに、返って仕事は混乱し遅れていったのでした。

 そんなわけで、早々にお荷物であるとの烙印を押されてしまった浅海さんは、どんなときでも寒い青果コーナーへと回されてきてしまったのでした。つまりは私が主に働いている部署だったわけです。

 さてさて、私は効率の悪い人が嫌いです。そして、その悪さを女らしさでひた隠そうとする人が大嫌いです。浅海さんはそんな醜悪な考えを巡らせていたわけではなかったみたいでしたが、そのせいで余計に腹が立つようになってしまったのです。つくづく運のない人なのです。

 無自覚な悪癖ほど人を不快にさせるものはないように思うのは私だけなのでしょうか。

 要は、無邪気な子供の悪戯なら許せるけれども、無邪気な大人の悪戯なんぞは見たが最後、思いっきり横っ面から張り倒したくなるような心理を抱いてしまうのと同じ原理であるわけなのです。だって、大人なのだから。物事には成長と伴ってできなければならないレベルというものが準備されていると思うのです。人は、それを踏破していかなくてはならないのです。

 圧雪の如く降り積もり固められた苛立ちは結集して、やがて意地悪となって顕在してしまいました。言い訳のように響きますが、まさしくそうだったのです。仕方がなかった。まあ、今は後悔しています。あんなこと、やらないに越したことはなかったのです。その証拠に、私はもう意図して意地悪をするようなことはやめました。行いが恥ずかしくなったのもありましたが、もうひとつ大きな理由として飽きが挙げられるのではないかと、私は脳内コンピュータを弾いて分析してみるわけなのです。

 浅海さんはド天然な上に、先にも述べたように、基本的に努力家で一生懸命でした。それはそれは、傍から見ていれば輝かしいほどに純真な姿だったのです。紛うことなく甲斐甲斐しく働く女の子といった感じ。健全ではつらつとしていて、だからこそクビにならなかったのでしょうが、いるだけで周囲の雰囲気を明るくしてくれそうな存在だったわけです。

 加えて、鈍感なのか神経が図太いのか、繰り返される私の悪意にまるで気がつかなかった。気がついて、なにくそと歯向かってきてくれたのならばまだ続けようもあったのですが、なにぶんそれすらなかったので続けるだけのやりがいがなかったのです。

 だから私は意地悪をやめました。むしろ、止めざるを得なかったのかもしれませんが。

 ただ、その代わりといっては難なんですが、近頃ため息を吐く回数がめっきり増えたような気がするのです。

「千夏先輩、どうしたのー?」

 そう爛漫に声をかけてきてくれる浅海さんは今もバイトを続けていて、従順に私のことを師事してくれています。その姿を、まるで妹みたいだと同じ職場のパートのおばさんたちは囃し立ていて、そのたびに浅海さんは恥ずかしそうに頭を掻くのですが、反面私としてはとてもとてもとても、居心地が悪くなるわけなのです。

 だって、私と浅海さんはそれなりに歳が離れているのですから。浅海さんは大学生なのだそうですが、私はまだ高校二年生であるわけなのです。いえ、より厳密にするのならば、高校二年生であるはずだったとするべきでしょうか。にも関わらず、どういうわけか周囲から見ると私が姉であるようなのです。

 一体どうして。納得がいきません。

 確かに浅海さんは童顔で、仕草も仕事ぶりも全然なっていなくて、正真正銘の駄目駄目な人ではありますが、でも、だからと言って私が姉というのには本当に得心がいきません。だって、私だって一応は女の子なのです。そりゃあ化粧にはあまり興味は湧かないし、洋服なども着られればそれでいいかなと、さほど重要には思っていませんが、それでも五歳くらいは歳が離れている。正直、面白いことではありません。だって、年上に見られているって事なのですから。

「千夏先輩、チンゲンサイってここで良かったんだよね」

 そう、浅海さんは小松菜を持ちながら訊いてきます。どうすれば見違えることができるのか、私には理解ができません。

「だから違うって言ってるじゃないですか。それは青梗菜じゃなくて小松菜。そして小松菜はこっち」

「あ、そうか。ごめんなさい」

 言って、浅海さんはにへりと笑うのです。

 その笑顔は、確かに可愛らしい。本当に柔和な、人に嫌な感じを与えない魔性を有している。女の私でも魅力的だなと思います。でも、それと同じくらい腹立たしい。どうしてそんな笑顔を見せることができるのか分からなくて、苛立ってしまうのです。だって、過ちを犯しているのですよ。反省の色が伺えないことが、私には我慢ならないのです。

 しかしながら、だからと言ってぐちぐち言い募っても浅海さんにはほとんど効果がありません。ド天然な上に相手の機微には門外漢ときているわけなのです。いやいやどうしてまっすぐには伝わらないのです。というか、抱いた想いがちゃんと伝播しているのかすら怪しい。

 浅海さんと言う人は、結局そう言う人であるわけなのです。頭のネジが緩んでいるのか、十数本外れているのか、それとも根本的に私とは脳の構造が異なる人であるみたいなのです。もしくは、精神構築に甚だかけ離れた部分があるのかもしれません。異星人の可能性も捨てきれないような気がしないでもないように思います。

 本当に、私と浅海さんは相容れない存在でしかありません。水と油ならまだ可愛い方です。炎と水だって、まだまだ考えられる。私と浅海さんとが相容れるということは、昼と夜が一緒に現れるくらいにありえないことなのです。それは大海の海溝ほどに深い悲しみに似て確かなことなのでした。

 そうであるわけですから、半分にカットされたキャベツを積みながら、私の口からはわけもなく自然とため息がこぼれてしまうのです。さてさて、一体今日何度目のため息なのかはすでに分からなくなっています。そもそもにおいて数えることが馬鹿馬鹿しいのですが、それでもこう数が多くなると気になってくるのです。私は浅海さんと仕事を一緒にし始めてから不必要に疲れているような気がします。

「えっと、ホウレンソウはここで……」

「だから、それが青梗菜。どうして間違えるんですか」

「へへっ。ごめんなさい」

 言いながら、私たちは開店に備えていくのです。


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