2.『移りゆく時代』
「――お願いだ。僕ともう一度やり直してくれないか」
「お断りいたします。私にも、真実の愛が見つかりましたので。貴方のおかげですよ」
呆然とする男に、席を立つ女。
ひと月ほど前に見た光景とは、立場が入れ替わったかたちだ。
「……やっぱり私の見立て通り、女性の方が主役だったのね」
運ばれてくる料理を口にしながら、そんな野次馬根性を決め込んでいる私。
自慢じゃないが、一目見ただけでその人が『どっち側』なのかを、大体当てることができる。
思い返せば、あの女性は最初から『向こう側』の人間そのものだった。
私なんかでは到底似合わないようなドレスに身を包み、耳を優しく撫でるように安らかな声で話し、一本芯の通った心を持っている。
私とはまるで正反対の、まさしく『ヒロイン』の造形だ。
彼女はきっと、これから言い表せないほど幸せになっていくことだろう。
それに比べて私は――、
「おひとりですか? 座っても?」
キラキラと輝くその女性を眺めていると、聞き覚えのない声が割り込んできた。
その声の主は、私の返答を待つことなく向かいの席に腰掛けようとしている。
「……そういうお店じゃないと思うんですけど」
「はは、たしかに。私としたことが、酒場と勘違いしてしまいました。あそこは相席が当たり前ですから」
「口説くなら、他の女性をどうぞ。私はやめておいた方がいいですよ」
なんせ、結ばれることなどないのだから。
私に限った話じゃない。『こっち側』の人間は、『あっち側』の人間を引き立たせるために使うだけ使われて、最終的には御役御免で捨てられるのだ。
そういう人間が幸せになったケースなど、ひとつも聞いたことがない。
見れば、目の前の男は若いながらも中々身なりがいい。
それなりの家に生まれ、将来が約束されている『向こう側』の人間だ。
無論、出自だけで全てが決まるわけじゃないことは、他ならぬ私が証明してしまっているが――それにしたって、私とはオーラが違う。だからこそ、私はやめておいた方がいい。
「ふむ……失礼ですが、自罰の癖が?」
「まさか。私が上手くいかないのは、全て世の中のせいだと思ってますよ」
「不思議な方だ。あぁ、申し遅れました。私はロルフ・ヒルパート。貴女の瞳が気になりまして」
「はぁ。そうですか」
ヒルパート。聞き覚えがある。
たしか伯爵家だったと記憶しているが、私が貴族だったのも今となっては遠い話だし、もはや興味もない。
そんなふうに思っていると、なにやらチラチラとこちらを窺う視線に気がついた。
「なんでしょう」
「……お名前を伺っても?」
「あぁ、ディアナです」
どうやら名前を聞きたかったらしい。
それならそうと言えばいいのに――なんて思ったが、そういえばこういう回りくどい生き物なのだ、貴族というのは。
「可憐なお名前だ。その透き通るような赤い髪によく似合っていて、貴女に相応しいですね」
「……可憐? 私が? 受診をおすすめしますよ」
「これは手厳しい。貴女は、自己評価が高いのか低いのか、推し量りかねますね。謎の多い女性は、魅力的です」
自己評価なんて、低いに決まってる。
そりゃ私だって、自信に満ち溢れていた時もあった。
なんでもできる、何にでもなれる。本気で望めば、一番欲しい居場所も手に入れることができる。
そう本気で思っていた時もあった。
だけどあの時、理解したのだ。
――私は、どうしようもなく歯車でしかないのだと。
「……あの。いきなりそんなグイグイこられても困ります。それに、貴族の方がこんなところで平民を口説いていていいんですか? いまに問題に……」
「問題ありません。今はもう、恋愛結婚の時代です。相手の家柄だけを見て伴侶を決めるような、そんな排他的で前時代的な風習は終わったのですよ」
「――――」
「もっとも、貴族の中にはまだ抵抗のある者もおります。しかし、改革から早3年……少しずつではありますが、根付き始めています。10年もしないうちに一般的になるでしょう」
関係ない。
もはや、そんなことは関係ない。
ただひとつ言えることは、時代が変わりつつある。
それだけだ。