007 謁見
祭りの翌日。
あれだけ魔界を包み込んでいた熱気は消え去り、いつも通りの日常が帰ってきた。カラフルに彩られた通りを懐かしく思いながら、アリソンは廊下の窓から黒い街並みを眺める。
いつもならラズと剣の稽古に勤しんでいる午前。今日はエリザベスの要望で、午前と午後の予定が入れ替わっている。約束の場所は合っているはずなのだが、エリザベスの姿はなかなか見えない。
幸いなことにアリソンは待つのが嫌いではなかったので、通りを眺めながらぼうっと栓のないことを考えていると、ようやく水滴の零れる音と共にエリザベスがやってくる。
「お待たせしましたわね、アリソン」
「⋯⋯あっ、ベティさん。おはようございます」
「あら、素敵なブローチですわね。目の色とも似合っていて、悪くないセンスですわよ」
「あ、ありがとうございます。ラズさんにもらったんです」
一拍遅れて彼女の存在に気がついたアリソンが軽く会釈をすると、胸元のブローチに目を留めてエリザベスはそんなことを言う。そういえば昨日、ラズにも目の色と似合うと言われたな、とアリソンはお礼を言いながら思い出す。
灰色と赤って、そんなに相性が良いのだろうか。
内心で首を傾げたアリソンの顔を、ふいにエリザベスが覗き込んでくる。びっくりして固まったアリソンの顔をじっと三秒ほど見て、彼女は小さくため息をついた。
「貴女、ひどい顔してますわよ」
「えっ」
「そんなに祭りは退屈でしたの? 二人連れの楽しそうなお嬢さんがいたと話題でしたのに」
「わ、話題? えっと、退屈なんてことなかったですよ? 村以外のお祭りは初めてで新鮮だったし、それに美味しかったです」
「そうですの? でもアリソン、目の下のクマは素敵な化粧とは言えませんわよ?」
つい、と自然な手つきでエリザベスの手袋に覆われた指がアリソンの目の下に触れた。きょとんとした顔でそれを無防備に受けたアリソンは「そうですか?」と首を傾げる。
「えーと、ちょっとあんまり良く眠れなくて。でも、大丈夫なので」
アリソンがそう言うと、エリザベスはそれ以上追求することなく、「ならいいんですけれど」とだけ呟くと、興味を失くしたように手を引っ込めた。
「さて、今日は貴女にあるお方を紹介しようと思いますの。少し遠出しますけれど、しっかり着いてきてくださいませね」
「は、はい」
「フフッ、緊張しなくても貴女を置いてけぼりにはしませんからご心配なく。まあ、かと言って、どこかの誰かさんのように『お手手繋いで』歩く気もありませんけれどね」
昨日の祭りの日のことを言っているのだろう。逸れないように、しっかりと自分の手を握り、祭りが終わる最後まで離すのことのなかったラズのその過保護さに、くすぐったい気持ちが蘇る。
──いけない、これから人と会うのにこんな顔をしてたらダメだ。
気を引き締めようと心に決め、エリザベスの後に続いて歩き出して数歩。
「あれ、どうしてエリザベスさんがそれを知ってるんですか? お祭りには来てなかったですよね?」
「なんだ、今更気づきましたの? でも残念、時間切れですわ。答えが知りたいのなら、次はもっと早く気付くんですわね」
「うっ⋯⋯」
「それより、これから会うのは魔界で最も偉大なお方ですの。寛大なお方ではありますけれど、失礼のないように心がけてくださいませね」
「偉大、って⋯⋯王様、とかですか?」
と、アリソンは冗談のつもりで言ったのだが。
「ええ。この魔界を治める、蛮勇にして思慮深い、我ら魔人の長ですわ」
エリザベスは、いつになく真剣な目をしてそれを肯定したのだった。
◇◆◇
昨日は祭りの会場として飾られていた通り道も、今はがらんどうで寂しげだ。エリザベスの半歩後ろを小走りで追いかけながら、昨日とは全く雰囲気の違う通りをアリソンは進んで行く。
エリザベスはこれから自分を、魔人の長と引き合わせるのだと言う。一体どんな用事で、どんな人と会うことになるのだろう。あれから一言も喋らないエリザベスには何となく声をかけがたく、アリソンは時折ぼうっとしながらも、迷子にならないようしっかりとエリザベスの背中を見て地面を蹴る。
広い通りから、小さな獣道のような裏道へ。曲がりくねったその先を抜けると、魔界の外れなのだろう、建物も人気もない真っ黒な草原へ出る。
「あそこが目的地ですわよ」
館を出てから初めて喋ったエリザベスは、遠くの方にある洞窟を指して言った。
「あの、これから会うのって魔界の長なんですよね? どうしてこんな、えっと、広くて何もないところに?」
「⋯⋯もしかして、辺鄙なところと言いたいんですの? そうですわねえ、あの方は静かなところが好きですし、それに⋯⋯」
「それに?」
「⋯⋯まあ、見ればわかりますわよ」
言葉を濁したエリザベスは、再び黙り込むとさっさと洞窟の中へ松明もランプも持たないまま入って行ってしまう。慌てて追いかけながら暗そうな入り口へ踏み入れると、どうして彼女が何も持たないで来たのか、アリソンにも分かった。
洞窟内は、明るかったのだ。
翡翠色の不思議な鉱石で中身が埋め尽くされた洞窟は、しんとしているのに時々風の音がして、その音がまるで木々のざわめきのようにも聞こえるから、森の中にいるように錯覚してしまう。
「この石灰洞は、まるで森のようにも見えることでしょう。古くは翡翠の森と呼ばれていたんですのよ」
「へえー⋯⋯よくわからないですけど、綺麗ですね」
セッカイドウなるものが何なのか分からないまま、アリソンはキラキラした石の森を見あげて眩しさに目を細める。エリザベスも特に説明する気はないようで、「そうでしょう」となぜか得意げに微笑むと、また黙り込んでしまう。
下手に口を開いては、静謐な雰囲気を壊してしまいそうだからだろうか。
躓かないよう気をつけながら、ひたすらに石灰洞の中を進んでいくうちに、徐々に岩が岩が木の形になっていく。天井は岩ではなく、びっしりと張り巡らされた翡翠の木の葉に、壁は木の幹に、そして地面はその根に。幻想的な森に、思わず感嘆の息がアリソンの口から溢れた。
やがて完全に森へと転じた最深部、その更に奥深くの隠された区画は足を踏み入れれば踏み入れるほどに、木々が曲がりくねっていく。天井の中心に魔界らしい真っ黒な空が少し、また少しと現れ始め、最後は見事な真円を描き出す。
「さあ、ここですわ」
開けた翡翠の森の中、正真正銘の本物の老木がそこにあった。
アリソンの身長よりも長そうな幅の、太いけれど、今にも枯れて朽ちてしまいそうな巨木。
葉がやけに毒々しい色をしていることや、根が太く、長く地面に絡み付いていること以外は、人間界の植物と何ら変わりないようにも見えた。
──が。
「『長』、客人をお連れしましたわ」
エリザベスの澄んだ声を合図とするように、地面に張られた根がメキメキと音を立てて蠢いた。
思わず「ひっ」と悲鳴を上げ、身を竦めた拍子につんのめったアリソンをエリザベスの手が支える。お礼を言おうと思ってもまるで張り付けられたように、口がうまく開かない。
風に揺れる木の枝の音が、まるで大勢の人がどよめいているように聞こえる。音を鳴らしながら木の根を動かしていた老木が、ぴたりと止まる。表面の割れ目だと思っていた部分が大きく裂け、目と口の形となり、その双眸の中心に赤い光が灯る。
そして老木は、しわがれた老人の声で言った。
『ようこそ、我らが同胞の死をもって業火を継承せし少女よ。魔人の長として、汝の存在を歓迎しよう』
──木が、喋った。
その声を聞いた瞬間、アリソンは己の意思とは無関係に身体が動くのを感じた。一歩木に近づいたかと思うと、ぐらりと身体が傾き、気がつけば片膝をついて頭を垂れていたのだ。
誰かが息を飲む音が聞こえる。多分エリザベスだろうと根拠もなく思う。身体から切り離されたように、思考だけが自由に動かせる。
イグニス、とエリザベスが小さく息を飲むのがどこか遠くの方で聞こえる。
アリソンも何となく分かっていた。これはきっと、自分が受け継いだイグニスの力の中、微かに残る彼の魂が成せる技だと。
『あぁ、イグニスよ⋯⋯そなたの死は、非常に嘆かわしい事じゃ。我ら魔人にとって、新たな災厄が始まる証となるであろう』
老木の──長の言葉を、アリソンは黙って聞いていた。徐々に身体の支配権が自分へと戻ってくる感覚がしていたが、立ち上がろうという気にはなれない。
それは、長が心からイグニスの死を悼んでいるのが分かったからだ。
涙こそ流れることは無かったが、声や、だらりと垂れ下がった木の枝から、長の悲しみが伝わってくる。それは、アリソンが大切な家族の死に悲嘆を感じているのと全く同じで。
人間と魔人、容姿は元より力だって違う、恐ろしいと少なからず思ってきた存在が、いま、悲しみを通じて初めてとてつもなく近しいものに感じられた。
『じゃが、そなたの死は新たな希望を、夜明けを連れてきたのじゃ』
するりと伸びてくる枝を、もう恐ろしいと思うことは無かった。
長の枝、いや、長の手が、アリソンの頬に触れる。ごく僅かな接触は、まさしく老人が孫の頬を撫でるような親愛にみちたものだった。
「⋯⋯私が、その希望だと言うんですか?」
『そうじゃ。少女よ、汝こそが我ら魔人を解き放つ者。この暗き空に光を灯す者じゃ』
「でも、私は⋯⋯イグニスさんの力を受け継いだだけのただの村娘ですよ」
困惑するアリソンを、長は眩しいものを見るように、幹の間の割れた二つの赤い光を──眼を細めると、静かに枝を揺らして語り出す。
『我々が次元の狭間から、人間界⋯⋯すなわちそなた達人間の暮らす世界に行けると気が付いたのは、ごく最近のことじゃった』
長は「もちろん、そなた達人間にとっては遠い昔のことかもしれぬが」と、思い出したように付け加えてから続ける。
『姿形が異なることでの対立、不理解による誤解、そういった事は避けられぬものじゃった⋯⋯だが、我々は人間との関係を修復したいと考えた』
「そうなんですか?」
『⋯⋯やはり、知らぬのじゃな』
ゆらりと揺らめく影が、一層濃くなったように見える。
跪いたままのアリソンと、その少し後ろに立つエリザベス。二人を交互に見やった長は、静かに息を吐く。
『我らは、人間の代表である勇者レインナートと対話を試みた。あの男は我らが和解を望んでいることを知ると、それを実現させるまで、少しの時間が欲しいと言った。我々魔人と、そして人間の未来のために』
「えっ? でも⋯⋯」
魔人が人間と和解しようとしていたなんて初耳だが、それならばイグニスやエリザベス、長たちが自分に友好的で、とても親切にしてくれることの説明もつく気がする。
だが、勇者はどこからどう見ても、魔人と和解しようと尽力している様子はなかった。むしろ彼は、魔人を殺したくて仕方がないように見えた。
「つまり、レインナート・ローウェンは魔人を謀った、ということですわ」
長に代わり、そう言ったのはエリザベスだった。
彼女の瞳には静かな怒りが、憎しみが燃えている。その時、アリソンはレインナートと初めて目を合わせたとき、どうしてあんなにも怖かったのかをようやく悟った。
あの目だ。あの、悪意や殺意、敵意といったものを濃縮した目に見つめられ、それらで貫かれることが怖かったのだ。
それはおおよそ、アリソンが初めて出会う強烈な悪意だったと言ってもいいだろう。穏やかで単純な村の中に、そのような悪意はなかった──少なくとも、アリソンにとっては。
「でも、あの男はどうしてそんな嘘を⋯⋯」
『我らがそれを信じて、じっとしている間に我らを殲滅しようとしていたのじゃろう。見抜けなかった己が情けない⋯⋯』
「どうかそのようなことを仰らないでくださいませ、長よ。貴方の信頼と慈愛を裏切った、あの人間が悪いのですわ」
エリザベスはアリソンの隣に並んで跪いて言うと、隣のアリソンを意味ありげに見やる。
その視線を受けて、アリソンは強く首を振った。彼女の言う通りだと、長に伝えるために。
『ありがとう。じゃが、真実を見抜いたところで我には何もできぬ。我は見た通り、ここに深く根を下ろした存在。動きたくとも動くことは出来ぬ。我らの同胞たちはこの魔界以外に行く場所などない。じゃが、ここに閉じこもっていようと、勇者はいずれここに来る方法を見つけてしまうじゃろう。我らを殺すために』
「そんな⋯⋯どうにかならないんですか?」
『あの男の剣を、そなたは見たのじゃろう。忌まわしき聖剣は、我らの身体を灰と化す。あの剣の前にどれだけの同胞が塵と化したことか⋯⋯』
悲しげに枝を揺らす老木に、本能のようなもので胸が締め付けられる。
これもイグニスの気持ちなのだろうか。それとも──胸元で掻きむしるように手を握りしめたアリソンの肩に、冷たい手が掛けられる。
顔を上げると、エリザベスが真っ直ぐにアリソンの目を覗き込んでいた。
「ですから、貴女がわたくし達の希望なんですの」
「えっ?」
「わたくし達はあの男、勇者レインナートに勝てませんわ。でも貴女なら──未だ完全な魔人へと至っていない、人間の貴女なら、彼の剣に消されることなく立ち向かえる。そして貴女も、あの男を憎んでいる。これほど見事に一致する利害も、そうそうないのではなくって?」
それは、つまり。
息を呑んだアリソンに、長とエリザベスが声を揃えて言う。
『業火を継承した少女よ。我らに与する気は無いだろうか』
「つまり、魔人の味方になる気はないか。そう言っているんですのよ」
二人の、重々しく、あるいはいつも通り優雅に響いた誘いを、断る理由はどこにもなかった。
間髪入れずに強く頷いたアリソンにエリザベスは「本当ですの?」と、嬉しそうでありながらも、どこか探るように聞き返す。
「はい、皆さんは私を助けてくれたから⋯⋯だから、私にできる事があるなら力になりたいんです。それに、私なりに考えたんです。イグニスさんの命を無駄にしないですむには、どうしたらいいのかって」
左胸に手を当てて、アリソンは目を閉じる。
命を貰った。自分だけ生き残ってしまった。
ならば、その責務を果たしたい。自分を生かしてくれた人達が願うであろうこと、するであろうことを、ほんの少しでも代わりに出来たなら⋯⋯。
「イグニスさんから貰った命を無駄にしないために、私がやるべき事は、きっと、イグニスさんの分もラズさんやエリザベスさん、魔人の皆さんを守ることだと思うんです」
「殊勝な心がけですわね。では、貴女の覚悟を疑うのは次の質問で最後にしますわ。アリソン、貴女のその言葉は本気ですのね? 後悔しませんのね? ──たとえ、人間を敵に回したとしても?」
「人間を敵に⋯⋯」
「勇者とは、魔人を殲滅することのできる人間側にとって唯一の英雄ですわ。そんな英雄を貴女は魔人に与して殺すのですから、敵に回すことになるでしょう」
そうか、そうなるのか。
腑に落ちた顔をしたアリソンに、「思い至りませんでしたの?」と、馬鹿にすると言うよりは困惑した顔でエリザベスは呟く。
人間を敵に回す。ほんの少しも躊躇が過らなかったといえば嘘になる。けれど、思えば勇者に家族を殺された時点で、自分はもう人間側に裏切られているようなものだった。
それなら、敵に回ったっていいじゃないか。先に手を離したのはあちらなのだから。
それに、そんな程度の代償で家族を生き返らせられるのならば、安いものだ。
「大丈夫です。私は人間よりも、私を助けてくれたイグニスさんやラズさん、エリザベスさんを信じていますから」
迷いを捨て、強い眼差しで言い切ったアリソンにエリザベスと長が安堵したように顔を見合わせる。
「ああ、貴女がそう言ってくれて良かったですわ。これで貴女にあの剣を授けられますわね」
「剣?」
「ええ。前に言ったでしょう、貴女に力を貸すと。その一環として手元にある武器を譲る、とも」
「そういえば⋯⋯」
──わたくし、手元にいい武器がありますから後でお譲りしますわ。
勇者レインナートの心臓と引き換えに、家族を生き返らせることができる。そう教えてくれた日に、エリザベスが言っていたことが脳裏に浮かぶ。
「フフッ、愉しくなって来ましたわね。では長よ、どうか剣を」
『うむ。分かっておる』
ギギギ、と老木の根が地中を蠢き、ボコボコと音を立てて引き抜かれる。土埃の舞い散る中、根の先にその「剣」はあった。
波打つような形をした赤い刀身に、金の装飾の施された剣は、今まで訓練で使ってきたロングソードとは明らかに格が違う。
まるで炎そのものだ、と見惚れるアリソンにエリザベスがクスリと笑う。
「これが貴女にお譲りする剣、フランベルジュですわ。この剣は魔界にある三つの神器のうち、最後のひとつですの。他は既に長い時の中で失われていますから、くれぐれも大事に扱うんですのよ?」
「えっ。そ、そんなに貴重なものなんですか!?」
だったら私が受け取るわけには──焦るアリソンに、ずるりと地面を這った根がフランベルジュをその手に押し付けてくる。刀身は熱を持っているかのように熱い。
『炎の剣は、既に汝を使い手に選んでおる。持ってゆくが良い』
「で、でも⋯⋯」
『構わぬ。お主ならば使いこなせるじゃろう』
そこまで言われては食い下がれない。恐る恐る手を伸ばす。握った柄は、どうしてか、ずっと昔から握ってきたかのように手に馴染んだ。
これもイグニスの感覚なのだろうか? 長に自然と首を垂れた時のことを思い出すが、それとはまた違う気持ちのような気がする。
「なぜ、この剣を貴女にお譲りしようと思ったか分かります? 刀身をよく見てごらんなさいな」
エリザベスに促されるまま、じっと刀身を見つめると波打つような形の刀身の外側に、刃を守るようにして、薄いオレンジの明かりが灯っていることに気が付く。
いや、違う。それは明かりなどではなく──
「これは、炎⋯⋯? この剣、燃えているんですか!?」
「これこそがこの剣が神器と呼ばれる所以ですのよ。この剣は、持ち手の体内の魔力に反応して炎を纏う。常に炎を纏うこの剣なら、いつでもどこでだって貴女はイグニスから受け継いだ異能を行使できますわ」
「す、すごい⋯⋯」
感嘆の息を零すアリソンに、エリザベスは満足そうに頷く。
「それと、これが鞘ですわ。剣を入れても燃えたりはしませんからご心配なく」
「は、はい! ありがとうございます、ベティさん、それに長さんも⋯⋯」
『我らこそ、そなたの協力に感謝しよう』
この剣ならきっと、勇者を殺せる。鞘に仕舞い込まれたフランベルジュを握りしめて、アリソンは思う。
『ところで、次の満月は何時だったかのう?』
「確か1週間後ですわ。門を開くにはまたとない機会ですわね」
「門⋯⋯?」
長とエリザベスの会話に首を傾げたアリソンに、エリザベスは「あら、説明がまだでしたの?」と呟く。
「魔界と人間界を行き来するための出入り口のことですわ。わたくしやイグニスのような高位の魔人には、専用の門が与えられていますの。イグニスの門は彼の力ごと貴女が受け継いでいますから、問題なく開けるはずですわ。つまり3日後、貴女は人間界へ戻れる。ご家族の仇を殺すために」
「で、でも早すぎませんか? 私、剣も異能もまだ習って1ヶ月で、全然⋯⋯」
「そうですわね、貴女はまだ未熟で、良くなる余地がありますわ。でも貴女、じゃあ全て使いこなせるようになってから人間界へ戻り、あの男を探すつもりですの? それは一体いつになるんですの?」
「それは⋯⋯」
「なにも今すぐレインナートを殺せ、と言っているんじゃありませんのよ。いきなり門を王都に繋げて、敵の本拠地に乗り込め、なんて無茶は言いませんわ。将を射んと欲すればまず馬を射よ──まずは勇者に協力する者から潰すんですのよ。聖女、魔術師、踊り子、重騎士⋯⋯より取り見取りでしょう?」
グラスの奥、聡明で優しげなエリザベスの瞳が、レインナートの名を口にする時だけ暗く濁って見えるのは、きっと気のせいではない。
彼の名を口にする時、そうやっていつもと違う目をする人をアリソンは他にも知っている。静かな夜明け前の蒼が、ギラギラと炎を灯す。そんな、星の燃え上がる瞬間を今まで何度も目にしてきた。
きっと自分も、あの男の名を口にするたび、同じように憎悪を燃やしているのだろう。鏡なんて見ないから、知らないけれど。
「フフッ。待ちきれませんわね、貴女が勇者の心臓を持ち帰る日が」
濁りが失せたエリザベスの目が、優しげにアリソンを見つめる。慈愛に満ちた色。
それをまっすぐ見つめて、アリソンも「はい」と答える。
「必ず、持ち帰ってみせます」
「その意気ですわ。そうそう、出立の日取りについては貴女からラズに伝えてくださいませ」
「分かりました」
話しながら肩に手を添えられ、促されるままアリソンはエリザベスと共に、長に背を向けて歩き出す。
しわがれた巨大な老木は、木枯らしに吹かれたように、枝をゆらゆらと揺らしていた。
◇◆◇
エリザベスと来た道を戻り、館の入り口で別れた後。
訓練の準備をしようと部屋のドアを開けると、ラズがいた。いつも夕食や朝食を並べているテーブルに頬杖をつき、本をめくる彼女はアリソンに気づくと、顔をあげて微笑む。
「あら、お帰りなさい。遅かったわね、そろそろ夕食を作りに行こうと思っていたところよ」
「えっ⋯⋯!? も、もうそんな時間なんですか!? ご、ごめんなさい、私知らなくて⋯⋯!」
ドルフ村で時間を知る手段は教会の鐘だったが、魔界でも同様に、魔界全域に響き渡るという不思議な鐘の音が、時間を伝えてくれていた。しかし、その鐘もどうやら長の住む石灰洞までは響き渡らなかったらしい。
鐘が聞こえなかったからとはいえ、訓練をすっぽかしてしまったことに顔を青くするアリソンに、ラズがクスリと笑って言う。
「大丈夫よ、今日は長のところに行って来たんでしょ? あそこは鐘の音が聞こえないし、時間の流れが歪んでるらしいもの。仕方ないわ」
「時間が⋯⋯? って、どうして私が長に会ったことを知ってるんですか?」
「訓練所にいつもいる警備の人が噂してたのよ。『ベティさん』が珍しく女の子を連れてどっかに出かけてるーってね。あの調子じゃ、明日には魔界中に広まっているんじゃないかしら?」
「あはは⋯⋯ここの人たちも噂好きなんですね」
故郷ドルフ村の人々の顔を思い浮かべて、アリソンは苦笑する。
そんなに噂好きなら、きっとみんなと話も合うことだろう。
「それで? 何か言いたいことがあるって顔してるけど?」
「はい⋯⋯えっと、1週間後に人間界に戻ることになりました」
「あら、そうなの。そういえば満月だものね」
「そうなんです。なので⋯⋯」
なのでお別れですね、と言い切る前にラズが「で?」と、本にしおりを挟んで言う。
「どこに門を繋げるの? 聖都? それとも王都かしら?」
「え? えっと⋯⋯」
「⋯⋯待って。まさかエリザベスから何も聞いてないの? ちょっと、あいつどんだけ説明不足なのよ!」
「あ、あの⋯⋯?」
声を荒げたラズに、状況の掴めないアリソンはおろおろするしかない。
その様子に気づいた彼女は、ひとつ大きく息を吐き出すと、「感情的になって悪かったわね」と詫びる。
「常に人間界と通じている門を、なぜわざわざ満月に開くか分かる?」
「い、いえ。知らないです」
「満月は魔人の魔力が最も高まる日なの。いつもなら魔界から門を開く時は繋がる先を選べないけれど、満月の日だけは、自由に選ぶことができるのよ」
「へえー⋯⋯そうなんですね」
「ええ。だから聞いたのよ、あなたはどこに門を繋げたいのか」
「どこ、と言われても⋯⋯」
村の外のことを知らないアリソンに、地理の概念などあるわけがない。
「⋯⋯あたしで良かったら、相談に乗るけど?」
途方に暮れるアリソンを見かねたのか、仕方ないな、と言いたげにラズが助け舟を出す。お願いします、と言いながらアリソンは彼女の真向かいの椅子を引き、腰を下ろす。
「ただ、これはあくまでもあたしの意見だから、最終決定はあなたにあるわ。そこはきちんと理解しておいて頂戴」
「はい」
「うん。それであたしの意見だけど、あたしならまずは聖都マンディスに行くわ」
「聖都⋯⋯って、確か、癒し手の人がたくさんいるところ、なんでしたっけ?」
「あら、知ってたのね。そうよ、怪我や病気を治せる癒し手が最も多く住まう、西の絶壁に沿って作られた都よ。ただそれよりも、教会の総本山であるという認識の方が強いけれど。見たところあなたはあまり信心深い訳ではないみたいだけど、教会の教えについては知ってるかしら?」
「ええと⋯⋯昔、小さい頃神父さんから聞いた程度なら」
ジョアンなんかは父であるトマスに連れられて、よく教会に出入りしていたようだけど、アリソンが教会に行ったのなんて数える程度でしかない。両親も祖母の墓参り以外では滅多に立ち入らなかったし、確かに信心深いとは言えないだろう。
「女神様は常に人々を空の上から見守っていて、だから悪いことをしたら罰が降って、良いことをすれば、その分幸せになれる。日々の糧に感謝し、祈りを捧げれば、死後は女神様の住む天上の楽園に行ける⋯⋯って感じですよね?」
「ええ、概ねそうね。それにしても、村に教会があった割にとことん無関心なのね」
「うーん⋯⋯祈ったって何も変わりませんし、女神様が見ているって言うのもよく分からなかったので」
祈りでルノーの病気が治ったなら、狂ったように祈っただろうけれど、そうはならなかった。だから、アリソンは女神の存在を心から信じたことがない。いるかどうかも分からないものに縋るよりも、少しでも多くの糸を紡ぎ、畑を耕し、弟の薬代を稼ぐことの方が有意義だった。
「あたしも信心深い方じゃないから、その気持ちは分かるわ。とにかく、聖都だけれど、教会はそこを女神にゆかりのある地だとしていて、だから総本山になっているわけ」
さらに言うと、とラズは前置きして続ける。
「教団の言い伝えがこれほど各地に広まっているのには、聖都には癒し手が他の都市に比べて多いことも関係しているの。魔術が訓練次第で誰にでも使えるようになるのとは違って、癒し手の治癒術は生まれつきの才能よ。だから、教団はこれも女神のお導きだと人々に説くの。教団が根を下ろした聖なる都に、癒し手がこれだけ多く生まれ、集っていることこそが、女神が実在し、己を信じる者を楽園に導かんとしている証なのだ、ってね」
「ふうん⋯⋯」
「まあ、全部イカサマだけどね」
「えっ?」
「聖都には確かに癒し手が多いわよ。でもそれは、教会があちこちの村だの街だのから、癒し手の子供を集めてくるからよ。なんだかんだと理由をつけてね。特に、孤児なら教会が運営してる孤児院に引き取ってくればいいし、楽なものよ」
「えっと、じゃあ聖都に癒し手の人が多いのは、教会が自分で根回ししてるから、ってことですか?」
アリソンの問いに、ラズが「そういうこと」と頷く。
「え、ええー。それって、ちょっとズルくないですか⋯⋯?」
「舞台裏なんて、大体そんなものよ」
「⋯⋯なんだかちょっと人間不信になりそうです」
「そうなるべきね。アンタって、他人を簡単に信じすぎてて、見てるこっちが不安になるのよ」
そうかなぁ、とアリソンは首を捻る。そんなことはないと思うのだが。
「話が逸れたけど、どうして聖都に門を繋げるかと言うとね、あそこには聖女がいるからよ。聖女は優れた癒し手で、なんでも切断された腕を即座に生やせるらしいわ」
「は、生やす!?」
「流石に死人は生き返らせられないみたいだけど、おっかないぐらいの治癒力よね。そんな奴が向こうについてたら、殺せるものも殺せない。だからあたしならまずは聖都に門を繋いで、真っ先に聖女を殺しに行くわ」
淡々とそう言って、ラズは言葉を締めた。
何も言えないでいるアリソンをおいて、「そろそろ夕食にしましょうか」と言って立ち上がった彼女は、そのまま部屋の外へ出て行ってしまう。おそらく厨房に行くのだろうが、そういえば魔界に来てこれだけ経つのに、アリソンは厨房の在処を知らない。いつもどうしてか、食事時になるとラズが運んできてくれるから。
だが今はそれよりも、とアリソンはエリザベスに見せられた勇者一行の姿を思い出そうとする。確か、笑い合う彼らの中に女性は二人いた。白いフードを被った短髪の少女と、赤い巻毛の美女。
あのどちらかが聖女に違いない。
「⋯⋯聖都マンディスの聖女」
ぽつりと部屋の中に響いた声は、自分でもゾッとするぐらい感情がこもっておらず冷たい。
それでも、もう決めたのだ。レインナートを殺すと。彼の仲間たちも一人残らず殺し、その心臓と引き換えに、家族を生き返らせるのだと。そのために魔人と手を組むのだから。
自分の手のひらが赤く染まるところを想像して、アリソンは息をついた。
最後まで読んで下さり、ありがとうございます。
次回で魔界編もラストとなる予定です。良かったら次もお付き合いください。
次回更新日:12/6予定