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063 エピローグ



 半年後。

 未開拓地域もとい、立入禁止区域を正式に解かれ、地図に名の乗った小さな農村──ドルフ村で、アリソンは洗濯物を干していた。空になった洗濯籠に降り注ぐ木漏れ日、風になびくシーツや洋服は、もうすっかり見慣れた日常の光景だ。見上げればどこまでも青い空が広がっており、その眩しさに思わず目を閉じる。

 木々のざわめきは、波の音によく似ている。海といえば、アリソンはどうしても聖都を思い出す。崖を切り拓いて作られたあの都で、アリソンは初めて海を見た。聖都では高らかに鳴り響く鐘の音が時刻を伝えていたが、この村にはそれがない。かつてあった小さな教会は、あの日、村の大半の建物と共に焼き払われてしまったから。


 ふいに足元にふわふわしたものが触れて、アリソンは目を開ける。

 視線を下げれば、そこには──


「わふっ!」

「あれ、ワンちゃん? えっと、野良犬でしょうか?」


 ところどころほつれ、汚れた毛の犬は人懐っこく、尻尾を揺らしながらアリソンを見上げている。


「ふふっ、どこから来たんですか?」


 頭を撫でると、犬は甘えるように「キューン」と鳴いて、腹を見せて寝っ転がる。飼い犬なのかと思うほど人に慣れているが、触ってみたところ、首輪はつけていない。人に餌をもらったことがあるのか、あるいは人に飼われていたが何かの事情で捨てられたのだろうか。


「⋯⋯良かったら、うちに来ますか?」

「わふっ!!」


 犬は分かっているのか分かっていないのか、元気よく吠える。アリソンが洗濯籠を抱えて立ち上がると、犬はその後をついてくる。

 ラズに怒られるかなぁ、と苦笑しながら、アリソンは家へと向かう。朽ち果てた建物や焼け残った建物に混じって、綺麗に建て直された家は、元々アリソンの家があった場所に新たに建て直したものだ。


「ただいま。ラズ、洗濯物干し終わりましたよー」

「あら、おかえりなさ⋯⋯ちょっと、どうしたのよ、その犬!?」


 台所にいたラズが驚くのに合わせて、犬はぶんぶんと尻尾を振り、彼女の足元をくるくると回り出す。その様子を見て、ぐっと言葉に詰まったラズに、アリソンは思わず笑みを溢す。彼女はきっと、この犬を無碍に出来ない。その証拠に、笑ってしまったアリソンをキッと睨みつけてくるラズの目には、一切の迫力がない。


「はあ⋯⋯とりあえず、犬を風呂に入れましょ。当然、アンタにも手伝ってもらうわよ?」

「はい、もちろんです!」


 火を止め、鍋に蓋をしたラズと共に、アリソンと、そして一匹の犬は歩き出す。



 アリソンは今、ドルフ村でラズと共に暮らしている。

 いつかのような穏やかな日々を、余生のように過ごしている。



◇◆◇



 勇者レインナートを討ち果たした後、世界に訪れたのは平和と、そして新たな波乱の幕開けだった。

 勇者だった筈のレインナートが世界の敵となっていた事実に加えて、今まで散々レインナートによって嫌悪と憎悪の感情を煽られてきた魔人が、本当は化け物などではなく人間との和平を望んでいること。今までの価値観をひっくり返すようなその情報を人々に信じてもらうのは容易いことではなかったが、国王が正式に声明を出したこと、また聖女であるヒナコがレインナートの悪事を公の場で認め、元勇者一行としてアリソンとラズ、そして魔人に謝罪をしたことで、この驚くべき事実を人々は受け入れるようになっていった。


 動けない長に代わって人間界へ和平交渉の使者を派遣した魔人と国王は会談を重ね、互いの世界の共存に向けた第一歩として、魔人の移住を受け入れることを決めたのは先月のこと。最初の移住地はドルフ村だ。故に、アリソンとラズは穏やかな日常を送る傍ら、村の復興に向けて焼け跡の片付けもしている。明日には、隣村に住む大工が新しい家を建てる手伝いに来てくれる予定だ。今はアリソンとラズの二人だけの静かな時間が流れるこの村も、しばらくすればのどかながらも人の賑わいも感じられる村へと変わって行くことだろう。

 最初の移住地がドルフ村になったことに、ラズはあまり良い顔をしなかった。体良く実験にされてるじゃないの、とぼやく彼女に、けれどアリソンは嬉しかった。ドルフ村が再び人の住まう地になる方が、亡くなった村のみんなも、そしてここでずっと見守ってくれていた旧神も喜ぶだろうと思ったからだ。

 裏山に行っても、もう旧神に会うことはできないが、供えている花や織物がなくなっているから、きっと受け取ってくれているのだろうとアリソンは信じていた。



「それにしても、まさか白い犬だったなんてね⋯⋯」


 食卓についたラズのため息混じりの言葉に、アリソンも頷く。

 二人の足元でごろりと寝っ転がった犬は、風呂に入り、食事をもらい、満足そうな顔をしているように見えた。汚れていた毛を洗われ、本来の色であろう真っ白な毛並みが、窓から入ってくる風で時々揺れている。

 アリソンたちはといえば、犬の風呂を終えて、今は休憩中だ。台所の鍋が再び沸騰すれば、食事の時間になる。火をつけ直したばかりだから、食べられるようになるまでは少し時間がかかるだろう。


「そういえば、あなた宛に手紙が来てたわよ。聖都と、それから王都からも何通か」


 ラズから封筒を受け取ったアリソンは、礼を言って、彼女から封筒と共に受け取ったナイフで手紙を開ける。


「なんて書いてある?」


 手紙が届くようになった最初の頃、アリソンはラズに手紙の内容を読んでもらっていたが、「これじゃ駄目よ」と言い出したのはラズだった。これではいつまで経っても、アリソンの読む力が上達しないと危機感を覚えた彼女は、アリソン宛の手紙は、アリソン自身が開封して読み、読めないところがあった時にだけラズが読んで教えるようにすることを決めたのだ。その甲斐あって、アリソンは今ではよっぽど難しい手紙でなければ、自分で読み、内容をラズに伝え、返信を自分で書くこともできるようになっていた。

 一通目の手紙の内容を把握したアリソンは、げっそりした顔で報告する。


「私の銅像を作りたいそうです⋯⋯」

「あら、いいじゃない。作ってもらえば?」


 こともなげに答えたラズにアリソンはむっとするも、手紙の続きに書かれていた内容に、悪戯っぽい表情になる。


「それじゃあ、いいんですね? 向こうはラズのも作りたいみたいですけど」

「はあ!? あたしのなんか作ってどうするのよ、却下よ、却下!」

「じゃあ、ナシですね」

「どうせ作るなら、あたしはイグニスの像を作って欲しいわ」

「納得のいくものができそうですか?」

「⋯⋯無理ね。どれだけ腕のいい職人にだって、本物は作れないもの」


 まあ、本物にはそのうち会えるし。

 そう続けたラズに、アリソンは次の手紙を開封する。


「こっちは⋯⋯ヒナコからですね。聖都の復興のこと、子どもたちのこと、ルーク君のこと、それから⋯⋯あっ、糸です! 聖都で作った糸を送ってくれたみたいです、ほら」

「へえ⋯⋯綺麗ね」


 窓から差し込む光に糸を透かすと、糸は光の当たり具合によってエメラルドグリーンからピンクサファイヤへとキラキラと色を変える。その美しいグラデーションに、アリソンは目を細める。


「これだけ派手な色合いだと織りに使うのは難しそうだけど、アンタならどうにかできそうね」

「えへへ⋯⋯ありがとうございます」


 嬉しそうに頬を掻くアリソンに、ラズも頬を緩める。

 勇者を倒した村の特産品、それも英雄自らの手作りということで、アリソンの織物は今や銀貨どころではなく、金貨で取引されていた。初めてそのことを知ったアリソンが卒倒しかけて、ラズが大慌てしていたのも今となっては懐かしい笑い話だ。

 ちなみに、その金貨はもっぱらドルフ村の復興費用に当てられている。家を建て直し、村を整備するのには金がかかるのだ。


「他にはどんな手紙が来てるの?」

「ええと⋯⋯コウエンカイ? のお誘いとか⋯⋯私たちの話が聞きたいそうです」

「あたしは興味ないわ。やりたいようにやっただけだもの」

「私もです」


 他には、と手紙にざっと目を通していたアリソンは、ある一通の手紙に手が止まる。


「どうしたの?」

「⋯⋯ミゲルからです」


 アリソンの返事に、ラズも一瞬動きを止めた後、「そう」とだけ小さく洩らす。

 ミゲルは今、ジョアンを連れ王都から離れた地で療養していた。ジョアンにとって、王都は憧れの地から、勇者に操られて父を殺した場所になってしまった。かといって、ドルフ村に帰郷することも彼女にとってはあまりに辛い選択だ。王都も故郷も、彼女にとっては精神的な傷を抉る場所となってしまった。

 そのため、ミゲルがジョアンと共に、ジョアンにとって縁もゆかりもない場所へ行くと言った時、誰も反対することはなかった。ジョアンには心の傷を癒す時間が必要だ。そのことを、彼女を知る人は誰もが理解していた。

 最後にアリソンがジョアンと顔を合わせたのは、ミゲルが彼女を連れて王都を出る時だった。ジョアンの目はやはり、何も写さず虚なままで、アリソンは気休めのような言葉をかけてあげることしかできなかった。時折、ミゲルと交わす手紙だけが、ジョアンの状況を知る唯一の手立てだったが──


「ジョアンが話せるようになったらしいです! ⋯⋯いつか心の傷が癒えたら、村にも来たいって。すぐには無理かもしれないけど、また昔みたいに話がしたいって」

「あら、ならそれまで持ち堪えてないといけないわね」

 

 そう言ったラズに、アリソンは手紙から顔を上げる。頬杖をついた彼女の蒼い瞳に、復讐に燃えていたあのギラギラした光はもうなく、ただ月のような静かな淡い光が浮かんでいた。


「ねえ、この前聖都で見てもらった時、アンタは余命どのぐらいだって言われた?」


 ──勇者を殺したあの日、二人は己の生命力を変換し、勇者と女神の、ひいては世界と女神の繋がりを絶った。

 聖都で二人をそれぞれ診察した癒し手は、苦い顔をしていた。治癒術では傷は治せても、なくなった生命力を取り戻すことはできない。

 常人よりも遥かに早く体の内部が老衰しているというのが、癒し手の最終的な見解だった。


「良くて一年、って言ってましたね」

「なんだ、あたしと同じぐらいじゃない」

「当たり前じゃないですか、あの時半分こしたんですから」

「そうだったわね。⋯⋯どっちが長生きできるか勝負よ」


 顔を見合わせて笑いながら、アリソンは、どうせなら引き分けがいいなと思う。

 死に損なったこの日々を共に駆け抜けてくれた彼女と共に、幕引きを迎えられたなら、どんなにいいだろうか。そして、家族にラズを紹介するのだ。


「⋯⋯あっ、そろそろいいんじゃないですか?」


 鍋を見やり、アリソンは空腹に鳴いた腹をさすって立ち上がる。ラズはそんなアリソンの挙動にくすりと笑って、隣に並ぶ。

 蓋を開け、お玉で中をかき混ぜると、香ばしい香りが部屋の中を包む。テーブルの下で寝ていた犬がくんくん、と鼻を鳴らし、二人の足元に駆けつけてくる。


「こら、お前はさっきもう食べたでしょ」


 ラズの指摘に、犬は項垂れ、哀れな声で「キューン⋯⋯」と鳴く。


「そういえば、この子に名前をつけてあげなくちゃいけませんね」

「ちょっと、あたしはまだ飼っていいとは言ってないわよ」

「お風呂に入れて食事もあげたのに、追い出すんですか?」

「⋯⋯責任取れるの? 長生きしないってのに?」

「これから村の人が増えるじゃないですか。みんなで飼えばいいんです。私たちみんなの、ドルフ村のワンちゃんになってもらいましょうよ」


 アリソンの言葉と、自分を見上げる犬のつぶらな瞳に、ラズが深い深いため息をつく。


「⋯⋯名前、何にするつもり?」

「やった! うーんと、シロはどうですか?」

「安直すぎないかしら」


 ラズの事実上の降伏宣言に喜んだアリソンは、ラズのぴしゃりとした言葉にむっと頬を膨らます。その仕草はアリソンの弟ルノーとそっくりだったが、それを指摘できる人はこの場にいなかった。


「じゃあ、ラズはどんな名前がいいと思うんですか?」

「そうね⋯⋯ブランカとか」

「どういう意味の言葉なんですか?」

「⋯⋯白いって意味よ」

「ラズも安直じゃないですか!」

「うるさいわね、もうなんでもいいわよ、なんでも!」


 けらけら笑って、ひとしきり戯れあった後、ふとラズの瞳が研ぎ澄まされたような冷静さを取り戻す。

 どうしたのかとアリソンが問いかけるよりも早く、彼女は声を発した。


「アニータ」


 あまりに真剣な声色に、アリソンは息を呑む。犬の名前候補ですか、と聞けないぐらいの何かがこもっているような気がして、アリソンはただ、ラズを見つめて彼女の言葉を待つことしかできない。

 しばらくの間、ただ視線が交差するだけの沈黙が続く。それを断ち切ったのも、やはり、ラズだった。


「あたしの本当の名前よ」


 そう言うと、ラズはふいっと顔を逸らして、アリソンの手からお玉を取り上げると「お皿を持ってきて」といつもの調子で続ける。まるで先ほどの言葉が白昼夢だったかのようだが、赤い耳朶がそうでないことを示していた。

 皿を運びながら、アリソンは、いつだったか彼女が文字の書き方を教えてくれた時のことを思い出す。彼女が紙に刻んだ美しいA。そうだったのか、と思う。これがラズの、生まれた時にもらった名前。


「いい名前ですね」


 心からの賛辞に、ラズは蚊の鳴くような声で「ありがと」と言った。



◇◆◇



 夕食後、ラズの手製のスープを飲みきったアリソンは背もたれに体を預けて息を吐く。

 料理上手な彼女に、アリソンは何度も村で食堂を開いて欲しいと言っているのだが、いつだって話半分に流されていた。今日だってそれとなく話題を変えてはぐらかされてしまって悔しい。

 犬はすっかり勝手知ったる様で寛ぎ出しており、二人の足元ですやすやと寝ていた。


「本当に警戒心のない犬ね⋯⋯誰かさんとよく似てるわ」

「⋯⋯えっ。もしかして私のことですか?」

「他に誰がいるのよ、誰が」


 頬杖をついたラズの穏やかな横顔に、アリソンはなんだか嬉しくなってしまう。もう日常のものとして見慣れた今でも、こうして二人でただ平穏な時を過ごせていることが、時々夢のように思えた。駆け抜けてきた日々と違って、もう武器を取る必要も、復讐のために胸に炎を燃やす必要もない。

 それは、かつてアリソンがずっと続くと信じて疑わなかった日々とよく似た形をしている。

 

「今日の料理もすごく美味しかったです、ありがとうございます」

「⋯⋯そ。相変わらずあなたのお母さんに似てる?」

「え? いえ、全然。お母さんの料理はホッとする感じだけど、今日のスープは、色んなスパイスが入ってて、どれも香りが強いのに上手くまとまってて、ラズの⋯⋯アニータの料理って感じがします。なんだかずっと、この味を食べたかったような⋯⋯」

 

 凝視するような視線に、何か変なことを言ってしまっただろうか、とアリソンは言葉を止める。ラズは何故か、泣きそうな顔でこちらを見てきていたから。


「ら、ラズ? ごめんなさい、私、なにか⋯⋯」

「ううん、なんでもない。なんでもないの」


 美味しいって言ってもらえて嬉しいだけだから、と言うラズに、アリソンは首を傾げる。彼女が作る料理はいつだって美味しかったのに。

 ああでも、そうだな。いつも母の料理に似ていたのに、今日は少し違っていた。



 勇者を殺した村娘Aの存在は、いつか歴史から消えるかもしれない。あるいは、いつか世界が滅びる時、元凶として名を挙げられるのかもしれない。

 けれど、そのような未来は遠く、小さな村には届かない。アリソンたちは、未来よりも今日を、今日よりも過去を選んだ。世界の未来と引き換えに手にしたのは、憎い男のいない世界で命が尽きる時まで息をする余生。


 空を漂う雲のような穏やかな日々は続く。

 いつか永遠の眠りにつき、大切な人たちと再会するその日まで。二人は、あるいは二人と一匹は、きっと幸せに暮らす。



「ねえ、アリソン。明日は何がしたい?」


 彼女の言葉に、アリソンは柔らかく、春の日差しのような微笑みを浮かべた。




 完



アリソンとラズの物語に長らくお付き合い頂き、ありがとうございました。

投稿を始めたのが2021年なので、なんと4年も連載していたことになります。当初の構想とは大きく変わった部分も多いですし、特に終盤の展開は書き直したい部分もあるのですが、書き始めた時に立てた「何が何でも完結させる」という目標を達成することができて良かったです。

もし少しでも楽しんで頂けましたら、評価や感想など頂けると嬉しいです。


それでは、またどこかでお会いできることを願って。

最後まで読んで下さり、ありがとうございました。

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