062 村娘Aが勇者を殺すまで
金属音と、火の弾ける音が空間に反響する。
魔力を纏ったレインナートの腕は硬い鱗で覆われ、アリソンの剣と互角にぶつかり合う。そこに炎の竜が襲いかかり、レインナートの周りを防壁魔術が展開される。が、そこにラズが遊撃と共にレインナートの防壁を無効化し、竜は彼の右腕に巻き付く。
一度に二人を相手取り、右腕が炎に包まれようとも、レインナートの表情に変わりはない。ただ、忌々しげに舌打ちを零しはする。
「その無効化、本当に面倒だなぁ」
「でしょうね」
レインナートは、そう言って薄く笑ったラズに狙いを定めるが、視線が逸れたその一瞬の間に、アリソンの剣が彼の首を打たんと迫る。焦げた右腕で剣を防いだ彼の無防備になった脇腹目掛け、ラズの短剣が突き立てられようとするが、剣が通ることはなかった。
「っ、硬い⋯⋯!」
「当たり前だろう? そのぐらいの対策はするさ」
せせら笑うレインナートに、ラズは短剣を見限りその場を飛び退く。レインナートは余裕に満ち溢れた表情で、その場を動かない。ただし、隙はない。
互いに火花を散らし、動きを読み合う中、ふいにラズは「アリソン」と視線を向けずに呼びかけた。
「⋯⋯少し、考えがあるの。手伝ってもらってもいい?」
ラズの言葉に、アリソンは頷く。
彼女が自ら助けを求めるのはなかなか珍しい。ならば、応えたい。
「作戦会議は終わったかい? なら、今度こそ終わらせようか──サルヴェイシェン・ジャッジメント!」
とても魔術の詠唱とは思えない柔らかな口調と共に、レインナートが無数の光の柱を放つ。王都で数多の兵士の命を奪った魔術。彼の右腕に巻き付いていた炎の竜は光の柱からアリソンとラズを庇うようにしてかき消えるが、柱の勢いは衰えることはない。
「アリソン、避けて──」
「いいえ、迎え撃ちます!」
剣を構え直したアリソンは、纏わせた炎に意識を集中する。いつか見た、セネカの作り上げた炎の竜の魔術。悔しいことに、彼の魔術の才能は本当に素晴らしいものだった。あの竜を超えるものを出せば、あるいは。その願いに応えるように、竜は顕現する。
アリソンの身長の何十倍もある巨大な炎の竜が、アリソンとラズの背後からレインナートに向かって口を開く。放たれた炎は、光の柱を次々飲み込み、消滅させる。
「ははっ⋯⋯そんなこともできるのか!」
驚きの中に混じる、微かな焦り。
消えていく光の柱を見たレインナートは防壁魔術を展開するが、炎の勢いによって彼は徐々に、徐々に後退していく。防壁の強度は炎に耐えきれず、崩れ落ちていく。だが──
「やれやれ、君もセネカも派手好きだね。でも、あまりに形を与えない方がいいんだ、斬れてしまうだろう? ほら、──こんな風に」
嫌な予感がする。
咄嗟に飛び退いたアリソンの前で、レインナートが聖剣を振るい、竜が切り裂かれて、そして。
「ッ、あ゛ぁあああああああああ!!」
ガシャンと、アリソンが左腕に装着していた盾が落ちる音がした。いや、落ちたのは盾だけではない。
アリソンの左腕、その肘から先が、落ちた。
「アリソン!?」
「余所見はいけないよ?」
焦りから判断を見誤ったラズにレインナートが急接近する。すんでのところで防壁を展開した彼女だったが、次の一撃は防げない。
まずい、と脂汗が額に浮かんだラズの前に、灰色の髪が踊る。レインナートの攻撃を防いだのは、両手でフランベルジュを握ったアリソンだった。
「アンタ、左腕は⋯⋯っ」
「治しました!」
聖女の奇跡でもあるまいし、落とされた左腕が治るなど通常ではあり得ない。だが、レインナートの、そしてラズの前にいるアリソンは明らかに左腕があった。
切り落とした筈の左腕が健在なアリソンの姿に、レインナートは不快そうに眉を顰めた後、合点がいったとでも言うように目を瞬かせる。
「なるほど、魔人化を進めたのか! だけどいいのかい? それは諸刃の剣じゃあないか?」
魔人化が進めば、再生能力──つまり自己治癒力が飛躍的に向上する。だが同時に、魔人に近付くということは、聖剣フォルティスの魔人の再生能力を無効化し灰にする効果の対象となることを意味している。
そのぐらいアリソンとて分かっている。分かっていても、今はリスクを選ぶべき時だと判断した。片腕で倒せるほど、レインナートは弱くない。
「魔人として死にたいのかい? いいよ、願いを叶えてあげよう!」
「そんなことさせない! そのために、あたしはここにいる!」
レインナートの笑みを崩すように、ラズの手から氷の礫が放たれる。しかし、礫は防壁魔術に容易く阻まれてしまう。無効化して攻撃を通すにはより近づかなければならず、それはレインナートの間合いに飛び込まなければならないことを意味していた。
「そんな初級魔術でどうすると言うんだい? 俺を倒すと言うのなら、もっと大きな⋯⋯それこそ禁術でも持ってこないと!」
一気にレインナートが距離を詰めてくる。電撃、いや、フォルティスの一閃がアリソンの前に近づく。上体を逸らして躱し、反撃に練り上げた炎が鋭い槍のようにレインナートの防壁に穴を開ける。全てを一度に壊すことができずとも、一点だけに集中すれば防壁を破ることは可能だ。
「そんな穴で何ができると⋯⋯っ、おっと!」
ずぶり、と開いた隙間から入り、己の体を貫いた短剣をレインナートは驚いたように肩をすくめて見つめる。
「⋯⋯今さら毒を塗った短剣なんか投げられても、ね。反応に困るというか⋯⋯知ってるだろう? 俺に毒は効かないんだって」
まるで子供の悪戯に呆れる大人のような言い方に、ラズが微笑む。
「ええ、知ってるわ。だからよ」
レインナートが眉を顰めるのと同時に、アリソンの炎が叩きつけられる。割れた防壁を貼り直すその一瞬に滑り込んだラズの手が彼に向かって伸びる。それをレインナートが薙ぎ払うよりも前に、アリソンの振りかぶったフランベルジュが、レインナートの握る聖剣を弾き飛ばす。剣を弾き飛ばしたところで、レインナートはいくらでも魔術を放てはするが、その魔術は放たれるよりも早く炎の竜が呑み込む。
「形を与えることで斬れるようになる、ってあなたは言いましたけど、こういう良いこともあるんですよ」
「⋯⋯それで? まさかずっと俺の魔術を飲み込み続けるつもりかい? フォルティスを俺の手から離したのは良い判断だけど、それだけじゃ決定打に欠けるよ?」
「いいんです、それで」
戦いの最中とは思えないほど穏やかな声が出たことに、アリソンは目を見張る。自分のことながら、どうしてこんな声が出たのか分からなかった。全身の血が沸騰したように熱いのに、これ以上ないほど目の前の男への憤怒で目の奥がチカチカしているのに、その一方で酷く淡々としている己もいる。
まるで、初めから結末を知っている御伽噺を見るようだった。
「アリソン、もういいわ。無効化できたから」
レインナートに向けていた手を引っ込めたラズの意味深な笑みに、レインナートは理解できないと言いたげに首を傾げる。
しかし、すぐさま彼は理解する。ラズが何を無効化したのか。そしてなぜ、アリソンは決定打でなくてもいいと言ったのか。何故なら竜が魔術を飲み込んだのも、フォルティスを弾き飛ばしたのも、ラズの無効化が終わるまでの時間稼ぎでしかなかったからである。
「毒が回った気分はどう?」
ぐらり、とよろめいて後退したレインナートの顔に、初めて分かりやすく焦りが浮かぶ。
マルガリータとの戦いを経て、ラズは異能の無効化が可能となった。それをレインナートに対して利用したのである。
「俺に⋯⋯毒は効かない、はずだ⋯⋯!」
「アンタに毒が効かないのは、あたしみたいに後天的に身につけた体質じゃなくて、アンタが女神の祝福と信じてやまないその異能のせいでしょ? だったら、その異能を無効化すれば、毒は効く。簡単なことよ」
「何故だ⋯⋯何故! 俺は⋯⋯!」
俺は、の続きに彼はなんと紡ごうとしたのか。ガクン、と膝をついたレインナートは信じられないと言いたげに、二人の少女を見上げる。
己がかつて弄んだ少女と、ただの村娘。こんな存在に、こんな手段で敗北させられるなど、屈辱どころか、理解できなかった。
「手足が痺れてきたでしょ。段々と目の前も見えなくなるわよ」
「こんな⋯⋯こんな毒なんかで、俺を殺せると思ってるのか⋯⋯!?」
「さあ? でも、動きを封じれればそれでいいわ」
視線を寄越してきたラズに、フランベルジュを構えたアリソンが前に進み出る。
目の前でルノーを殺された時、ああしていたのは自分だった。圧倒的な力の差を前に、下から見上げていたのは自分だった。それがどうだ、今はアリソンがレインナートを見下ろしていた。何もかもを無くした自分が、何もかもを無くそうとしている彼を見下ろしている。
「こんな程度で殺せると思われちゃ、困るんだよ⋯⋯! サルヴェイシェ──、っ!?」
「無駄よ」
再び放たれようとしていた術が、詠唱の途中で式が弾けて霧散するのを見て呆然とするレインナートを、ラズが冷たく言う。
「言ったでしょ、アンタの異能を無効化したって。つまり、その女神に愛されてるとかいう異能によって増幅させられていたアンタの魔力はもうないの」
「⋯⋯そうだとしても、この空間が消えていないなら、俺はまだ魔力がある。それを回せば──」
「あなたの核を守っている防壁を消して私たちと戦いますか? だったら、直接核を狙いますよ」
あるいは、レインナートの魔力が切れるのを待てばいい。
はくはくと口を動かし、レインナートはアリソンとラズを見上げる。
「⋯⋯本当に、俺を殺すのか」
「今さらね」
「勇者のない世界はいつか滅びるぞ」
「だからなんですか?」
「俺の作る新しい世界でやり直す気はないのか」
「アンタの作る世界なんて反吐が出るわ」
「俺を殺したところで家族は帰っては来ないだろう!?」
「あなただって、そうしたじゃないですか」
声を荒げたレインナートは、アリソンの答えに虚をつかれたように呆然とする。
「あなただって、魔人を殺しても、私の家族を殺しても、ラファエラは戻らないと知っていて、それでも殺したんでしょう? 殺し続けることを選んだんでしょう?」
ならば分かるはずだ、とアリソンはレインナートの目を見る。木漏れ日のような光を宿した、伽藍堂の瞳。
気持ちの良い考えではないが、その点において、レインナートは自分たちと似ていた。大切な者を奪われ、復讐を決意して、返らぬ過去を見つめて、手を血に染める道を選んだ。
ふと、アリソンの脳裏に一つの光景が思い起こされる。魔界で、復讐を決めたとラズに伝えた時のことだ。
『考えておいて。あなたなりの、あなたが望む復讐の形を』
今となっては、考えるまでもないことだった。レインナートを殺し、彼の望みを打ち砕く。勇者としての名声も栄光も、世界を作り変えるという大層な野望も、その何もかもを無に帰す。
そして、あえて言葉にするのなら、それは。
「あなたを殺して、ラズと笑うために──私は復讐をやり遂げる」
そんなものは無くても構わないと答え続けてきた、未来を思ってアリソンは、剣を振り下ろす。反撃を封じられ、あの日の己のように無力に膝をついた男の、柔らかな首を裂く感触が伝わる。
「そのために死んでください、勇者レインナート」
レインナートの口が、言葉を発しようと開かれたように見えた。声になる前に首は落とされたが、僅かな唇の動きから察するに、それは恐らく、彼の愛した少女の名だった。
「あっけないものね」
ラズの呟きに、アリソンは顔を上げる。
足元に転がるレインナートの首は、光の塵となって消えていく。残るは、玉座のように鎮座する巨大な蛹のみだ。あの蛹の中で脈動する肉塊こそが今のレインナートの核。ならば、あの核を破壊しなくては終わらない。
「まだ終わってませんよ、ラズ。あれを壊さないと」
「そうだったわね」
二人が歩を進めようとした瞬間──ぐにゃりと目の前が歪む。
『やれやれ、驚いたよ』
幾重にも聞こえてきたレインナートの声に、二人は瞬時に背中合わせに気配を探るが、姿が見えない。というよりも、空間全体からレインナートの気配を感じる。
感覚が間違っているのではない。この空間全てが、レインナートなのだ。
『俺の持てる力全てを注ぎ込んだ分身を倒すなんてね、どうやら君たちを正攻法でどうにかするのは無理みたいだ。仕方がないから、君たちとここで心中することにしたよ』
周囲の壁が膨大な魔力を帯びるのを感じ、アリソンは本能的に柄を握る手に力を込める。
レインナートがこの空間ごとアリソンとラズを葬り去ろうとするのは事実だ。ただ、蛹の周囲だけは強固な防壁で覆われている。ラズもそのことに気がついたのか、ふっと鼻で笑うと天井を睨みつける。
「⋯⋯心中っていうのは嘘ね。アンタ、あの蛹だけは⋯⋯アンタの核だけは何がなんでも守り切る気でしょう。この場をあたし達ごと自滅させたとしても、アンタは死ぬ気はない」
『それが分かったところで君たちに何ができる? 脱出するつもりかい? 鋼鉄のように硬い殻に、複雑な式を織り交ぜてある。叩き壊すことも、無効化することもできないよ。もう後しばらくしたらこの空間は爆発する。俺の核はどこかに落ちて、羽化するまで誰にも見つからなければ俺の勝ちだ』
言うだけ言って、レインナートの声は途絶える。全てのエネルギーを爆発と、蛹を守ることに向けたのだろう。
顔を見合わせた後、爆発のことは一旦無視することにして、アリソンとラズは蛹に駆け寄る。
「ラズ、防壁は無効化できますか?」
「⋯⋯難しいわね。ダミーの式が所々に混ざってる。考えたわね、あいつも」
「難しいってことは、無効化自体は不可能ではないんですよね?」
「でも爆発までには間に合わないわよ」
「なら、なんとかなります」
アリソンはラズを見つめ、まるでなんてことないように、けれど真剣な目をして言う。
「ラズ、半分もらってくれませんか?」
「⋯⋯アンタ、まさか」
決戦前夜、星明かりの下でアリソンがラズの耳元で囁いたこと。それを思い出したラズが目を見開く。
「レインナートがここを爆発すると言うのなら、手伝ってあげましょう。私たちでここを爆発させるんです」
レインナートの計画には穴がある。まず、アリソンはイグニスから受け継いだ異能によって火が効かない。だからこのままでも、アリソンだけは爆発の中を生き延びられる可能性が高い。
そしてもう一つは、アリソンがあえて切り札として残していた力。
己の命と引き換えに魔界を守り抜いたエリザベスの異能は、誰が受け継いだのか。
『私の中には、イグニスさんとベティさんの異能があります』
あの夜、アリソンがラズに囁いたのはつまり、そういうことだった。あの時はまだ自分の中に馴染んでいなかったし、先ほどの戦いにおいても、レインナートがあんな簡単に終わるとは思えなかったため切り札として温存していたが、今なら。
「私の力を、ラズに半分渡します。そして私たちでここを爆発させて、核ごと壊し切る。ラズの負担は少し大きいかもしれませんが、でも⋯⋯」
「⋯⋯強引な力技ね。それに、あいつの爆発を上回る威力を出さないといけないわよ」
「でも、なんとかなりそうな気がしませんか? だって、ベティさんとイグニスさんがついているんですよ」
「そんなもので⋯⋯」
そんなもので、と言いかけたラズは、一拍置いて「分かったわ」と答える。
「死者の念の強さは、あたしが一番よく知ってるわ。賭けてみようじゃないの」
ラズの指に、アリソンは己の指を重ねる。それだけのことが、なんだか厳かに感じられた。自分の中の業火と呼ばれたイグニスの力が、水禍と呼ばれたエリザベスの力がラズに流れ込む。等しく分かち合って、そうして、どうすればいいのかを言葉にせずとも分かった二人は、力を込める。
ラズがレインナートに放った氷の礫、その溶け出した水が霧に転じ、周囲を覆い尽くしていく。
「全く、やることが、多いってのよ⋯⋯!」
アリソンと繋いだのと反対の手を防壁に当て続けながらラズはそう言うが、好戦的に吊り上げられた口角に、アリソンは目を細める。水と炎、そして無効化の三つを同時にこなさなくてはならないラズは重労働だろう。せめて炎の操作は自分が多くを負担しようとアリソンは心に決める。
そうして辺り一面が霧に包まれ、防壁に僅かな隙間が生まれた時、アリソンはフランベルジュをその隙間に突き刺す。もう片方の手はラズと繋いだまま、蛹の中で身動ぐ肉塊を見やる。周囲から感じる魔力の波動から察するに、爆発まであともう間もなくだろう。タイミングを合わせて爆発させるために、もとい爆発を乗っ取るため炎を練り上げていくと、防壁に触れていたラズの手がアリソンの柄を握る手に添えられた。
驚いて彼女を見ると、そこには悪戯な笑み。
「半分もらって、って言ったのはあなたでしょ?」
「⋯⋯ラズ」
「フランベルジュが吸い上げたあなたの魔力をここで使う気でしょ。爆発だけじゃ、レインナートを殺せたとしても、女神と勇者の繋がりを断ち切ることはできない」
ラズの言葉に、アリソンは息を呑む。
アリソンが何故、魔術を扱うことができなかったのか。それは魔力が常にフランベルジュに吸われていたからだ。魔力に反応して炎を纏うという剣は、その実、持ち手の魔力を吸い込んで炎を纏っていた。けれどその魔力は全てが炎に変換されているのではない。剣の中に、貯められていた。
これまで吸った分を解き放つだけでなく、生命力すら魔力に変換してフランベルジュに吸わせ、そこに旧神ポラリスの加護を込めれば、その剣は女神の首に届き得る。世界にもたらされていた勇者という防衛機構、その繋がりを勇者を通じて断つことで、未来永劫、この世に勇者は生まれない。女神による世界への加護は消える。防衛機構なき世界は、やがて危機に瀕した時、滅びるだろう。
だからこそ、レインナートはアリソン達に問うた。勇者のない世界はいつか滅びる。それでいいのかと。
アリソンとラズの答えは変わらない。この先に待つのが緩やかな滅びだとして構わない。そんなことはどうでも良かった。世界の命運など、どうだっていい。自分たちや知る人全てが亡くなった後の世界のことなど、知ったことではない。
アリソンとラズはただ、レインナート・ローウェンを殺したかっただけなのだから。
だが、ラズがフランベルジュのこと、そしてアリソンが己の命を賭けて勇者を殺そうとしていることを知っていると、アリソンは思ってもみなかった。
苦笑いを浮かべ、「知っていたんですね」と言えば、ラズは勝気な笑みを浮かべる。
「ええ。だから、諦めなさい。あたしを出し抜こうだなんて、百年早いわ」
鼻先が触れ合うような距離でラズの笑みを見た時、アリソンは確かに、己の頬が動こうとするのを感じた。あと少しで笑みが形作れそうだった。
けれど、まだだ。まだ笑えない。笑うのならば、勇者亡き世界で。女神の束縛から放たれた世界で。
「さあ、やりましょ」
「⋯⋯はい。私たちで、私たち二人で、終わらせましょう」
レインナートの魔力が弾けるのと、アリソンとラズの作り出した炎が瞬時に霧を蒸気とするのは同時だった。白い蒸気が赤く輝き、瞬間、巨大な爆発音が響き渡った。
◇◆◇
地上にいた者たちは誰もが顔を上げ、空を見上げた。火山の噴火のような光、音、煙。
何が起きたのか、正確に理解できた者はいなかった。けれど、理解した。
「ヒナコ、あれって⋯⋯」
街道にて、兵士と共にヒナコを守ろうと弓を携えていたルークが、振り返って問いかける。空を見上げ、手を祈りの形に組んでいたヒナコは震える唇で「はい」と言葉を紡ぐ。
「アリソンさんと、ラズさんです。倒したんです、お二人が⋯⋯勇者を。レインナートを⋯⋯!」
ヒナコの目には、爆発の中、共に手を取り合い、落下していく二人の姿が見えていた。周りの人々には見えていないのなら、これも天啓なのだろうかとヒナコは頭の片隅で思う。
アリソンとラズが共に握りしめた剣を突き立てた先にある勇者の核が砕けて塵になり、二人はそのまま重なり合うようにして落ちていく。どこに落ちるとも、落ちた先に何があるかも分からないのに、その顔は遠目にも笑っているように見えた。どこにでもあるような、眩しい日差しに目を細めてはしゃぐ、ただの村娘のような微笑み。
「ヒナコ? どうした?」
やがて煙も二人も、何もかもが見えなくなった時、ヒナコはルークの声に我に返る。心配そうな彼に首を傾げると、己の頬が涙で濡れていることに気が付く。
これは何の涙なのだろう、とヒナコは思う。レインナートを憐れむものだろうか、それともアリソンとラズに対する祝福の、あるいは、自らの力がこの世界から完全に絶たれたことに気がついた女神が最後に力を振り絞って流させたものか。
「いいえ、なんでも、なんでもないんです。ただ⋯⋯そう、空が、空があまりに、青くて、美しかったから⋯⋯」
ヒナコはそう言って、もう一度空を仰ぐ。もう勇者の力が少しも残っていない、ただの青を。
よく晴れた美しい晴天のこの日は、歴史に刻まれることなる。
村娘が、勇者を殺した日として。
最後まで読んで下さり、ありがとうございます。
最終決戦は2回に分ける予定だったのですが、まとめられそうなのでまとめてしまいました。
次回の後日談で完結となる見込みです。最後までお付き合い頂けると嬉しいです。
次回更新日:11/17予定




