060 いざ、決戦の地へ
翌日。
晴れ渡る晴天と澄んだ明け方の空気に、アリソンは大きく伸びをする。洗濯物がよく乾きそうな、ピクニックに適した日だ。
「よっ。おはようさん」
「ルーク君? 早いですね」
「そう言うアンタこそ。⋯⋯年下の俺にまで敬語使うなよ、楽にしてろって。聖都じゃ普通に話してただろ?」
赤い長髪を揺らし、苦笑しながら近づいてきたルークに、アリソンは「そうだったね」と応じる。
支度があるというラズを地下に残し、アリソンは地上でぼんやりと彼女を待っているところだった。周りにはアリソンとルーク以外の人影はなく、打ち捨てられたような壊れかけの王都に、二人の影が伸びている。
「なあ、アリソン。前に聖都でアンタに言ったこと、覚えてるか?」
ふいに口を開いたルークの言葉に、アリソンは風になびく髪を押さえながら彼の方を向く。ちょうど昨夜、ラズとそのことについて言葉を交わしたばかりだった。不思議な偶然もあるものだな、と胸が少し暖かくなる。
「覚えてるよ。復讐した後にどうしたいか、って聞いてきたよね」
「ああ。⋯⋯俺はきっと、笑えるようになるために復讐をした。ならアンタは? 俺には、アンタが死に急ぐために復讐の道を突き進んで行ってるように見えるぜ」
「ルーク君。人は誰だっていつか死ぬものだよ」
それは穏やかで、ひどく凪いだ声だった。
ルークの黒い目が静かに見開かれるのを見て、アリソンは顔を逸らし、遠くを見つめる。並んで草を食べる馬たちの姿に、まるで世界が平和であるかのような錯覚に陥るけれど、そんなことはない。何もしないでいたら、この世界は終わる。よりによって、自分から家族と故郷を奪った男の手で。
「死ぬことは多分、そんなに怖くないと思う。そこにはお父さんとお母さんとルノーと村のみんな、それにイグニスさんがいるから。⋯⋯でも、レインナートを殺すまでは死ねない」
ラズも同じ思いだと、アリソンは知っていた。彼女も死を恐れない。なんなら、死に場所を求める気持ちは彼女の方が大きい筈だった。でも、今は違う。ラズは昨日、アリソンと二人でレインナートを殺すつもりだと言葉にして認めてくれた。
「⋯⋯ま、死ぬよりも怖いことなんていくらでもあるもんな」
ルークのポツリとした呟きに、アリソンは彼に向き直る。
少し寂しげな顔をした彼に、子供に気を使わせてしまったことが申し訳なくなると同時に、死に急ぐことや復讐を止めないその優しさがありがたかった。
「ルーク君は優しいね」
「そんなことねえよ。止められねえってだけだ」
「止めない優しさもあると思うよ」
「⋯⋯ヒナコが聞いたら、そんなこと言わないでください〜って泣いてやれたかもな」
「じゃあ、ヒナコには内緒にしておいてください。泣かせたくないので」
「悪い奴」
「それほどでも」
軽口で答えたアリソンに、ルークは少しおかしそうに口角を歪める。
「⋯⋯そういう返し、あの女に似てるよな」
「誰が『あの女』よ?」
ルークの背後に立っていた少女に、アリソンは「ラズ」と喜色の滲んだ声で呼びかけ、ルークは「げっ」とわざとらしく顔を顰めてみせる。
「で、なんの話?」
「うーん⋯⋯未来の話かな」
ラズの問いに、アリソンは少し考えて答える。嘘ではない、本当のことだ。今日これから起きること、起きた後のこと。
不思議そうに首を傾げたラズの手を握り、アリソンは「行きましょう」と言う。地下から上がってきた国王夫妻の元へ、出立の挨拶をしなければならない。
「アリソン殿、ラズ殿、本当に二人だけでいいのかね? まだ何人か残った兵もおるが⋯⋯」
「はい、大丈夫です。地上にはまだ皆さんが必要ですから⋯⋯ヒナコ達の護衛も必要でしょうし」
ヒナコとルークは、王都や聖都だけでなく、他の町や村も訪れる予定だと言っていた。結界を張る能力のない人里がどれほど持ち堪えているのかは分からないが、それでも希望がある限りは助けたいのだとヒナコは言う。アリソン達がレインナートを倒すまでの間、自分にできることをしたい──そう言った彼女は、もう聖都で出会った頃の自信なさげで何もかもを諦め、死にたがっていた彼女とは別人のように活力に溢れていた。
それは良いことだ、とアリソンは思う。彼女は変わった。きっと、彼女にとって良い方向に。
「レインナートは私とラズが倒します、必ず。だから⋯⋯約束を守って下さい」
「⋯⋯ああ。そのことなんだが、フィリップから提案があってね。魔術契約を交わそうと思うのだが」
魔術契約──かつて聖都でヒナコと交わしたことがあるそれに、アリソンはパチパチと目を瞬かせる。契約を違えた者に、契約書によって定められた代償を払わせる契約だ。
国王がこうも己との約束を重視していたとは思わなかった、と思いかけるが、すぐに、違うなとアリソンは思い直す。フィリップ王子が、父である国王に働きかけたのだ。夫妻の後ろで付き人の老人と立っている彼は、じっと国王を見つめている。父が本当に約束を守るのかを見張る子供の目は微笑ましく、そして心強い。幸いなことに、国王夫妻が子供を大切に思う心は本物であることは信じられた。
「分かりました、お願いします」
「うむ⋯⋯それとだな、ラズ殿はどうする? アリソン殿には故郷の再興を約束するが、其方は? 其方は何が欲しい?」
「あたしは⋯⋯」
国王の問いに、ラズは微かに顔を強張らせたようにアリソンには見えた。思わずぎゅっと手を強く握り直すと、彼女が視線だけを向けてくる。大丈夫、とその瞳が答えるのを確かめて、アリソンは力を緩めた。
「⋯⋯あたしが望むのは、モノじゃない。人と魔人が手を取り合っていける世界──それを実現させると、約束して頂きたいわ」
ラズの言葉に国王が、否、見送りとそして転送魔術のために集まっていた人々が息を呑むのをアリソンは見た。突き刺さるような無数の視線に、しかしラズは臆することなく立ち向かうように毅然と立つ。
人と魔人が共存する世界。それはかつてイグニスが夢見たものだ。ラズにとって誰よりも大切だったイグニス、その彼の夢が叶うかもしれない。国王は魔人との共存に合意してくれてはいたが、魔術契約を交わしてくれると言うのであれば、確かにラズが国王に望むのはそれしかないだろう。
「⋯⋯分かった。我々とて、魔人と争い続けたいわけではない。必ず実現させよう」
「ありがとうございます」
ラズの手が無意識にか、ピアスに触れる。イグニスと片方ずつ分け合っていた、今は彼女の両耳を彩る純黒。その煌めきに、アリソンは目を細める。
契約を交わした後、アリソンとラズは人々が見守る中、転送魔術の描かれた魔法陣の中に入った。禍々しい赤と緑の混じり合う魔力の光は、あのセネカが考案したものであることを思い出させる。
魔術師達の視線に応えるように頷くと、アリソン達の体は光の中に溶けていく。
群衆の中、ルークが手を振り、ヒナコが心配そうに両手を胸の前で組んでいるのが見える。魔術師達の真剣な眼差し、人々の縋るような視線、国王の固い表情、フィリップの手を握る王妃とこちらを見つめるフィリップの純真そうな瞳。その中にジョアンとミゲルの姿はない。まだ地下にいるのだろうとアリソンは思う。目を閉じれば、寄り添い合う二人の姿が見えるような、そんな気がした。
◇◆◇
目を開くと、そこはもう空の上だった。
アリソンとラズは繭のような卵のような──そんなモノの真上に立っている。
「⋯⋯とんでもないところに転送されたわね」
「そ、そうですね⋯⋯」
少しでも体勢を崩せば真っ逆様に落ちてしまうし、転送先の座標が少しずれていただけでも、アリソンとラズは死んでしまっていただろう。考えるだけで恐ろしい。
周囲を飛び交うワイバーンがこちらに気づく、よりも早くラズが何かを唱える。
「目眩し、ですか?」
「ええ、これでしばらくはこちらを視認できない筈よ。その間に、なんとか中に入らないといけないのだけれど⋯⋯」
「分かりました、任せて下さい」
頷いたアリソンはフランベルジュを鞘から抜く。炎を纏った剣を握り締め、アリソンは目を閉じて集中する。集中する先は剣ではなく、己の中。今代の女神にとっては異物であろう、己の中の旧神の力。
「⋯⋯ポラリス。見ていますよね?」
呟けば、どこからともなく『うん』と応じる声が聞こえてくる気がする。黄金色の光を纏い、アリソンは剣を勢いよく突き立てる。
瞬間、毒々しい色をした卵から金切り声に似た絶叫が鳴り響き、そしてぐちゃりと足場が歪む。
「ッ、アリソン!」
引き摺り込まれるようにして落ちる最中、ラズが必死の形相で手を伸ばしてくるのが見える。考える暇もなくその手を掴んだアリソンの上で、卵がパチリと閉じられていく。すぐ近くで聞こえたワイバーンの咆哮に、もしも間に合わなかったら自分はラズと分断されて外に取り残されるだけでなく、ワイバーンに頭から食べられていたであろうことをアリソンは察した。
暗い穴の中を永遠に落下するような感覚は、案外容易く終わりを告げた。踏みしめた地面は柔らかく、まるでクッションのようで。
「ここでレインナートの本体を叩けばいいのよね?」
「はい、そうだと思いますけど⋯⋯」
ラズにそう答えながら、アリソンは困惑していた。
最初、この卵を見た時、あれだけ毒々しい色をしているのだから、中身もそれはそれは恐ろしい様子なのだろうとアリソンは思っていた。例えば、ワイバーンの巣窟だとか、あるいはやはり、毒々しい世界が広がっているのだと。だが、そんな予想は鮮やかなまでに裏切られた。
卵の内部、そこにあったのは、見渡す限りの美しい花畑と、そして。
「⋯⋯ラファエラ⋯⋯?」
既にこの世を去って久しい、青髪の美しい娘が立っていた。
最後まで読んで下さり、ありがとうございます。
次回更新日:9/8予定 → 9/22予定に延期いたします。




