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059 決戦前夜



「ジョアンは、この先の部屋にいるよ」


 そう言ってミゲルが指し示した扉を前に、アリソン達は立ち止まる。

 息を吸って、吐いて。心の準備をしたアリソンが扉に手をかけた時、それまで側にピッタリとついて来ていたラズがつい、と裾を翻して退いた。


「ラズ?」

「あたしはここにいるわ。あなた達だけで会って来なさい」

「⋯⋯わかりました。それじゃあ、また後で。⋯⋯あっ、勝手にどこかに行ったりしないでくださいよ?」

「行かないわよ。5歳の幼児じゃあるまいし」


 呆れたようにため息をつき、腕を組んで壁に寄りかかったラズと別れて、アリソンはミゲルと共に小部屋の中に入る。

 簡素な小部屋の中、ジョアンは木製のベッドに座っていた。部屋の中には、スツールに小さな棚、そして壁に立て掛けられた剣だけがある。あの剣はジョアンのだろう。鞘に入った状態ではあるが、アリソンには見覚えがあった。


「ジョアン、君の親友を連れてきたよ」


 ミゲルの呼びかけに、ジョアンはぴくりともしない。彼女の目は何も見ていなかった。

 無言で促したミゲルに従い、アリソンはスツールを少しジョアンの側に引いて腰掛ける。


「⋯⋯ジョアン、久しぶりだね」

「⋯⋯」

「⋯⋯私、レインナートと戦うよ」


 こう言ったら、少しは反応してくれるかもしれない──そんなアリソンの淡い期待は、見事なまでに打ち砕かれた。ジョアンはやはり虚空を見つめるだけで、目の前のアリソンのことも、近くに佇んで見守っているミゲルのことも、目に入らないままだ。

 彼女がこうなってしまうのも無理はなかった。レインナートに操られていたとはいえ、父親をその手にかけたとなれば、心が壊れてしまうのもおかしくはない。

 視線を落としたアリソンは、ふいにジョアンの手に握られたものに気がつき、目を見開く。ジョアンの好きな桃色を使った巾着袋。アリソンが作り、彼女に手渡したものだ。


「ミゲルさん、これは⋯⋯」

「⋯⋯手放そうとしないんだ。こうなっても」


 ポツリと言ったミゲルに、アリソンはジョアンに向き直る。なんてことだろう。ジョアンは、ここに至っても手放さなかったのか。

 じわりと歪んだ視界に項垂れると、ミゲルの声が頭上から降ってくる。


「正直、僕は君に嫉妬したことがあるよ」

「え⋯⋯?」

「ジョアンはよく、君の話をしたから。目がキラキラさせていて⋯⋯今もこうして、君との絆を離さない」


 思わず顔を上げたアリソンには、彼の表情がよく見えない。けれど、感情を堪えるような声には、隠しきれない悲しみが滲んでいた。水の中に溺れているような、そんな声。


「だから、君ならもしかしたら⋯⋯そう思ったんだ」


 駄目だったみたいだけどね、と彼の声は静かに落ちた。

 何も返せず、アリソンは膝の上でぎゅっと手を握りしめる。


「レインナートには、好きな女の子ひとり守れないのは世界を失うのと等しいとか、ジョアンのいる世界を守りたいとか言ったけど⋯⋯口先だけだったな。僕は無力だ。何も守れはしなかった」

「そんなことないです! だって、ミゲルさんはずっとジョアンの側にいたじゃないですか!」


 思わず声を荒げたアリソンを一瞥し、ミゲルは「そうかな」と無感動に呟く。


「側にいたって、ただそれだけのことだよ。何もできやしない。無意味で無力で、無価値で⋯⋯僕は、」

「いいえ⋯⋯いいえ! 側にいることが大事なんです」


 緩やかに視線を向けてきたミゲルに、アリソンは真っ直ぐに彼の目を見つめて頷く。


「レインナートは私たちが倒します。でも、心の傷はそんなことじゃ治らない。レインナートを殺したって、私もラズもジョアンも、その他多くの勇者に傷つけられた人たちがそれで治るわけじゃないって、分かってるんです。無力なのは、私の方です。でも、ミゲルさん。あなたは、ジョアンの心を救える。ジョアンに寄り添える。だから⋯⋯!」


 だから、自分を無力だとは思わないで欲しい。アリソンはそう祈るように思った。

 目尻を袖で拭っていると、目の前にハンカチが差し出される。差し出したのはもちろん、ミゲルだ。


「⋯⋯そうだね。ゆっくりでも、いつか彼女が戻って来てくれると信じて、そうするしかないね。彼女がいる世界を失いたくないのなら、それだけが、いや、それが僕にできることだ。⋯⋯それでいいんだよね?」


 ミゲルの言葉に、アリソンは再び頷く。

 傍らに座ったジョアンは言葉を発することも、二人に視線を向けることもない。それでもいつか、気持ちは通じるはずだと、そう信じたかった。



◇◆◇



 ジョアンとの面会を終えて戻って来たアリソンは、ラズと共に地上に上がっていた。すっかり日が暮れ、満天の星空が広がった地上には、巡回中の兵士の他、まばらに人が歩いている。


「やっぱり、まだ地上に登るのは怖い人が多いみたいですね」

「そうね。自分の大事な家が廃墟同然になったり、親しい人の遺体が転がってるかもしれないとなれば、時間は必要だと思うわ」

「⋯⋯そうですよね」


 夜風が二人の髪を揺らし、微かに残る灰の匂いが鼻腔をくすぐる。

 明日には、レインナートとの戦いが始まる。きっと最後の戦いになるだろう。ならば、とアリソンは意を決してラズの手を引いて足を止める。どうしたのか、と振り向いた彼女の目が、どうしてか見開かれる。

 

「⋯⋯あの、ラズ。ちょっと高いところに行きませんか? せっかく今夜は星が綺麗なので、ラズと見たいなって。お城の上なら、もっとよく見えると思うんです」


 どうでしょうか、なんて続けながらも、ラズは承諾してくれるだろうことをアリソンは分かっていた。そしてその予想通り、ラズは「仕方ないわね」と言って微笑んだ。



 城の最上階の屋根に登ったアリソンとラズは、隣り合って座り、空を見上げる。吸い込まれそうな夜空は、ラズの瞳によく似ていた。


「⋯⋯で? わざわざこんなところまで来て、何か話したいことでもあった?」

「うーん、そういうわけじゃないんですけど⋯⋯二人っきりでお話したかっただけなんです」


 王都の復興がまだなされておらず、街灯の灯りがないため、以前王都で見た時よりも星が鮮明に見えた。決して良かったとは言えないが、それでも星空は美しい。

 かつてドルフ村で見ていたそれと似ていて、けれど確かにどこかが違う空を見つめながら、アリソンは口を開く。

 

「⋯⋯以前、ルーク君に聞かれたこと、覚えてますか? 復讐した後は何がしたいか、って」

「ああ⋯⋯言われてみれば。聖都を出る時だったかしら」

「そうそう。ラズは、何がしたいですか?」


 アリソンの無邪気とも言える問いに、ラズは少し考えた後、黙って首を振る。


「さあ⋯⋯あたしはずっとレインナートを殺すことと、アンタを守ることしか考えてこなかったから、よく分からないわね。ご馳走でも食べようかしら」

「あ、いいですね! お店で食べるのもいいけど、一緒に作るのも楽しそうじゃないですか?」

「⋯⋯いいわね。アンタは? 何がしたい?」

「私は⋯⋯お墓を作りたいです」


 目を伏せて同意した後、気持ちを切り替えるように質問してきたラズに、アリソンは少しの間をおいて答える。


「⋯⋯お墓?」

「はい。家族や村のみんなのお墓を作りたいです。それから、家を建て直して、それで、あの⋯⋯良かったら何ですけど、ラズと一緒に暮らしたいなと」

「暮らすって、あたしと? それよりも英雄として引っ張りだこになるんじゃないの?」

「私は英雄じゃないですよ。だって、自分のためにレインナートを殺したいんですから。⋯⋯もちろん、魔人側とのやり取りのお手伝いが必要だったらしますけど、他のことはもういいです。それより、ゆっくりしたいです」

「ゆっくり、ね。それは⋯⋯悪くないわね」


 思えば、束の間の安らぎはあれど、ずっと次へ次へと何かにせき立てられるようにして歩んできた日々だった。

 空を走る星に手を伸ばし、捕まえた振りをしたアリソンに、ラズがくすりと笑う。ラズもやってみませんかと言えば断られてしまったけれど。


「ねえ、ラズ。私、ラズがラズになる前のラズも好きですよ」

「⋯⋯は」

「大好きです」


 ラズがラズになる前。その言葉の意味がわからないほど、彼女は鈍くない。アリソンは、己が言いたいことをラズが的確に理解するであろうと分かっていて、あるいは甘えていて、そう口にした。

 ラズという名前は、彼女がイグニスからもらったものだ。それをもらう前のラズということはつまり、ラズにとってはレインナートに懐柔されていた頃を指す。

 ラズは、その頃の自分が嫌いなのだろう。だから、あの頃の名前を話したがらないし、彼女の記憶の中でさえも名前はノイズになって聞こえなかった。その呪いを解きたいとアリソンは思った。こんな一言なんかで解けるものではないだろうけれど、少しでも降り積もらせたい。


「⋯⋯な、によ、急に。好きとかそんな、面と向かって言うことでもないでしょ。告白じゃあるまいし」

「だって、たまには言葉にしないと伝わってるか不安じゃないですか」

「⋯⋯」


 そっぽを向いたラズの耳は少し赤い。照れているらしい。その耳を見つめながら、アリソンは「あと」と前置きして言う。


「明日は自分だけで全部やろうとするのも、具合が悪いのを隠すのも、そういうの一切なしですからね!? 絶対に二人でレインナートを倒して帰るんですから!」

「そう言うなら、自分にもその気がないといけないわよ。アンタも、ちゃんと生きて帰る気でいるんでしょうね?」

「⋯⋯もちろん」

「本当に?」

「本当です。ラズが、ちゃんと私といてくれるのなら」


 そう言って、アリソンはラズの目を見つめて、意識して強張った頬から少し力を抜いた。

 一人じゃないなら、生きていける。

 家族を失って、最初は家族を取り戻せるというエリザベスの虚言に縋って、それが嘘だと気づいて認めてからは、それでもレインナートを許せないからと復讐に走ってきた。けれど、きっと自分一人ではどこかで心が折れて駄目になってしまっていただろうとアリソンは思う。ラズがいたから。同じ痛みを、喪失を、復讐の火を、その目に燃やし続ける彼女がいたから、痛みを堪えて走り続けて来れたのだと──そしてそれはきっと、彼女も同じで。


「私、予言します。明日はきっと、ピクニック日和の良いお天気になります」

「は?」

「そして、私たちはレインナートを殺して、世界を救います」


 アリソンの言葉に、ラズは息を呑む。そして。


「あたしも」


 静かな、少し掠れた声で、彼女は囁いた。


「あたしも、そう思う」


 重なった手に、震えはない。そのことに安堵して、握り返す。白くて細い、しかし頼れる指。

 仲間。相棒。友人。運命共同体。それは家族でも恋人でも親友でもない関係で、けれどこれから先もずっと隣を歩いて行けるひとだ。


「ラズ、実はもう一つ言わなきゃいけないことがあるんです」

「何よ?」


 首を傾げたラズの耳元に、アリソンは唇を寄せて囁く。


 明日は必ず良い日になる。

 レインナートを殺して、世界を救って、そして帰ろう。自分の帰るべき場所へ。

 瞼の裏に情景を思い描いてから、目を開いて空を仰ぐ。煌めく星々は、まるで自分たちを鼓舞しているように見えた。

最後まで読んで下さり、ありがとうございます。


次回更新日:8/25予定

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