058 王都奪還
王都の正門前に続く街道には、ところどころワイバーンの死骸が転がっていた。いつだったか、王都で交戦した時は一時的にしか倒せていなかったようだが、今度こそもう起き上がることはないだろう。死骸はやがて黒い灰となって消えていく。
「ラズ、残留思念は大丈夫ですか?」
「ええ⋯⋯今のところ、発動する気配はないわ。どうやらこのワイバーン達には『思念』と呼べるものがないのかもしれないわね」
アリソンの気遣うような言葉に、静かに答えてラズは目を伏せる。
彼女は今、ワイバーンたちの最期の怨嗟の声を聞かずに済んだことに安堵しているのだろうか、それとも思念を──魂を持たない存在に哀れみを覚えているのだろうか。言葉にして聞くべきかどうか、少し考えた後、アリソンは何も言わずに、ただラズの手を握ることにする。自分よりも少し体温の低い、白くて細い指先。
「派手にやったなぁ、アリソン。マジで作戦なんかいらねえって感じだな」
「お、お疲れ様です⋯⋯!」
少し離れたところからアリソンがワイバーンを殲滅するところを見ていたルークとヒナコが、そう言って近くに駆け寄ってくる。後頭部を掻いたルークの感心したような口調に、アリソンは「ありがとう」と控えめに零す。
「それにしても、これだけ暴れたら中にいるワイバーンも気づきそうだけど⋯⋯出てこないわね」
「そういえばそうですね⋯⋯出てきたところをまとめて焼き払おうと思っていたんですけど」
「⋯⋯なあ、これは俺の推測なんだが⋯⋯さっき、あー、なんかワイバーンには思念がない? みてえな話してたよな? それが原因なんじゃねえか?」
ルークの言葉に、アリソンとラズは同時に彼を見やる。
会話が聞かれていたことへの驚きもあったが、彼の推測の続きも気になった。
「もしかして⋯⋯意思が存在しないから、決められたルートを動くことしかできない、っていうこと?」
「ああ、そういうことだ。決められたルートを巡回して、敵に気づいたら迎撃、気づかなければ元のルートを繰り返す⋯⋯みてえな生き物、いや生き物なのかもわかんねえけど、そうだったりしないか?」
「⋯⋯一理あるわね。ということは、生き物というよりは、トラップとして捉えて考える方がいいのかしら」
考え込むラズとルークをしばし見守った後、アリソンは正門の中を見やる。ワイバーンが空中を旋回する羽ばたきや唸り声、地面を踏み締める音が騒がしい風に混じって耳に届く。
自分がここにいる意味、なすべき事、なしたい事。それらを今一度、脳裏に浮かべ直したアリソンは、未だ話し続けている二人に「あの」と呼びかける。
「とにかく、地上は焼き払っていいんですよね?」
「⋯⋯そうね。もう生き残ってる人もいないでしょうし、万が一いてもこっちにはヒナコとルークがいる。なんとかなるでしょ」
ラズがそう言うと、ヒナコが「その万が一が怖いです⋯⋯」と小さく呟く。
「傷を治せたからって、うっかり巻き込まれたことが帳消しになるわけじゃないんです。地上にもし人がいたら、なるべく巻き込まないであげてください。⋯⋯お願いします」
頭を下げてきた彼女に、アリソンは頷く。
残せるものなら、遺体もできるだけ残したい。残された人間には死者を悼む儀式が必要だ。もちろん、それは理想論なのだろうが。
「それじゃ、準備はいいわね?」
「はい。いつでも行けますよ」
問いかけてきたラズに、アリソンは頷く。ルークとヒナコも各々弓や杖を構えている。
再度ラズに視線を戻す。頷く代わりにギラリと光ったその蒼い瞳に、アリソンはフランベルジュを高く掲げた。
◇◆◇
燃え盛る炎が街を包む様は、事情を知らない者から見ればまるで街を蹂躙しているように見えたことだろう。朽ちかけの木片が一瞬で灰と化す業火。断末魔を上げて崩れていくワイバーン。熱い。熱気で額に浮き出た汗を拭いながらアリソンは剣を振ってこびりついた血肉を落とす。キラリと光ったのは鱗だろうか。それもすぐに黒い灰になって消える。
「残りは北西に三体だぜ。ラズが氷漬けにして足止めしてる」
「分かった。ありがとう、ルーク君」
少し離れた柱の上から飛んで降りてきたルークの言葉に頷き、アリソンは指し示された方向へ向かう。近くに待機していたヒナコがアリソンの後を小走りで追う。一足先にラズの元へ辿り着いていたルークが「壮観だなぁ」と息を漏らす。
まるで氷像のように固められたワイバーンが三体。
「⋯⋯鑑賞用に残します?」
「馬鹿言ってないでさっさと片付けなさい」
呆れた顔のラズが魔術を解除するのと同時に、フランベルジュから巻き上がった炎がワイバーンを包みこむ。
それで終わりだった。
アリソン達が王宮の地下に繋がる扉を開くのには、本来必要な時間よりも長い時間を要した。それもそのはずで、地下に避難していた彼らからすれば、急に地上で戦闘の音が鳴ったかと思えば静かになったと同時に地下へと続く扉を叩かれたのだ。何が起きたのか分からない彼らからすれば恐怖でしかない。
結局、彼らが扉を開いたのはヒナコの声によってだった。
「聖女殿⋯⋯? それにアリス殿とラズ殿!? ご無事だったのですね!」
迎え入れてくれた衛兵や、王都で暮らしていた市民たちはすぐさま一行を囲んだ。ルークが「アリス?」と呟き一瞥してくるのを、アリソンは横目に目配せする。そんなことをしなくたって彼は察してくれるだろうとは思っていたが、念の為だ。
「本当に、聖女と⋯⋯アリソン殿達が来たのか?」
人混みをかき分けてきた国王に、アリソン達は傅き、肯定する。
「お久しぶりです、陛下。遅くなってすみません。地上のワイバーンは私たちが倒しました」
「⋯⋯信じられぬ。アレは時が経てば再生するのではないのか? 勇者による、いや、女神の力を感じ取れるという報告があった」
「いいえ、倒せます。私になら」
アリソンの言葉に、周囲にどよめきが広がる。
目を細めた国王が傍らに控えていた兵士に何事かを囁くと、兵士は地上へ繋がる扉へと向かい、階段を駆け上っていく。
ラズと一瞬だけ目を合わせ、アリソンは頷いて見せる。国王はまだ、アリソン達を信用していない。
やがて地上から戻ってきた兵士は、ひどく慌てた、けれど歓喜に満ちた声をあげる。
「お、恐れながら申し上げます! 彼女達が言ったことは本当です! 地上にはワイバーン一匹おりません!!」
「なんと!」
「本当に⋯⋯倒してくれたのですね」
フィリップ王子の手を繋いだ王妃が涙ぐみ、その肩を国王が抱く。貴族も家臣も民衆も、誰もが期待の眼差しでアリソン達を見つめる。
もしかしたら本当に、この少女ならば勇者レインナートを殺せるのではないか。そんな希望が彼らの目には宿っている。
「しかし、もしまたワイバーンが襲来したら⋯⋯」
「そのためにわたしが来たのです、陛下」
誰かが不安げに洩らした声に、今度はヒナコが顔を上げた。
「わたしが王都を守る結界を張りましょう。ですから、陛下、どうかその王冠をお貸し頂けないでしょうか」
目を見開いた国王と、ヒナコの視線が真っ直ぐに交わる。ヒナコの目にはもう以前のような弱々しさはない。
そんな彼女達の横でアリソンは「王冠?」と微かに首を傾げ、それに対してルークが小さく囁いて説明する。
「あれには魔力を貯めることができるのさ。ほら、大司教がやってたやつ。俺らは聖都でアレを応用して結界張ってんだけど、こっちでも同じことしようと思ってよ」
「ああ、なるほど⋯⋯」
アリソンが納得している間にも、国王が王冠をヒナコに差し出し、ヒナコの魔力が王都全体を包み込んでいく。
「ありがとう、聖女よ。おかげで我らも久しぶりに日の光を見れる」
「もったいないお言葉です、陛下」
「⋯⋯そして、アリス殿。其方には、ワイバーンに⋯⋯勇者の力に対抗する術がある。そうだな?」
「はい。その通りです」
「ならば改めて、其方に頼みたい。どうか、真の勇者としてレインナートを打ち果たし、世界を救ってはくれぬか。空へ行く手段が無いというのなら、ここに魔術学院の教師達がいる。彼らはセネカの転送魔術を解読したのだ。これなら其方達を空に送ることもできるだろう」
国王の紹介と共に、民衆の中からおずおずと数人の魔術師達が進み出る。
彼らを見た後、国王に視線を戻したアリソンは頷く。
「もちろんです、陛下。ですが、私はまず謝らなければならないことがあります」
「む、なんだね?」
「まず一つ目は、私の名前がアリスではなく、アリソンであることです」
「一つ目? 他にも隠し立てしていることがあるのかね?」
「⋯⋯私は、ドルフ村の出身です」
訝しげな国王にアリソンが返した言葉に、その場が静まり返る。
「ですが、ドルフ村はレインナートの言うような邪教徒の村ではありません。そして、魔人もまた、彼の語るような恐ろしき人を食らう化物ではありません」
「⋯⋯どういうことかね」
顔を顰めながらも、聞く体勢に入った国王にアリソンは簡単に事情を説明する。
レインナートがドルフ村を焼き払ったのは冤罪によるものだったこと、そして、魔人が和平を求めていること。
聞き終えた周囲の反応は様々だったが、誰もが国王の反応を待っていた。国王の反応で全てが決まる、とアリソンは握った拳に力を入れる。もしも聞き入れられなければ、その時は。
「⋯⋯俄には信じがたい。だが、信じよう。今度こそ、其方が真の勇者として、此度の災厄から我らを救ってくれると」
──第一関門は通った。
国王は本気で己の言葉を信じたわけではないことぐらい、アリソンにも分かる。それでも、一旦は信じることにした。少なくとも、そのように振る舞っている。今、レインナートに立ち向かうために、アリソンが必要だから。かつて魔人を倒すためにレインナートが必要で、彼の所業に目を瞑っていた時のように。
だが、アリソンはレインナートではない。彼の二の舞になるのは真っ平だった。だから。
「ありがとうございます。ですが、私は勇者ではありません。私は富も名誉も欲しくない。私が欲しいのは、ただ一つ。故郷の汚名を返上することです」
ラズが隣で戸惑う気配を感じながらも、アリソンはよどみなく語る。
「ドルフ村が邪教徒の村でなくなり、再興の許可さえ頂ければ、私はそれでいいんです。もちろん、魔人との和平交渉のお手伝いが必要なら、いつでもします。でも、勇者のような扱いは必要ありません。私はただの、加護を受けただけの村娘ですから」
要は、アリソンはレインナートのような地位や権力を求めないし、政治に口出しもしないという宣言だった。
毅然と己を見つめてくる村娘に、国王は何を思ったか。
少しの静寂の後、国王は「其方の気持ちは分かった」と言った。
「其方の望み通り、今この時をもってドルフ村の容疑は晴れた。其方はもう、名を包み隠す必要はどこにもない。⋯⋯ドルフ村のアリソンよ」
アリソンに向き直った国王の目は、少し、ほんの少しだけ温かみがあった。
「レインナートを打ち果たし、世界を救うのだ。⋯⋯頼んだぞ」
国王の言葉に、アリソンは力強く頷いた。
◇◆◇
「アリソンさん、ラズさん、本当にお二人だけで大丈夫ですか?」
「ヒナコ、それ何回聞くんだよ?」
「ううっ、だって⋯⋯」
心配そうに見つめてくるヒナコに、アリソンとラズは「大丈夫」と異口同音に答える。
国王の提案通り、二人は魔術師によって転送魔術でレインナートがいると思しき卵の中へ転送される予定だった。魔術の発動予定時刻まではまだ1日の時間があり、二人はヒナコやルーク、そして民衆達と言葉を交わしていた。
「王都が解放されたことは、陛下が魔術で各地に知れ渡らせていますし⋯⋯きっとレインナートもこのままにしておかないですよ。本当にわたしとルークも一緒じゃなくていいんですか?」
「大丈夫よ。アンタは地上で、結界を破られないようにしてなきゃいけないでしょ?」
「ラズの言う通りですよ。私たちが戻ってきたらみんな死んでた、なんていうのは嫌ですからね」
「⋯⋯わ、わかりました。地上はわたし達に任せてください!」
覚悟を決めた表情のヒナコの手を、ルークが握る。見つめ合う二人に、ラズはアリソンの肩を抱いてその場から移動する。
勇者がワイバーンをアリソンとラズの撃退のために各地から集結させてくるのなら、むしろ好都合だ。一網打尽にしてやればいい。それだけの力が今の己にはあると、アリソンは確信していた。
「で、アンタは準備いいのよね? 明日、いよいよ最終決戦ってところだけど」
「ラズこそ、大丈夫ですか?」
「大丈夫じゃないように見える?」
悪戯っぽく笑ったラズをじっと見つめた後、アリソンは「まあまあかな」と言う。
生意気ね、と笑うラズの目はひどく優しい。
「ところでラズ。できたらでいいんですけど、明日になる前に会いたい人がいるんです」
「もしかして⋯⋯」
「ジョアンのことだね」
割り込んだ青年の声に、二人は振り返る。そこには、緑髪に糸目の青年、ミゲルがいた。
「⋯⋯ミゲルさん」
「久しぶりだね。僕たちを避難させた後に死んだかと思っていた」
「ミゲルさんも⋯⋯無事で良かったです」
生きていてよかった、と呟く彼に、アリソンはジョアンの名を口にしようとして、けれど、上手く言葉にならず、口を閉ざす。
会う資格があるのかどうかも分からない。それでも、アリソンは彼女に会いたかった。明日が最後の戦いになると理解した時、ならば大切な幼馴染に一目会いたいと思ったのだ。今までずっと、ろくな言葉も交わせないまま別れてきたから。
だけど、聞くのが怖かった。ジョアンは果たして今、人と会える状態なのか、と。
「⋯⋯いいよ」
そんなアリソンの逡巡を見抜いたかのように、ミゲルはそう言う。
「ジョアンもきっと、君なら⋯⋯君の言葉になら、もしかしたら⋯⋯」
静かに落ちたその声はどこかか細く、まるで祈りのような響きを持っていた。
最後まで読んで下さり、ありがとうございます。
アリソンとラズの旅も終わりに近づいてきました。どうか最後まで、今しばらくお付き合い頂けると嬉しいです。
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